3話 筋肉魔法はすごく強い
森を彷徨うこと数日。
「……おっ。見えたぞ、出口だ」
俺たちはとうとう森を抜け出すことに成功した。
「わぁ! 本当に出れたんですね!」
森から出たフィーリアは「うーんっ」と伸びをする。
「もちろん森の中も好きですけど、やっぱり開けた視界は安心感がありますね。魔物に奇襲される可能性も少ないですし」
「確かにそうだな。……悪いフィーリア、水貰っていいか?」
朝から歩き続けたせいか、あるいは森を出ることができて少し気が抜けたせいか。
いずれにしても俺は喉の渇きを感じていた。
フィーリアは嫌な顔一つせず、おわんの形に丸めた俺の手の上に水を創りだしてくれる。
「ありがとな」
「それほどでも」
冷えた水が喉を流れていく。体の芯から癒されていくような感覚だ。
「……魔法が効かないくせに魔法で創った水は飲めるって、つくづくずるいですよねー」
「そうか? まあこの体だって無敵じゃないからな」
俺には魔法は効かないが、別に無効化しているわけじゃない。
ただ持ち前の体の丈夫さで魔法を受け止めているだけだ。
だから俺の体より強力な魔法なら、俺は普通に傷を負ってしまう。まあそんなことは今までに一回もなかったが。
「それで、これからどうする? 別れるか一緒に旅するか」
「この数日で考えたんですけど、ユーリさんさえよければ付いていってもいいですか? 一緒にいると退屈しなそうなので」
「ユーリさんって変わってますし」と付け加えるフィーリア。
変わっているのは俺じゃなくてお前だと思う。
「それに、エルフって閉鎖的な種族であまり森の外に出ないんですよね。常人離れした見た目も相まって私たちには高い価値があるらしく、奴隷商に狙われることもあると聞きます。……だからまあ、守ってほしいなー、みたいな」
フィーリアはもじもじとわざとらしく体をくねらせる。
「俺のメリットは?」
「可愛い私と一緒にいられること、ですかね」
フィーリアは柔らかそうな頬に指を当てながら、さも当然であるかのように言い放った。
「……それはメリットなのか?」
「どう考えてもメリットですよ。それに私は自分のためであれば、他人を利用することになんの心の痛みも伴いません!」
フィーリアは元気満々に宣言する。これ以上ないほどのドヤ顔で。
「……いや、そういうのは俺がいる前で言ったらダメだと思うんだが」
なんだ? 頭はよさそうなのに、天然なのか?
まあ俺はそういうことを言っちゃうタイプの方が気楽だが。
腹の探り合いは戦うときだけで十分だ。
「ああ、それは『読心』を使った結果、ユーリさんが裏表のない、思ったことをそのまま口に出す性格を好みそうだったので。変態じみていると思いましたが、まあそのぐらいのことは許容範囲内です。なにしろ私はユーリさんに物を頼む立場ですので」
……いつのまにか俺に同行することを決定事項のように話しやがって。
というか思ったこと言いすぎじゃねえか?
俺は「ハァ」とため息をつく。
まあ、俺が森の外に出るきっかけを作ってくれたのはフィーリアだ。
そんな人の頼みを無下には出来ないだろう。
「勝手にしてくれ」
「はーい。私は勝手についていきますね」
「……あ」
俺は立ち止まる。
「どうしました?」
フィーリアも俺の後ろで立ち止まった。
「フィーリア、街の場所は知ってるか?」
「知ってるわけないじゃないですか、適当に歩いてたら森の中にいたんですから。そもそもここがどこかもしりません。私が知ってるのはせいぜい人類で一番繁栄しているのが人間だってことくらいです」
「……マジかよ、お前何にも知らねえな」
「そう言うユーリさんこそ、人間なんですし街の場所くらい知らないんですか?」
フィーリアが質問を投げかけてくる。
ふっ、愚問だな。
俺は渾身の笑顔でそれに答えた。
「幼少期から森に引きこもってた俺にそんなことがわかるとでも?」
「いや、それ自慢になりませんからね?」
言われてみればそうだった。
半目で見てくるフィーリアを無視して、俺は街の手掛かりを探す。
そして重大な手掛かりを見つけることに成功した。
「運がいいな、もう心配はなくなった」
「どういうことですか?」
こてんと首をかしげるフィーリアに、俺は腕を伸ばして一点を指差す。
「あっちに城壁が見える。きっと街があるんだろう」
「……城、壁?」
眉間にしわを寄せながら訝しげな声をあげるフィーリア。
どうやらフィーリアには見えないらしい。
「ユーリさんって目いいんですね」
「まあ鍛えてたしな」
「目を鍛えるってなんですか……」
そんなこんなで、俺たちは城壁を目指して歩き出した。
「ユーリさんって趣味とかないんですか?」
街へ向かう道中、手持無沙汰になったのかフィーリアがそんなことを聞いてくる。
趣味か……森の中じゃできることも限られてるからなぁ。
俺は何かあったかを思い起こしてみる。
そして一つ思いついた。
「ああ、身体を鍛えるのは好きだぞ。筋トレとかな」
俺にとってはあまりにも当然過ぎて忘れていたが、俺は鍛えるのが好きだ。
視界の悪い森では常に背後から不意打ちされる危険が付きまとう。そんな時に体を鍛えていないとあっさりあの世行きだ。
だから俺は目から鼻から筋肉から、鍛えられるところは可能な限り鍛えるようにしている。
まあそれを抜きにしても、俺は単純に体を鍛えるのが好きだ。
「そういえば森でも筋肉がどうとか言ってましたもんね。鍛えたから魔法は効かないとか意味不明なことも言ってましたし。……んー、でもその割にあんまり見た目には筋肉がついてるように見えませんけど……」
フィーリアが俺の身体をジロジロと無遠慮に見ながら疑問を呈する。
たしかに俺の身体は筋骨隆々というわけではなかった。
フィーリアに比べれば屈強だが、おそらく一般的な男と同じか少し筋肉質かくらいの見た目でしかない。
「意識してこの体型に保ってるからな。ただし、ちゃんと戦うときは別だぜ?」
俺はそう言って身体に力を入れる。
すると、俺の身体は見る見るうちに本気で戦う時用の体型へと姿を変えていく。
急速に膨れ上がった俺の筋肉は上着を容易く引きちぎり、俺はあっという間に半裸になった。
身長も頭一つ分大きくなり、約二メートルほどに成長する。
「どうだ? 凄いだろ」
さすがのフィーリアも俺の変わり様には驚いたようで、銀の両目をまん丸にしている。
「……いや、凄すぎませんか? 身長まで伸びてますし、完全に筋肉ダルマなんですけど」
「褒めんなよ、照れるだろ」
「褒めてません」
だが普段はこの姿になることはない。
体があまりでかいと動きを阻害されるし、隠密にも不向きだからだ。
筋肉は鍛えるに越したことはないが、身体は大きければいいというものでもないのだ。場合によっては一般人のような体型の方が適していることもある。
ゆえに俺は戦う時以外はリミッターを設け、筋肉の肥大化を防いでいた。
褒められた俺は身体を元の一般的な体型に戻し、替えの上着を着込む。
「それに、この状態でもちゃんと力はあるぜ」
俺は落ちていた手ごろな大きさの小石を拾って握りしめる。
再び手を開くと、そこには砂と化した小石の姿があった。
「ほらな」
「……小石って手で粉砕できるものでしたっけ」
「鍛えればな」
「……そういうことにしておきます」
なぜか呆れた様子のフィーリアだが、その意味がよくわからない。
「それ以外だと、火を出したりもできるぞ」
「火魔法を使えるんですか? ということは、ユーリさんは魔法使いなんですね」
「確かに俺は魔法使いだ。だが俺が使うのは火魔法じゃない、筋肉魔法だ」
俺はフィーリアに筋肉を見せつけるように腕を折り曲げる。
フィーリアは訳が分からないというような顔で俺を見た。
「……筋肉魔法? なんですかそれ?」
「筋肉を鍛えることで使えるようになる魔法だ」
俺は目の前の空間に向かって拳を放つ。
空を切ったその拳は音速を超え、ぼう、という音を立てて発火した。
「な?」
「……魔力を使ったような痕跡がないんですけど、今何が起きたんですか?」
「拳を超スピードで振ることで、あまりの速さに拳が燃えたんだ」
「……? すみません、もう一度言ってもらっても……」
「拳を超スピードで振ることで、あまりの速さに拳が燃えたんだ」
「……は? え? ど、どういうことですか?」
どうやらフィーリアは俺の魔法の斬新さに困惑しているようだ。
無理もない、俺が独自に編み出した魔法だからな。森の外には類似の魔法がないのだろう。
「筋肉魔法は魔力を使わない魔法だからな」
「いや、それは魔法じゃなくてただの力技だと思うんですけど」
フィーリアが呆れた表情で何か言ってくるが、言っている意味がよくわからない。
もっと筋肉を鍛えろ。じゃないと俺には伝わらない。
「……あの、ユーリさん。聞きにくいことなんですが……ユーリさんって化け物か何かですか?」
「酷過ぎるだろ! 俺は人間だ」
まさか人外扱いをされるとは思わなかった。俺はどこにでもいる普通の一般人だと言うのに。
夕方。
日も暮れかかった頃、俺とフィーリアは無事城壁へと到着することが叶った。
「おお……」
「凄いですねー。エルフは基本ありのままの自然と共存する種族なので、こういうのは初めて見ます」
城門には兵士らしき人間が数人いたが、特に引き留められることもなく内部へと入ることができた。
……あの人間たちは何の為に立ってるのだろうか。
そう思った俺だが、しばらくして結論に思い至る。
魔物が街に入らないように、ということだろう。
実際森を出てからここに付くまでの間に何度か魔物と接敵したしな。無論倒したのは言うまでもないが。
街は木造の建物が建ち並んでいた。
初めて見る街の景色に自然とテンションが上がる。
「さてさてさて。これからどうしましょうかフィーリアさん」
「どうしましょうねユーリさん。とりあえず宿をとった方がいいのは確実でしょうか」
フィーリアの意見に俺はポンッと手を鳴らす。
「宿か。全然考えてなかったな」
「ユーリさんって結構抜けてますよねー」
「そうか? 最悪路上で寝ればいいだけのことだろ。魔物が狩れればとりあえず生きていくのには困らないしな」
「発想が完全に野蛮人のそれなんですけど……」
そんなことを話しながら宿をとる。
俺は金を持っていないので、必然的にフィーリアに払ってもらうことになる。
「気にしないでください」と言われたが、これは男として相当まずい状況なのではなかろうか。
とりあえず金稼ぎの手段を得よう。まずはそこからだ。
俺は心の中でこれからの行動方針を定めた。
部屋についた俺とフィーリアは気を緩ませる。
部屋の中はまあ一般的な宿といっていいくらいの設備であった。
問題は、ベッドが一つしかないということだ。
「……というかフィーリア? ここ一人部屋なんだけど」
「し、仕方ないじゃないですか、二人部屋に泊まるにはお金が足りなかったんですから」
どうやら思った以上に俺たちの財政状況はまずいらしい。
密室に二人きりという状況だからか、フィーリアの顔が心なしか強張っているのが見て取れた。
こういう時こそ男の見せ時というものだ。
「とりあえず、ベッドは使っていいからな」
俺はさりげなくベッドを使うことを辞退する。
まあ金払ってんのはフィーリアだから当たり前なんだけどな。
「私をベッドに促す……はっ! 私の身体が目当てだったんですね……? 最低です見損ないました」
フィーリアは起伏の少ない胸の前で手を交差させ訴えてきた。
「なんでそうなる……。俺は立ったまま寝れるからベッドはいらないってだけの話だ。一時間も寝れば十分だしな」
「睡眠時間一時間って、無茶苦茶言ってますよ? ……まあ実際森で見ているので信じざるを得ないのですが」
「それに金払ってるのはフィーリアだし、お前が使うのが自然だろ」
「こんな美少女と二人っきりなのに随分と紳士なんですね」
「……美少女? どこにいるんだ?」
俺はわざとらしくキョロキョロと辺りを見渡す素振りをする。
フィーリアは俺の視界に入ろうとしてピョンピョンと忙しく動き回っていたが、やがて「むぅ……」と頬を膨らませた。
「怒りました、もう寝ます! ……おやすみなさい!」
「おう、お休み」
こうして街での初めての夜は更けていくのだった。