26話 すらいむぜりぃは物議を醸す
服も買ったことだし宿に帰ろうかと思っていると、大通りに随分と賑わっている店を発見した。
まばらな人しかいない他の店とは別世界のように盛況である。
「なんだあれは……?」
目を凝らしてみると、店の前の旗には大きな文字で「すらいむぜりぃ」と書いてあった。
すらいむぜりぃ……? なんだそりゃ?
字を見たことで余計に疑問が深くなる。
そもそもなぜ平仮名なのか、そこからしてもうわからない。
「あれ? すらいむぜりぃじゃないですか」
買った服に着替えたフィーリアが何やら知っていそうな顔をする。
「知ってるのか?」
「なんでも最近王都で物議を醸しているらしいですよ。ムッセンモルゲスにも出店してきてたのは知りませんでしたけど」
「流行ってるとかじゃなく、物議を醸してるのか……。不安になる言い方だな」
「食べてみます?」
「俺はどっちでもいいが」
「じゃあ食べてみましょう! 実は気になってたんですよねー」
フィーリアはるんるん、という効果音が聞こえてきそうなほど上機嫌になる。
そう言えばフィーリアは結構食に拘るんだよな。その割に胃は小さいのだが。
店に入ってみると、中は満員に近かった。
見渡してみると、その中のほとんどが水色の得体のしれない物体を食している。あれが噂のすらいむぜりぃというやつなのだろう。
幸運にも二つ並んで開いている席があったので、そこに腰を下ろす。
やってきた店員に「すらいむぜりぃ」を二つ注文し、俺とフィーリアはそれが到着するのを待つ。
しばらくするとやってきたそれは、まさしくスライムの見た目をしていた。
水色の半液体状の見た目に、目玉を模したような砂糖菓子らしきものがあしらわれたそれは、デフォルメされてはいるがスライムそのものだった。
これは物議を醸すのも無理はない。
なにせ見た目がスライムなのだ。俺は気にしないが、食べるのに抵抗のある人も多いだろう。
「わあ、可愛いですねー!」
そう思っていた俺は、フィーリアが発した言葉に耳を疑った。
「かわ……いい?」
「可愛いじゃないですか。目が大きくてとっても可愛いです。これは可愛すぎて物議を醸すのも無理はないですよ」
確かに周囲からは多数の女性のキャーキャーという楽しそうな声が聞こえてくる。
マジか、これが可愛いのか。というかそもそもそう言う理由で物議を醸していたのか。
女というものはよくわからない。
「うへへ、美味しそうです」
フィーリアは邪悪な笑いを浮かべながらすらいむぜりぃにスプーンを突き入れる。
さっきまで可愛いとか言っていたのに食べるのか。
可愛い可愛いと言いながら食べるって、ちょっとしたサイコパスじゃないか?
しかし店内にいる俺以外の男たちはそれに疑問を持っているようには見えない。
どうやらおかしいのは俺のようだ。
「なんか自分が信じられなくなってきた……」
「いつも自信満々なユーリさんがすらいむぜりぃを見て自信を無くすって、一体どういうことですか」
そう言いながらぜりぃを掬い、口へと入れるフィーリア。
次の瞬間フィーリアの銀の目は大きく見開かれ、そして恍惚の表情へと移り変わった。
「美味し~い! ユーリさんユーリさん、すっごく美味しいですよ!」
「おお、そうか」
フィーリアは興奮を俺に伝えるように胸の前で手をブンブンと上下に振る。
食道楽のフィーリアがここまで言うってことは、美味しいのは確かなのだろう。
俺は自分の分のすらいむぜりぃに手を付けることにする。
スプーンを当てると、張りのある弾力がスプーンを押し返してくる。
そのままスプーンを入れてみると、先ほどまでの弾力が嘘のようにスーッと滑らかにスプーンが通った。
俺はすらいむぜりぃを掬い上げる。
プルンプルンと揺れる透き通った水色の物体は、たしかに美味しそうに見えた。
俺はそのままぜりぃを口に入れる。
まず最初に感じたのは冷たさ。遅れてツルンとした触感が口の中に広がっていく。
これは――
「うん、美味いな」
確かに話題になるだけのことはある。
くどくならない程度の甘さと爽快な清涼感、それにモンスターということに目をつぶれば瑞々しい見た目。
人気が出るのも不思議じゃない。
俺の感想を聞いたフィーリアは、俺が同じ感想を持ったことにうんうんと嬉しそうに頷いた。
「ですよね! 決めました、もう一つ頼んじゃいます!」
フィーリアは店員を呼び止め、追加でもう一つすらいむぜりぃを注文する。
「食いきれるのか?」
フィーリアは美味しいものには目がないが、いかんせん食が細い。
「これだけ美味しいんですから食べられますよ」
俺の不安を吹き飛ばす様にフィーリアは笑顔で言った。
たしかに量は多くないし、フィーリアでも十分に食べきれるだろう。
十数分後。フィーリアの前には半分ほど欠けたすらいむぜりぃが鎮座していた。
それと向かい合うフィーリアの顔は険しい。
「……ユーリさん」
「言いたいことは察しが付くが、どうした?」
「もう食べれません……」
フィーリアは白旗を上げるように目をつぶり、ふるふるとゆっくり首を横に振った。
「すっごく美味しいですけど、二個はさすがに調子乗りすぎました」
「だから言っただろ」
「ユーリさん知らないんですか? 甘いものは別腹なんです」
「実際食べきれてないんだが」
「その通りですね。返す言葉もありません……」
フィーリアは力なく項垂れる。
俺は半分ほど残されたすらいむぜりぃを見た。
すらいむぜりぃは相も変わらずぷるぷると光沢を放っている。
「食えないなら食ってやろうか?」
「あ、食べられます? ならお願いします」
「おう」
俺はぜりぃを自分の方に引き寄せ、口に入れる。
うん、やっぱり美味い。
「……あっ」
不意にフィーリアが声をあげる。
見ると、すらいむぜりぃを凝視しながら頬を朱に染めていた。
……? 何を赤くなってるんだろうか。
「どうした?」
「なんかあれですね。……か、間接キスみたいになっちゃってますね……。あ、わ、わざとじゃありませんからねっ!?」
顔を赤くしてぶんぶんと頭と手を振るフィーリア。今までにないほど狼狽えている。
俺は眉をひそめてフィーリアを見た。
「何をそんなに慌ててるのかがわからん。別に間接キスくらい普通だろ」
「普通……? そ、そうですね。超絶美少女エルフのフィーリアさんなら、ま、まあ普通ですけどね!」
「やっぱりそうか。森の中では他の魔物と獲物を食い合うことも多かったからな。フィーリアもだろ?」
森の中では弱肉強食が唯一絶対のルールだからな。
俺が捕えた獲物を横取りしようと画策して近づいてくる魔物は多かった。
あいつら気を抜くと俺の食事に噛みついて持っていこうとするからな。それに負けじと噛みついて獲物を引っ張り合ったことも一度や二度ではない。
きっと森に住んでいたエルフのフィーリアも同じような経験をしてきたのだろう。
「そうそう、私も魔物と獲物を食い合って――って、そんな経験ないですよっ!」
そんなことはしなかったようだ。
フィーリアが「それ、本当に実体験なんですか?」となぜか恐る恐る聞いてくるので、俺はぜりぃを食べながら首を縦に振る。
「やっぱりユーリさんはユーリさんでした。というか私は魔物と同じカテゴリーなんですね……」
「やっぱりユーリさんはユーリさん? 哲学か何かか?」
そんな俺の言葉にフィーリアは反応を見せず、ただじっと俺の顔をみてくる。
真正面からみたフィーリアの顔はやはり言いようのないほど整っていた。
さながら美の神が現世に降り立ったかのようである。
「……何だよ」
だがフィーリアがどんなに綺麗で可愛いとしても、こうも見つめられるとなんとなく居心地が悪い。
最後の一口を口に入れながらその意図を尋ねた俺に、フィーリアはその瑞々しい唇を開ける。
「ユーリさんって間接キスは平気なのに、なんでキスは恥ずかしいんですか?」
「ゴホゴホッ!」
思ってもなかった質問に思わず咳き込む。
コイツ、なんてこと聞いてきやがるんだ!
「き、キスが恥ずかしいのは当たり前だろ! 接吻だぞ接吻! 破廉恥だ!」
「破廉恥って今時聞きませんね……。ユーリさんって意外と初心ですよね~」
すらいむぜりぃは甘くて美味しかったが、その後のフィーリアのからかい方は甘くなかったことだけは伝えておきたい。




