2話 意外とハンカチとか持ってるタイプ
俺たちの前には空になった木製の皿が並べられていた。
「はぁー、食べましたぁ……。もう食べられません……」
フィーリアはそう言って腹を擦るが、食べた量は俺の十分の一ほどに過ぎなかった。
「食い意地張ってるのかと思ったら、意外と小食なんだな」
美味しい美味しい言っていたから食事が好きなのは伝わってきたが、どうやら胃袋は大きくないらしい。
「もっといっぱい食べたいんですけど、すぐお腹いっぱいになっちゃうんですよ。ユーリさんはいっぱい食べられて羨ましいです」
「お前見た目軽そうだしな。もっと太った方がいいんじゃないか?」
俺はフィーリアの身体を改めて注視する。
腹いっぱい食べた後だというのに、そのすらりとした体型は変わりない。
そのままじっと見つめていると、フィーリアはその慎ましやかな胸を隠すように腕を交差させた。
「ああ、ユーリさんの脳内で私が汚されてます……」
「人聞き悪いこと言うな!」
「なんだ、違うんですか。なら安心しました」
フィーリアはからかうように軽く笑った後、「おいしょっ」と言いながら立ち上がる。
「食事ご馳走様でした。とってもおいしかったです。……では、そろそろ私は行こうと思います」
「待ってくれ」
立ち上がって家を出ようとするフィーリアを呼び止めた。
「どうしたんですか?」と首をかしげるフィーリア。
そんなフィーリアに、俺は自分の正直な気持ちを口にした。
「俺も森の外に行きたくなった。森の外まで一緒に行ってもいいか?」
今まで森で暮らしてきて寂しさを感じたことはなかった。
その日暮らしの生活に不満はなかったし、自分の手で食べるものを得ることに達成感があるのも事実だ。
でも、俺は彼女と出会ってしまった。
フィーリアは変なやつだが、嫌なやつではなかった。むしろ個人的には好ましいと言えるかもしれない。
俺は今まで森の外に出るなどと考えたことはなかった。多分無意識のうちに考えるのを避けてきたのだろう。
だがフィーリアと話したことで、無意識に閉じ込めていた外の世界への興味が溢れてきたのだ。
もっと色々なことを知りたい。
色々な場所へ行きたい。
色々な人と出会いたい。
――そしてなにより強くなりたい。
そんな気持ちは俺の心をあっという間に染めていった。
その避けがたい欲望に抗う術を俺は持っていなかったのだ。
俺の言葉を聞いたフィーリアは少しの間迷うように視線を上に向けた後、俺の目を見た。
「じゃあ一緒に行きます? 私は里を出たばかりで少し不安ですし、ユーリさんがいれば心強いです」
「おお! よろしく頼む!」
こうして俺は長年すごした家を去ることにしたのだった。
森の中を練り歩く俺とフィーリア。
ここまで歩き通しにもかかわらず息を切らした様子もないフィーリアに、俺はひそかに舌を巻く。
貧弱そうな見た目に反して意外と体力あるんだな。
「出口見えてきませんねー。ユーリさんはまだ体力大丈夫ですか?」
それどころかフィーリアは俺の体調まで気遣う余裕があるようだった。
「俺は大丈夫だ。むしろフィーリアがそこまで体力があることに驚いてるよ」
「エルフは森の民ですからね。森の外はともかく、森の中ならお任せですよ」
フィーリアは慎ましやかな胸を張ってドヤ顔で言う。
「森で迷う森の民ねぇ……」
「それは言わない約束です」
そんな会話を交わしながら森の中を彷徨う俺とフィーリア。
すると、前方から草木を掻き分けるような音がした。
「魔物か?」
「なら次は私が力を見せる番ですね」
フィーリアは平坦な声でそう言うと現れた魔物と向かい合う。
魔物は四足歩行で体高はフィーリアの腰ほど。額に一本の立派な角を生やした、この森の中でもそこそこ強い方の魔物だ。
そのくせ肉は美味しくないので、俺的にはコスパが悪い魔物である。名前は知らん。
「ガーガスですか。手加減はできませんね」
どうやら目の前の魔物はガーガスというらしい。
「死んでください」
フィーリアは掌を魔物に向け、水の刃を射出する。
超高速で放たれた水流は魔物の口から尾までを一撃で貫いた。
魔物は声をあげることも出来ずに絶命する。
「終わりました。今回は水魔法を使いましたけど、それ以外にも火魔法と雷魔法と風魔法、それに回復魔法も使えます。魔力をありったけ籠めれば失くした腕を生やすくらいは出来ますよ。時間が経ったら無理ですけど」
「……すっげーな」
俺は口から感嘆の言葉をこぼす。
魔物が跋扈するこの森で迷ってなんで生きているのかと思ったが、これほど強いのならそれも納得だ。失くした腕を生やせるって相当な魔法使いなのではないだろうか。
それに対し、フィーリアは何でもなさそうに手を振る。
「エルフですし、これくらいは当然ですよ。私なんて全然まだまだです」
「いや、いくらエルフだって言っても生まれたときからあんな魔法が使えるわけじゃないだろ? その努力は素直に尊敬するよ。フィーリアって凄いやつなんだな」
俺は魔法に強い憧れを抱いていた。
だって何もないところから火や水が出るんだぜ? 誰だって憧れるはずだ。
そんな俺は森で生活するようになりどうにか魔法を覚えたのだが、とてつもなく辛かったのを覚えている。あそこまでの威力の魔法を使えるようになるまで何年かかったか……それを四種類も扱えるとは、どれだけの努力をしたのか見当もつかない。
「そ、そうですか。あ……ありがとうございます」
褒められなれていないのか、フィーリアは照れたように銀髪の髪を手で遊ばせる。
なんとなく意外な反応だ。これだけの魔法が使えればもっと堂々としていてもよさそうなものだけど。
「べ、別に照れてる訳じゃないですから!」
そう言ってフィーリアはそのつつましやかな胸を張り、ビシッと俺を指差す。
そしてその後すぐに胸の前で腕をクロスさせた。
「今つつましやかな胸って考えましたね! ユーリさんは変態、変態です!」
「……なんで思ったことがわかる」
「そういう能力なんですよ。『読心』っていって、相手の心が読めちゃうんです! 相手が私に警戒していないときだけですけど。どうですかすごいでしょう」
フィーリアは自慢げに腰に手を当て、再び起伏の少ない胸を張る。
「そりゃあ……すげえな」
相手が警戒していないだけと言っても、心を読めるのは戦闘でかなりのアドバンテージとなるはずだ。
俺がそう言うとフィーリアは一瞬目を見開き、そして俺に背を向けた。
「……っ。ちょっとの間こっち見ないでください、ぐすっ」
「お、俺なんか悪いこと言ったか? すまん、謝る!」
突然泣き始めたフィーリアに動揺を隠せない。
俺なんて言ったっけ!?
傷つけるようなこと言っちまったのか!?
頭の中で考えを巡らすが、いかんせん対人経験は皆無。何が彼女を泣かせてしまったのかわからなかった。
背を向けて肩を震わせるフィーリアは、俺の戸惑いを察してくれたのか俺に説明してくれる。
「違いますよぅ。ひぐっ。……ただ、ちょっと嬉しかっただけです」
「嬉しい?」
「ぐすっ。だって……私のことをすごいってぇ! この能力里の皆に気持ち悪いって言われてきたからぁ! ……ぐすっ。……ハンカチ貸してください」
俺は背を向けたフィーリアにハンカチを渡した。
フィーリアは白く細い腕を伸ばしてそれを受け取る。
そのままハンカチで涙をふき、ズビッと鼻をかんだ。そして俺にハンカチを返してくる。
「おまえ……人のハンカチだぞ」
「いいんです。ぐすっ。私美少女なので」
「意味が分からねえ……」
謎すぎる理屈だが、泣き止んでくれたのは助かった。一度泣いたことで気持ちの整理がついたようだ。
俺は頃合を見計らって話しかける。まだ目は赤いがもう大分落ち着いてきたころだろう。
「落ち着いたみたいだな」
「普通こういう時は『俺の胸で泣けよ』とかいってくれるものなんですけどね」
「俺の胸で泣けよ」
「いや、もう泣き止んだんでいいです。それに私そんな安い女じゃありませんし」
目を腫らしたままあっけらかんと言い放つフィーリア。
そして数秒黙った後、彼女はもう一度口を開いた。
「……でもまあ、褒めてもらえたのは嬉しくなくもなかったです。ありがとうございました」
にひひ、と笑うフィーリア。その笑顔は万人を惚れされるに足るものだった。
それにしても「嬉しくなくもない」って……普通に「嬉しかった」でいいだろうに。本当に素直じゃないやつだ。
ひねくれ者のフィーリアに、俺は口の端が緩むのを感じる。
「いや、思ったことを言ったまでだし別に礼はいらない。だからフィーリアも思ったままを言ってくれ。この筋肉、カッコいいだろ?」
「いや、それはちょっと意味わかりません」
鍛え上げた筋肉を見せつけた俺に、フィーリアは冷たい表情を向けてきた。
この筋肉の良さがわからないとは残念なやつだ。