145話 畏れ
さあ、最後の大勝負だ。
向かい合う形になった以上、後さき考えずに全力で殴れる。
倒せば勝ち、倒せなきゃ負け。
……いいじゃねえか、シンプルなのは俺の好みだぜぇ……っ!
「来いよ、魚」
「シュイイイイイイィィッ!」
偽聖魚は甲高い声を発し、向かい来る敵である俺たちに向けて風の大砲を放ってくる。
魔法に込められた魔力量は、今まで相対してきた魔物の中でも一番のものだった。
魔力の塊が俺たちに近づいてくるのを感じる。
しかし俺たちは慌てない。
風魔法か。威力もすげえし俺たち以外には効果覿面だったろう……だが、俺たちにゃあ愚策だ。
こっちには風の神の名を冠する能力を持ってるヤツがいるんでな。
「『風神』で全て無効化します」
フィーリアは手短にそう言うと、俺たちを風神の中に引きこんだ。
巨大な風の化身は、迫りくる風魔法をその身で受け止める。
強風と強風が水中とは思えないほど激しくぶつかりあうが、風神が形を崩す様子はない。
荒々しい周囲とは裏腹に、風神の内部はほんの少し凪が吹くだけだ。
戦闘中にも関わらず、風神とそれを行使するフィーリアには神々しささえ感じられる。
と、フィーリアの口元が小さく動いているのがわかった。
「ここで押し負けたら、後で絶対ユーリさんにトレーニングさせられます。だからなんとしても負けられないんですよ……! トレーニングは嫌、嫌なんですっ!」
……やっぱりフィーリアに神々しさは感じられないかもしれない。
だが、偽聖魚の風魔法を完全に防いでくれているのは大仕事だ。
風神が受け流した風魔法が、後ろから追って来る過激派たちを足止めする役割を果たしてくれているのも大きい。
「シュイイイイィィィッッッ!」
止められていることに気付いていないのか、気づいていても押し切れると思っているのか。
偽聖魚は風魔法を放ち続ける。
それによって、海の中にぽっかりと空気の路が出来たかのように、俺たちと偽聖魚の間からは水が押し流されていた。
「今度はあたしの出番ね」
空気の奔流を見た傍らのアシュリーが、ニィと微笑む。
「わざわざあっちが水のない路を作ってくれるなら、あたしが熱いのを叩き込んであげるわ」
そう言うと、アシュリーは魔法を発動させる。
火魔法を越えた火魔法と自称する、炎魔法。
魔法を行使したアシュリーの掌に、煌々と燃える赤い球体が完成した。
近くにいるだけで汗がでるどころか火傷してしまいそうなほどの熱量だ。
これを叩き込まれたら、いくらあれだけの巨体でも傷を負うのは免れないだろう。
「サポートします、アシュリーちゃん!」
フィーリアの風神が偽聖魚に向けて掌を伸ばす。
逆風を少しでも軽減しようという配慮に、アシュリーがコクンと頷いた。
「ありがとフィーリア姉! いっけえぇぇ!」
アシュリーの放った炎魔法が、空気の路を駆ける。
相手の風魔法に苦戦するどころか、逆にそれを喰らって規模が大きくなっているようにも思えた。
風魔法の中から突如湧いて出てきた炎の塊に、偽聖魚は避ける動作も取れずに直撃する。
「ウルルゥゥ!?」
その瞬間、悠々と泳いでいた偽聖魚の表情が変わったのを俺は確かに見て取った。
その顔に映る感情は――恐怖。
己に傷を負わせた俺たちに対する恐怖だ。
初めて現れた天敵、それに竦みあがっている。
「シュイイイッッッ!」
偽聖魚はゆっくりと巨大な体躯を捻り、俺たちに背を向けた。
おいおい、まさか……。
「……逃げる気か?」
俺の予想は当たってしまったようだ。
聖魚は尾から水魔法を放ち、勢いをつけてここから逃走しようとしている。
その光景を目の当たりにした俺の胸の内は複雑だった。
……逃げるのか。それだけの力を持っていながら。
今コイツの後ろから俺が追撃を加えれば、おそらくコイツを倒すことはできるだろう。
向かい合った状態ならともかく、背後からの攻撃に対応することが出来るとは思えない。
そもそもいくら魔法で補助したところで、その巨体と動きの早さでは到底俺たちから逃げ切ることができないのはコイツもわかっているだろう。
つまりコイツは戦闘を放棄し、自らの命を放棄したのだ。
……そんな幕切れは許さねえ。
俺は逃げる相手に止めを刺したいんじゃない、強えヤツとバチバチにやり合いてえんだよ!
「逃がすわけにはいかねえぞ」
俺は腰のポーチに入れていた適応石を手放した。
水中で息をするために必須であるそれを手放したことで、俺の身体に急激に水圧がかかる。
それを気にも留めず、俺は思いっきり水を吸い込んだ。
適応石を持ったままじゃ、水を吸い込むことは出来ないからな。
俺は胃袋の中で水を圧縮し、どんどんと呑みこんでいく。
付近の水が急激に減少したことで、新たな水流ができあがる。
空いた空間を埋め合わせんとする急流は、逃走を図る偽聖魚を俺たちの元へと引きずりだした。
「……ッ!?」
逃げていたはずなのに、いつの間にか天敵の目の前に引きずり出されているという不可思議な状況に、目を白黒させる偽聖魚。
俺は手放した適応石をもう一度握り直し、過激派連中の相手をフィーリアとアシュリーに任せて偽聖魚の真ん前に回り込む。
そしてその巨大な瞳の目の前で言った。
「――戦えよ。戦え」
諦めてどうするんだ。
生は一回きりだぞ、わかってんのか? 簡単に命を捨てるな。
諦めない限り可能性はゼロじゃない。そうだろ?
力を持ってるなら、俺を楽しませろ。
「……シュイイイイイイイッッ!」
偽聖魚はギュルリと大きな目で、俺を睨みつけた。
その目に闘志が篭っているのを見て、俺は口の端を上げる。
そうだ、それでいい。お前には力があるんだ、全部ぶつけてこいよ。
俺は拳を握り、力を解放した。
「スーパーユーリさんモード、発動。……ここで決める。コイツで決める」
力を込める。力を込める。
筋肉は生き物だ。
筋繊維一本一本が生まれ、育ち、子を成し、そして死んでゆく。
今俺を形作っている筋肉と全く同じものは、この世のどこにもありはしない。
俺は常日頃から筋肉を育てているが、同時に筋肉に育てられているのだ。
筋肉と俺とはいつも一期一会。
出会いと別れが、俺と筋肉を強くする。
「いくぜぇ……っ!」
水魔法を放つ偽聖魚に、拳を振りかぶる。
放つのはもちろん全力の一撃。
「おらあああああぁぁぁっっっ!」
俺の拳が、水魔法ごと偽聖魚の身体を貫いた。
「ウルルルルルウウウウゥゥゥ……!」
偽聖魚の身体がゆっくりと水底へと落ちていく。
家屋五軒分はありそうな巨体は落ちながらその姿を変えていき、水都に落ちたときには小さな魔物の姿へと変わり果てていた。
その姿を見て、魚人たちは一斉にざわめき始める。
目の前の事実を認識するのに時間がかかっているようだが、もう俺たちに魔法を放ってくる者はいなかった。
「……終わったな」
その様子を見て、俺はこの戦いが終結したことを確信したのだった。




