144話 捨て身
お待たせしました。
「おらあっ!」
俺は立ちふさがる男を殴りつける。
そして邪魔者がいなくなった隙に聖魚に近寄ろうとする……が。
「行かせねえぞぉ!」
「こっちは数だけは多いんだからな!」
老若男女、様々な人々が次々に俺たちの行く手を阻んだ。
まるで大きな壁のように、俺たちの前に人間の壁が鎮座している。
高さも幅も、優に百メートルはあるんじゃないだろうか。
「ふざけやがって……」
さっきからずっとこれだ。いくら吹き飛ばしても、人数の差で進ませてやくれない。
特に困るのが……コイツラ、とんでもなく弱いのだ。
過激派の連中が『俺たちが聖魚を殺そうとしている』と吹聴したせいで、水都の一般市民たちが俺たちの行く手を塞ぐ現状が生まれてしまったのである。
鍛えていない一般市民は弱すぎて、少しでも力を込めると死んでしまう。だから弱々しく殴るしかない。
しかしそれでは大して飛ばすことも出来ず、すぐに復活してきてしまう。
「面倒くさいことこの上ねえ……」
思わず愚痴も零れてしまうってもんだ。
だってそうだろうが。目の前に聖魚が泳いでるってのに、こんなクソ弱い奴らに阻まれてんだぞ?
「……いや、聖魚じゃないんだったか。なあフィーリア?」
「はい、目視してわかりました。あれは聖魚じゃありません」
『透心』で聖魚を見たフィーリアによると、ドゥーゴも予期していた通り、あれは別の魔物が見せている幻覚だということだ。
だから俺たち三人はそれをコイツラにも伝えているのだが……。
「だ~か~ら~、あの聖魚は偽物なのよ! 魔物が見せてる幻覚なのっ!」
「魚人でもないやつらが何を言うか! 騙しているに決まっている!」
この有様である。
俺たちの説得にはまるで耳を貸しやしねえ。
「ああもう! 話がまったく通じないわ!」
話を全く聞いてもらえず、アシュリーも相当イライラが溜まっているようだ。
「彼らからすれば、私たちが何を言っても嘘にしか聞こえないんでしょう。実際に聖魚に見えてしまっていますし、こちらの言い分になんら証拠はありません。信じろというのが無理な話なのかもしれませんね……」
「つっても、このままだとアイツに好き勝手やられるぞ? 何回か魔法撃ってきてるだろアイツ」
数百メートル先の偽聖魚は、何度か眼下の水都を目掛け、土魔法を放っていた。
それにより建物もいくつか半壊している。
騎士団とギルドの上層部が協力しているおかげでなんとか全壊はしていないようだが、それも長くは持たないだろう。
なぜなら、非常時特有の物々しい雰囲気に中てられた市民同士が乱闘騒ぎに発展しつつあるからだ。
そちらを止めるために人員が裂かれれば、自然と街の守りは手薄になる。
「……仕方ねえな」
俺はスーパーユーリさんモードを発動した。
こんなところで使うのは避けたかったが、このままじゃ偽聖魚に好き放題されちまう。それは何としても避けなきゃならない。
「何する気ですか、ユーリさん」
「何か策でもあるの?」
「……二人とも、俺に掴まれ」
俺は不審がる二人に指示を出す。
目の前を塞ぐ魚人の壁、これを超えるのはちょっとやそっとのことでは無理だ。
だから、コイツラ魚人の想像を超える。
「うぉらあああぁっ!」
二人が俺に掴まったのを確認し、俺は本気で水を蹴りだした。
水を蹴りだした分、俺たち三人の身体は一直線に上に飛ぶ。
人間の盾を越え、もっと上へと。
聖魚も水都も遥か下、久しぶりに目の前に広い海が広がった。
それを確認した俺は、すぐさまスーパーユーリさんモードを解除する。
そこそこ消耗してしまったが、仕方ない。
「あ、相変わらず無茶苦茶しますね……」
「またアイツラに捕まる前に、今度は上から偽聖魚に迫るぞ」
俺たちは偽聖魚の頭上から接近を図った。
偽聖魚に充分接近しきった俺たち三人。
だが、依然として一般市民たちと過激派、その両方が俺たちを追いかけてきている。
あれをどうにかしないとまたさっきの二の舞になるだけだ。
「フィーリア、アシュリー! お前らは魔法で一般市民が近づけないようにしてくれ!」
「わかりました!」
「わかったわ!」
俺たちを追ってくる一般市民の方角に、フィーリアとアシュリーがそれぞれ風魔法と炎魔法を展開する。
風圧と炎の柱で、彼らをこちらに近づけなくさせる作戦だ。
今まで俺たちが人の壁で止められていたのだとしたら、次はこちらが魔法の壁で足を止めさせる。
展開範囲が馬鹿みたいに広い分、実力者を止めることはできないが、一般市民程度ならこれでも充分止められる。
「……そんで、入ってきたヤツラは俺が相手してやるよ」
「皆、聖魚様をお守りするんだ! コイツラには指一本触れさせるな!」
二人が展開した魔法を突破し、偽聖魚を守るように俺の前に立ちふさがる男たち。
五十、七十、八十……おうおう、どんどん増えてくなぁ。
コイツラ皆俺の敵かよ。しかもあの二人の魔法を潜り抜けてきただけあって、中々強そうな面してやがる。
いいねえ、いいじゃあねえか。全員ぶん殴ってやるから覚悟しろよ?
「おらあぁぁっ!」
殴る。
殴って、殴って、殴って、殴る。
俺に襲い来る実力者たちを、俺はひたすらに殴っていく。
しかし、状況は芳しいとは言いづらい。
大規模魔法を使っているせいで本人たちがまるで無防備なフィーリアとアシュリーを守りつつ、すでに百人を超えた実力者たちを相手取るというのは、正直言って無理があった。
偽聖魚に接近したにも関わらず、まだほとんど攻撃は出来ていない有様だ。
……ここでもう一度、スーパーユーリさんモードを使うか?
使えばおそらくこの状況は打開できる……が、そのあとの偽聖魚を倒す力が残らない。
フィーリアの見立てでは、偽聖魚もその実力は聖魚とほとんど遜色ない魔物らしい。
そんなヤツ相手に疲労困憊で向かっていくのはさすがに勝ち目が薄すぎる。
「……ねえユーリ。もう一か八か、三人全員で特攻した方がいいんじゃないの? このままじゃどうなるかくらい、あんたでもわかるでしょ?」
「特攻なんて本来なら死んでもごめんですけど……私たちの魔力もそう長くは持ちません。ここでの守りに時間をかけすぎると、偽聖魚を攻撃する魔力が無くなってしまいます」
「全員で特攻? ……ハッ」
俺は笑う。
いつの間にそんな俺みたいな作戦を言いだす様になったんだお前ら。
そんなもんはどう考えても無謀だ。無謀で、無茶で、無理だ。……だが、悪くねえ。
やらなきゃあの魔物は倒せない。なら、やるしかねえだろ。
「……お前ら、正気じゃねえだろ」
「誰と一緒にいたせいだと思ってるんですか?」
フィーリアが憎らしげに笑う。
「絶対失敗しないからね。あたしはまだフィーリア姉と一緒にいたいんだから」
アシュリーがフィーリアにくっつく。
二人ともまだ諦めてねえな。それなら成功する可能性はゼロじゃねえ。
「やろう。それしかねえ」
三人全員で、特攻する。
二人の魔法を突破してきたヤツラの元を潜り抜け、偽聖魚をぶっ飛ばせれば俺たちの勝ちだ。
倒すことができれば幻覚は解けるらしいから、そうなりゃ俺たちの身も安全だろう。
ただし、偽聖魚を倒せなかったら負け。俺たちがどうなるかは一切わからん。
……いいな、実にいい。燃えてくるじゃねえか。
生と死の狭間ってやつはどうしてこうワクワクするんだろうな。
血は滾るし、力が腹の底から湧いてきやがる。
これこそ命の懸けどこってもんだぜ!
俺が密かに口角を上げた瞬間、海中に音の波が押し寄せる。
「皆さん、落ち着いて聞いてください。あの聖魚のように見える生物は、聖魚ではありません! 聖魚の幻を見せているだけのイリューという魔物なんです!」
見下ろす遥か下、水都の中でも随一の高さを誇る放送塔から拡散器を通して街中へと伝わった音声は、今まさに争いの渦中にいる俺たちや魚人たちにもたしかに届いた。
俺たちの身を案じたドゥーゴが、危険を冒してまでも水都の人々に真実を伝えようとしたのだろうとすぐにわかる。
そしてその放送は、俺たちに無二のチャンスを与えていた。
聞こえてくるその内容によって、ではない。
調節も何もなく張り裂けんばかりの音量で耳に入ってくる音によって、だ。
「うおっ!?」
突如として聴覚を刺激した激しい音の波に、人々は揃って耳を抑え込む。
大きな音に反応するのは、生物としてはごく自然な反応と言っていい。
だが、それが必ずしも正しいこととは限らないのだが。
日ごろの訓練によって、俺は反射的な反応を自らの意思で抑え込む。
フィーリアとアシュリーの二人も反応してはいるが、ドゥーゴの声を知っている分、他の魚人たちより反応は小さくすんでいるようだ。
このチャンスを逃す手はない。
フィーリアとアシュリー。二人とアイコンタクトを送りあう。
別に心まで通じ合っているわけじゃないし、アイコンタクトの練習なんてしたことはない。
だが、俺たちはSランクだ。土壇場だとしても、そのくらいは容易く成功させる。
銀の目と、赤い目と、黒い目。三対の視線が交差する。
周囲に張っていた魔法を解き、俺たちは偽聖魚の元へと水中を駆けだす。
耳を押さえる過激派魚人連中の間を、まず俺が抜ける。
正気に戻った幾人かが行く手を阻もうとして来るが、フィーリアとアシュリーもすんでのところで通り抜けた。イサジに水中での動き方を教わった甲斐があったってもんだ。
「これで、やっとだな」
俺たちは真っ直ぐに前を見る。
目の前には我が物顔で泳ぐ偽聖魚。
さあ、最後の大勝負といこうじゃねえか。




