143話 イサジは戦う
「……さて」
イサジは自らの腰につけた刀に手をかける。
何万回と繰り返してきたその動作は、相対する過激派の男たちにさえ意識できないほどの完成度であった。
「軟弱惰弱な貴殿らに、私が一つ指導してやろう」
イサジは宣言する。
それを挑発と受け取った男たちは、俄然勢いづいた。
各々の武器を構え、イサジとの距離を詰める。
「誰が軟弱で惰弱だ! 調子乗ってんじゃねーぞてめえ!」
「ほう? ならば違うと証明してみせろ。貴様らの腕で、武器と魔法で、私を屈服させてみせろ」
イサジは慌てた様子もなく、ただ淡々と言葉を重ねる。
潜り抜けてきた視線の数が、彼に強靭な精神力を与えていた。
「私は引きも退しりぞきもせぬ。ただただ貴様らを斬って斬って――斬るのみ」
そう口にし、イサジは剣を抜く。
音もなく抜かれた刀。その切っ先はすでに男たちを見据えていた。
「うっ……」
その殺気は明らかに常人が発せる類のものではなく、男たちは一瞬ためらう。
しかし男たちもその実力は本物、すぐに冷静さを取り戻した。
「お、俺らはあの非魚人どもを追いかけなきゃなんねーんだよ! どけ!」
そして放たれる数十の剣撃、数十の魔法。
それらを、イサジは十本の刀で残らず払いのけた。
「なっ……!?」
「さあ来い。これより先へ行きたくば、私を倒すより道はない。己が信念をぶつけてこい。全て受け止めてやる」
イサジは笑みを浮かべながら思う。
気持ちの高ぶりが隠し切れない。
ユーリと戦った時もそうだったが、やはり自分は戦いの中でこそ輝くのだ。
今目の前にいる男らは自分より格下だが、弱くはない。それが五十人……正直、勝てるかは怪しいところだった。
だからこそ、楽しいのだ。
勝利の決まっている戦い程つまらないものはない。そこには充実感も達成感も高揚感もなにもない。しかし、今はそれら全てが自分の身体を満たしている。
さあ、血で血を洗う戦いといこうではないか。
十分後。
いまだ岩場の戦いは終わらない。
むしろ、佳境を迎えていた。
肩で息をする過激派の男たちとイサジ。
互角だな、とイサジは思った。
その疲労度合いは自分の方が酷く思える。
しかしその分、男たちはすでに半数以上が脱落している。
それらを考慮すると、まだ勝利の二文字は天秤の上で揺れたままだ。
「舐めんなよ、こっちにはまだ二十人もいるんだ! てめ一人に負けられっかよ!」
男たちのうちの一人が威勢のいい声を上げ、イサジに突っ込む。
「……」
イサジは一言も発さず、ただ刀を振るった。
一対五十、その戦力差は大きい。
この男のような守りを捨てた特攻は、仲間がその隙をカバーしてくれるからこそ可能な戦法だ。
数の利を活かしてくるあたり、戦法面ではバカではないらしい。
鍔を競り合わせ、魔法を切り、斧を逸らす。
全く使う技術が違う複数の動作を同時に行うというのは、傍から見えているより数倍難儀だ。
イサジの類まれなる戦闘センスと積み重ねた研鑽があって、初めて勝負は互角になっていた。
一瞬たりとも気の抜けない戦いが続く。
『瞬きいらず』がなければ、今頃自分は生きてはいなかっただろう。そう確信するほどの絶え間ない猛攻が、イサジの命をとろうとしてくる。
今目の前に迫る雷魔法、水魔法、土魔法、剣、刀、斧……それら全てが自分に死を運ぶべく放たれたものであることに、イサジは昂ぶる。
ここ数年は道場の経営に本腰をいれていたせいで、息をするだけで身が削がれるような緊張感の中に置かれる経験ができていなかった。
技術だけは上達したかもしれないが、代わりになにか大事なものを失っていた気がする。
それが何かは長い間わからなかったのだが……それが今わかった。
求めていた物は、戦いそのものだったのだ。命の取り合いという、原始から続く野蛮極まりないものを、自らの身体は渇望していたのだ。
そして自分が求めていた物は、今、ここにある。
「クッ、ハハ!」
笑みがこぼれる。同時に刀の速度が上がる。
刀の道を究めた者が、忘れかけていた野生の力を取り戻した瞬間だった。
勝負は呆気なくついた。
イサジが見下ろし、男たちが見上げる。その構図がこの戦いの結末を雄弁に語っていた。
大きな壁を越えたイサジに拮抗できるだけの力を、男たちは携えてはいなかった。
「これで終わりか? 私はまだ両の足で立っているぞ」
イサジは地に倒れた五十人の過激派たちを見下ろし、言う。
この時間が終わってしまうことが、イサジには惜しかったのだ。
「まだだ……まだ俺たちは負けてねえ……っ! この身は聖魚様のために……!」
「いい気迫だ。魂が震えるな。……貴殿らを侮ったような発言、その全てを撤回させてもらう」
五十対一とはいえ、自分と互角に戦った魚人たちだ。
彼らを侮辱することは、もうイサジには出来なかった。
満身創痍の中ゆっくりと立ち上がった男たちに、イサジは嬉しそうに何度も頷く。
「代わりに貴殿らは私に一撃をくれ。その気迫を乗せた一撃を! さあ! さあ!」
イサジは剣を構える。
楽しい、楽しい。そんな感情だけがイサジの身体を動かしていた。
そしてその刀で、五十人相手に勝利して見せたのだった。
「ふう……」
イサジは一際大きな岩の上に座り込む。
楽しい戦いだった。
昔と同じ気持ちで、昔以上の技術を使って戦う。それがこんなに心を震わせるものだとは思っていなかった。
昔を思い返すと、思い出すのはいつも一人の男の姿だ。
今は死神と呼ばれているらしい、唯一無二の親友。
同じ釜の飯を食うこともあったが、それと同じくらいに殺し合うこともしょっちゅうだった。
「……もう一度、剣を交わしたいものだ」
イサジは叶わぬ願いを口にした。
もちろん叶わないことはわかっている。無理だとわかっていても口にしたかったのだ。
水都の方を向いてみる。
未だ聖魚は健在のようだ。
その上、聖魚は水都の街に何度か魔法を撃っているようである。
自分の状態が万全ならば迷わず助太刀に加わったのだが……しかし、今の自分では足手まといにしかならないだろう。疲労したこの身体でもAランク冒険者くらいの働きなら出来る自信はあるが、それではあの巨体相手に役割を持てるとは思わない。
ならば邪魔をせず、ここで静観しておくのがいいだろう。
「酒でも呑みたい気分だな。共に研鑽を積んだ友が聖魚を倒す様を見ながら呑む酒というのも、また乙なものでありそうだ」
そんなことを思っていると、水都の方から誰かが駆けてくるのが見えた。
「過激派の増援か?」と一瞬思ったイサジだが、すぐに違うことに気が付く。
走り方が素人のそれだ。
目を凝らしてみると、こちらへ走って来るのはドゥーゴだった。
ドゥーゴは細い身体を懸命に動かし、息を切らしてこちらへ駆け寄る。
「イサジ君、ユーリ君たちは!?」
「ここにはいない。聖魚の方だ」
岩から降りてそう答えると、ドゥーゴは拳で膝を叩く。
「ああくそ、入れ違いになったのか……っ!」
「何をそんなに慌てているんだ?」
ドゥーゴとは一度しか話したことはないが、もっと穏やかそうな印象だった。
どうにも何かありそうだ。そう感じ取ったイサジはドゥーゴに尋ねてみる。
ドゥーゴは瞳孔の開いた目で言った。
「やっとわかったんだ、あの魔物の正体が! あれは聖魚じゃない!」
「……なんだと?」
聖魚が聖魚でない。その言葉の意味が一瞬理解できない。
そんなイサジを見かねたドゥーゴは、早口で簡潔に説明を行った。
資料と祠を壊して出てきた本物を見比べたところ、明らかに異なる点があったこと。
おそらく今回の魔物はイリューという魔物で、幻覚を見せる能力を持っていること。
幻覚はイリューを倒せば解けること。
そしてそれらを伝えるべくユーリのいるであろうこの場所に走ってきたこと。
説明をし終えたドゥーゴは、肩をびくりと跳ねさせる。
よほど頭がいっぱいに居なっていたのか、辺りに倒れた男たちにたった今気づいたようだ。
イサジがそれは過激派たちだと説明すると、ドゥーゴは一層険しい顔になる。
「街には他にも殺気立ってる過激派がたくさんいるはずだ。そんな人たちに邪魔をされたら、ユーリ君たちも戦うに戦えないだろう。早くこの情報を伝えないと……!」
「そうか、殊勝なことだ。……ならば、私も協力するとしよう。聖魚の研究者の貴殿は、過激派から狙われていそうだしな」
ユーリたちとは知らない仲ではない。
彼らのために疲れた体に鞭うつくらいはしてやろうとイサジは思った。
それを伝えると、ドゥーゴは一点顔を輝かせる。
「本当かい!? ありがとう、よろしく頼む! じゃあ……そうだな、一緒に放送塔まで来てくれ! あそこから水都全体に声を流せば、情報も一気に広がるはずだ。もしかしたら過激派が抑えてるかもしれないけど……」
「案ずるな。その時は私が何とかして見せる」
「うんっ! じゃあ早速行こう!」
ドゥーゴは息の切れた身体で再び駆けだす。
その後を付いていくイサジは、ふと足を止めた。
「……人助けも存外いいものだぞ、親友よ」
そう呟くイサジに、応える声はない。
しかしイサジは何かが聞こえたかのようにふっと柔らかい笑みを浮かべ、そして情報を伝えるために走り出したのだった。
次回の更新はかなり遅くなってしまいそうです。
月末か、もしかしたら八月になってしまうかもしれません。
八月に入れば余裕ができるはずなので、しばしご容赦をしてもらえたら嬉しいです……!




