137話 いい子にはご褒美を
「よし、今日のところはこれくらいにしておこう」
大きな岩がそこかしこに点在する岩盤地帯にイサジの低い声が響く。
それを聞いた俺は立ち止まり、乱れた息を整える。
水都に来てから丁度一週間が過ぎた。
今日は朝からイサジに水中戦闘における動き方を教わっていたのだ。
師範をやっているだけあって、イサジの教え方はとても上手かった。
おかげさまで俺もかなり地上での動きに近い動きが可能になっている。
具体的に言うと分身出来るようになった。
「ユーリ殿はもちろんだが、フィーリア殿もアシュリー殿も想像以上に筋がいいな。道場にスカウトしたい気分だよ」
そう語るイサジの腕には先日の死闘の痕はなく、もう全て元通りに戻っている。
後々聞いたことだが、イサジは『瞬きいらず』と『自然回復』の双能持ちらしい。
瞬きいらずはその名の通り瞬きがいらなくなる能力で、自然回復は自然に回復する体力のペースが早くなる能力だということだ。
後者はもちろんだが、前者もかなり有用な能力である。
戦闘中に瞬きなんかしたら死ぬからな。一瞬でも視界が奪われるのはかなり致命的だ。
まあもっとも、俺の場合は鍛えたから瞬きは必要なくなったが。
「イサジさんの教え方が上手いんですよ」
「イサジさんのおかげであたしの炎魔法も水中での威力が上がりました。これで不安は払拭されたわ……!」
「二人が努力した結果であろう。だが、私がその一助となれたのならば嬉しい限りだ」
最初は警戒していたアシュリーも、一度習ったらすぐに警戒を解いてしまった。
色々とイサジに手ほどきを受け少し改良した結果、水中でも一線級の威力になったらしい。
剣術だけではなく魔法も教えられるとは、イサジは中々のインテリ具合である。
「では、私は道場の方に戻る。お前らも気を付けるようにな。……こちらで処理しておくか?」
イサジは一際大きな岩の方を向きながら言う。
「いや、大丈夫だ。じゃあな、イサジ」
「ああ、また」
着物を着たイサジは鈴の音を鳴らしながら水都の方へと帰って行った。
「よっこいしょっと……。じゃあ私たちも帰りましょうか」
フィーリアは年寄りみたいなセリフを吐きながら立ち上がる。
「そうだな、帰るか」
それに同意し、三人で帰ろうとした時だった。
「おーっと! そうはいかねえなぁ!」
先ほどイサジが見ていた岩盤の後ろから、ドスのきいただみ声が聞こえてくる。
ガラの悪そうな男たちが十人ほど姿を現した。
「可愛い女がいるって聞いてな、ずっと機会を窺ってたんだよ。ククククッ」
何笑ってんだ? 何が面白いのかまったくわからん。
反応を返さない俺たちに、男たちはいい気になって仲間内でゲラゲラと笑う。
「ハハハ、どうした? 俺たちの人数にビビっちまったのかあ? まあ無理もねえ。これだけの人数が同時に隠れて存在を悟らせないのにどれくらいの力量が必要か考えたら、俺たちの強さも想像できるってもんだしな!」
いや、バリバリに気づいてたけどな。
むしろお前らがバレてるのに気付かなかったんだぞ。
そもそも十人で同じとこ隠れてるから、何人か隠れ切れずに飛び出てんだよ。そんなんで騙せるか。
「もう逃げらんないんだぜえ~?」
男たちは俺たちを取り囲み、息を荒くする。
「はぁあ~、はぁあ~! かわいこちゃん、ぺろぺろしたいねぇ~! 僕ちゃんの唾液でぺとぺとにしたいねぇ~!」
うわ、すごいなコイツら。
「寒気がしてきました……」
「気色悪いのよあんたたち!」
それを聞いた男たちは下卑た笑みを浮かべる。
「ぐへへ、強がりを吐いてられんのも今の内だけだぜ? やっちまえお前ら!」
訓練の成果を確かめるには丁度いいか。
俺は一瞬で男の背後にまわり、殴る。
かなり手加減したのだが、それでも「きゅう」という言葉を残して男の意識は闇に沈んだ。
それを目の当たりにしたほかの男たちは、驚愕に目を見開いている。
隙だらけにもほどがあるので、全員気絶させた。
「弱え、弱すぎる」
訓練の成果を確かめるとか、そんな次元にさえ至っていない。
よくこれで他人を襲おうと思えたものだ。
「そういや、難癖付けられたのは久しぶりだな」
森から出たばかりの頃はたまにあったが、ここしばらくは無かった気がする。
「あたしはヒュマンでもたまにあったわよ。やっぱり見た目が子供だし。実力を知られてからはなくなったけどね。王都ではさすがになかったけど……それはまあ、ヒュマンは人間の国で水都は魚人の国だからってことかしらね」
「そう言えば私も最初の頃は結構ちょっかい出された気がします」
ああ、俺がというよりもフィーリアがの方が多かったな。
「フィーリア姉は超可愛くて綺麗だから仕方ないわ」
「いえいえ、そんなことは……ないとはいいません。ハァ、可愛いって罪ですね……」
謎の色気を醸し出しながら自身の美貌を憂うフィーリア。
この自信満々さ、さすがフィーリアだなぁ。
数十分後、同所。
俺たちを襲った男たちの一人が意識を取り戻す。
「ぐっ……あ? ここは……」
「起きたか。お前が最後だぞ」
俺は残りの男たちがいる方を指差す。
そこでは男たちが死にそうな顔をしながら腕立てや腹筋をしていた。
「な、なんだよこれ、なにがどうなって……」
「いいか、お前らは弱すぎる。さらに弱いだけならまだしも、女を襲おうなどという腐った精神まで持ち合わせている。当たり前だが、お前たちは騎士団に引き渡す」
しかし、ただ引き渡すだけでは駄目なのだ。
「だが引き渡しても、余罪がなければおそらくすぐに戻ってこれるだろう。俺たちの被害はゼロだしな。……だから、引き渡す前に俺がお前らを直々に鍛えてやる。健全な精神は健全な肉体に宿るのだ」
「つ、つまり?」
「腕立てをしろ。そして筋トレの喜びに目覚めろ。さあ、早く! 筋肉はお前の目覚めを待っている!」
「や、やばいやつらを襲っちまった……!」
俺は男たちにトレーニングを強制する。
強制するのは本意ではないのだが、危ないやつらを矯正するためなら仕方がない。
……今俺上手いこと言ったな。
「よし、俺たちもやるか。筋トレ」
訓練に励む男たちを見ながら俺は二人に言う。
「え? あの男たちはわかるけど、なんであたしたちも?」
「別にやりたくないならやらなくてもいいぞ。ただ、いくらコイツらが気持ち悪いとはいえ戦闘態勢をとれていなかったのは冒険者としてどうかと思うが。きっと筋トレをすればあんな時でも臨戦態勢を崩さずすむと思うんだがなぁ」
「……証拠は?」
俺の言葉を聞いたアシュリーの心は揺れているようだ。
さすがアシュリー、向上心がある。
あともう一押しだな。
「証拠は俺だ」
俺は胸筋を誇るように張り上げた。
「謎の説得力ね……。わかったわ、やるわよ」
「おお、わかってくれたか!」
さすがアシュリーだ、お前ならわかってくれると思ってたぞ!
「え、やるんですかアシュリーちゃん!?」
「フィーリアはどうするんだ? こんな幼気な少女が向上心を持って自ら鍛錬に励むのを見て、お前はどうする」
問われたフィーリアはアシュリーと俺の顔を交互に見、吹っ切れたように言い放った。
「……や、やりますよ! アシュリーちゃんだけを辛い目に遭わせるわけにはいきません!」
やったぜ!
今日は俺の筋肉布教計画の大いなる一歩を踏み出した、記念すべき日になるぞ!
皆が筋トレを始めたところで、俺は適応石をあえて外し、息ができない状態で全力疾走を始めた。
そうすることで、全員がきちんと筋トレしているか見回りながら自分自身も鍛えられるという訳だ。
「ほら、頑張れ! 腹筋千回だ!」
「桁が一つ多いのよ……っ!」
アシュリーは小さい身体を上下させながら恨み言を言う。
しかし俺の方がきついのがわかっているからだろうか、アシュリーは文句を言いながらもきっちりと千回の腹筋を終えた。
それとほぼ時を同じくして、フィーリアも腹筋千回を終える。
「はぁ、はぁ……終わりました。無駄口を叩く元気もありません……」
終わると同時にフィーリアは苦しげに水底に倒れこんだ。
アシュリーとフィーリアは水圧対策に常に魔法を纏ったままだからな、普段より辛いのだろう。
しかしフィーリアは黙々と筋トレに取り組んだ。
その真摯な姿に、俺は感動を覚えずにはいられない。
「よく頑張ったなフィーリア。泣き言一つ言わないなんて偉いぞ! ご褒美に腕立て千回だ!」
「!? い、意味が分かりません!」
どこにそんな元気があったのかと思う位の勢いで身体を持ち上げるフィーリア。
「落ち着けよフィーリア。腹筋は楽しいだろ? つまりはご褒美なんだ」
「そんなのはユーリさんだけですよっ!」
やれやれ、フィーリアは照れているようだ。
まったく困ったやつだぜ。
男たちも死屍累々になりながらなんとか千回の腹筋を終えた。
「も、もう悪いことはしません! なのでもう騎士団に連れて行ってください! お願いします!」
男たちは無事気持ちを入れ替えることができたようだ。
「よし、お前らよく言った! ご褒美に腕立て千回だ!」
「し、死ぬ……」
……あれ、あんまり嬉しそうじゃないのは何でだ?
やはり無理矢理はよくないということか。
結局男たちの懇願に負け、俺は男たちの身柄を騎士団に引き渡した。
残念ながら男たちは筋トレ好きにはなってくれなかったようだ。
だが、もう二度と悪さはしないだろう。
ならば筋肉も報われるはずだ。ありがとう筋肉よ。




