124話 自覚なき愛、自覚なき罪
「うおっ、あれなんだ?」
「まさか……魔物!?」
「う、うそでしょ!? こんなところに!?」
海で遊んでいた人間たちもだんだんと魔物の存在に気づき始めているようだ。
特に、元から魔物に近い沖で遊んでいた人たちは半ばパニック状態に陥っている。
「あなたたち、下がりなさい! あたしたちはSランクの冒険者よ、心配いらないから」
「ほ、本当か! 助けてくれ、でかい魔物が沖に!」
「大丈夫、安心しなさい。平静を失っちゃ駄目。ゆっくり深呼吸して」
アシュリーは混乱している集団の近くで泳ぎを止めた。
「あたしはここでこれ以上一般人が近づかないようにしとくわ。水中だし、あいつは二人に任せる。フィーリア姉たちなら二人でも問題ないでしょ?」
アシュリーは魔物に対して円を描くように、広範囲に火の柵を作りだす。
その柵は本来火魔法が使用できないはずの水中でも力強く燃え盛っていた。
やるじゃないか、アシュリー。
「わかりました!」
「了解だ」
アシュリーを残し、俺とフィーリアはさらに沖へと向かう。
近づくことでようやくわかるようになったその体躯は十五メートルほどで、並の飛竜よりも大きい。
目……というか顔がどこにあるのかがわからないが、ゴツゴツとした岩のような肌は中々手ごわそうだ。
「でけえな……! 」
「私が風神で押し止めます。動きを抑えるのは私に任せて、ユーリさんは鼻面に一発いっちゃってください」
フィーリアが風神を発動させる。
フィーリアの身体を覆っていた水がはじけ飛び、代わりに風の巨人がフィーリアを守護するように身体を覆った。
女の形をした巨人は灰色の魔物を抑えにかかる。
とそこで、魔物の方にも動きがあった。
水面から出た背中が縦にバリバリと割れていき、中から羽が生えたトンボのような魔物が出てきたのだ。
空を往けるようになった魔物は、俺たちを無視して海岸の人間たちの方へ向かおうとする。
だが、俺は慌てない。
なぜかって? フィーリアが任せろと言ったからだ。
なら俺は黙々と、トンボ野郎の鼻面に一発ぶち込む準備をすればいい。
「アシュリーちゃんの方には行かせません。――落ちてください」
巨人が腕を伸ばし、魔物を捉えて水面に叩きつけた。
「バパアアアッ!」
魔物が悲鳴を上げる。
俺は水面に浮かぶ魔物の目前に迫って拳を構えた。
「悪いな。お前に恨みはないが、好き勝手暴れ回られるわけにもいかねえ」
そしてそのまま拳を振るう。
水中であることに若干の動きにくさは感じないこともないが、元の鍛錬量が違う。
お前ももっと訓練してりゃあ強くなったかもしれねえのにな。
衝撃に耐えられず破裂した魔物の残骸を見ながらそう思った。
俺とフィーリアはアシュリーのところまで泳いで戻る。
アシュリーは軽く手を振って俺たちを迎え入れた。
「お疲れさま。まさか飛ぶとは思わなかったけど、フィーリア姉のおかげでなんとかなったみたいね」
「そうだな。今回は良いところ持ってかれちまったぜ」
俺は最後殴っただけだからな。
口々に褒める俺たちに、フィーリアは胸の前で手を横に振る。
「いえいえ、皆の勝利ですよ」
「どうした? 急にいい子ぶって」
「ぶってないです。私は元々良い子ですから」
そうなのか。驚きの事実だな。
「……なんか失礼なこと考えてません? 透心使っていいですか?」
「考えてるからやめてくれ」
「ならまず考えるのをやめてください」
半目で見てくるフィーリア。
これはあれだな、話題を変えた方がいいな。
「それよりアシュリー、あの火の魔法どうなってんだ?」
俺はアシュリーに話題を振る。
「あ、それは私も気になりました。たしかに超一流の火魔法使いなら水中でも火をおこせると聞いたことはありますが、さっきの魔法にはそれほど魔力も篭っていなかったように見えましたし」
俺たち二人の言葉を聞いたアシュリーは、ふふんと嬉しそうに鼻を鳴らした。
「あらそう、二人とも気になるのね。なら教えてあげるわ。あれこそがあたしの新魔法、炎魔法よ!」
「ほ、炎魔法……!」
なんか凄そうだ!
アシュリーの説明は続く。
それによると、火魔法と『無限の炎』を以前より上手く組み合わせることで、凄い威力の火魔法が使えるようになったらしい。
術式の結合による魔力伝導率がどうとかとか魔力紋の波形がどうとか難しいことを言っていたが、理解できなかったから即刻忘れた。
まあとにかく、強い魔法を使えるようになったってことだ。
俺はインテリマッスルだからな、何を覚えておけばいいかを知っているのだ。
「やるじゃねえか」
「凄いです、アシュリーちゃん!」
「これでロリロリにも負けないんだから!」
アシュリーは胸の前で両拳を握る。
子供は成長が早くていいな。
俺も負けねえように頑張んねえと。
「にしてもまさか海でも魔物と戦えるなんて、やっぱり一番ツイてるのは俺だな!」
アイスがハズレた分の運がここで回って来たってことか!
「ツイてるというか、きっと魔物の怨霊みたいなのが憑いてますよね」
「たしかに。ここって二年くらいCランク以上の魔物が出てないところなのよ? だからこんなに人が集まってリゾート地みたいになってるんだから。それが突然Bランク……下手したらAランクレベルの魔物が出るなんて……」
「……ってことは、そんな中で魔物と戦えた俺は最高にツイてるってことか!?」
そういうことだよな!?
そう思って二人の顔を見るが、二人の表情は優れない。
「あんたがそれでいいならそれでいいけどね……」
「いつも一緒に行動する私としては勘弁してほしいところです……」
どうやら二人は俺の運に嫉妬しているようだ。
こればっかりは努力でなんとかなるもんじゃねえからなぁ。お前らにもきっといいことあるさ。
一戦闘終え岸に戻った俺たちに、三つの影が近づいてくる。
「おい、あれってまさか……」
俺はこっちに近寄ってきている三人組を指差す。
金髪をツンツンと尖らせた高身長な男に、紫紺色の長髪をなびかせるグラマラスな女、そしてクリアブルーの髪をボブカットにした小さい女。
つい最近もどこかで見たような三人組だ。
というか間違いない。ババンドンガスたちだ。
三人は手を高く上げて横に振りながら近づいてくる。
その間に俺は全員の格好を軽く観察した。
ババンドンガスはハイビスカスが描かれた水着を着ている。普段のイメージ通りの陽気そうな柄だ。
ネルフィエッサは色気の漂うシックな黒の水着で、歩く度に胸がたゆんたゆんと揺れてるな。戦闘には不利そうである。
ウォルテミアは上下が繋がったタイプの白い水着を着てトタトタと駆けてくる。いつ見ても小動物っぽい。
近づいてきたババンドンガスが俺たちに話しかけてくる。
「おう! 見てたぜ、凄かったな。手伝おうかと思ってたんだが、まさかその前に倒しちまうとは。つーか、つくづく良く会うよなぁ」
「おう。……お前、俺の後ついて来てんじゃないだろうな?」
さすがにこの頻度は異常だろ。
俺が行くとこ行くとこいやがるぞ。特にババンドンガス。
「何が悲しくて俺がお前をストーキングしなきゃいけねえんだよ! それに俺たちはバカンスで一週間前からここにきてたからな。だから多分、今回はお前たちが俺を追ってきた形だぜ?」
なに、そうなのか?
……と、いうことはまさか……っ!
「そ、そんな……っ」
ある事実に辿り着いた俺は、声を震わせて膝から崩れ落ちる。
最悪だ。間違いであってほしいと思うが、状況がそれを許してはくれない。
「私たちが先にいたのがそんなに傷つくことなのかしら……?」
傷心の俺にネルフィエッサが疑問を呈するが、これが傷つかずにいられるわけがない。
過去最大級の大問題だ。
ババンドンガスが先にいたということはつまり――
「お、俺はババンドンガスのストーカーだったのか……!」
「落ち着いてくださいユーリさん。その結論は絶対間違ってます」
自分でも気づかなかったが、俺はババンドンガスのストーカーだったらしい。
フィーリアの慰めも今は耳を通り抜けていく。
それならばこうも頻繁に会うことにも説明が行く。まさか俺がストーカーだとは思わなかった。
ストーカーには自覚症状がないと聞くし、つまりそういうことだろう。
「ちくしょう、何やってんだよ俺は!」
俺は砂浜に悔恨の念を込めた拳を撃ち下ろした。
細かい砂粒が衝撃で飛び散る。
その中の数粒が口の中に入り、じゃりじゃりと音を立てた。
瞬間的に吐き出そうとした反応を理性で押さえ、俺はそれらを無理やり呑みこむ。
これは、罰だ。ストーカーなどという卑劣な行為をしてしまった己への。
「え、えーっとユーリ君? ストーカー云々は、多分あなたの気のせい――」
「え、どういうことだよユーリ! お前俺のストーカーだったのか!? マジかよお前!」
「ああもう、ババンドンガスまで……」
ネルフィエッサがこめかみを抑え。
「お兄ちゃんとユーリさんは、頭が弱い」
ウォルテミアがそう締めた。




