122話 誰が何と言おうと理に適った方法
俺たちはプールサイドに立って、次の策を考える。
溺れたフィーリアが元気を取り戻したのはいいが、このままでは泳げるようにならない。
何か突破口があればいいのだが……そうだ!
「あれをやろう」
「あれ……ですか?」
「なに、別にむずかしいことは何もない。筋肉に話しかけてみるだけでいいんだ。これをやればきっとたちどころに上手く泳げるようになる」
「そんな馬鹿な話はありません……と言いたいところですが、今は藁にもすがりたいだけに困りました……」
フィーリアはやるかどうか悩んでいるようだ。
ここは後押しをしてやるべきか。
「そうは言うがな、これは理に適った方法だ。いいか、筋肉は刻一刻と絶えず変化し続けている。そこに声をかけ意思疎通を図ることによって、筋肉をより自在に操れるという訳だ。常識だぞ」
「今までの人生でそんな理屈は一度たりとも聞いたことがないんですけど、どこの国の常識ですか?」
万国共通のに決まってるだろ。フィーリアも意外と常識知らずなんだな。
「わかったら早速やってみるぞ。『こんにちは、元気?』ほら!」
俺は半ば強引にフィーリアに筋肉と対話させることにした。
フィーリアは戸惑いながらも自分の二の腕あたりに声をかける。
「『こ、こんにちは、元気?』 ……なんか凄い恥ずかしいんですけど」
「恥ずかしがるな。真摯に取り組めよ」
俺は腕を組み、厳しめな声を出す。
こういう時には妥協は許さない。
「わかりました……。それで、次はどうするんですか?」
「そうしたら裏声で返す。『うん、元気だよ!』」
「裏声!? 筋肉と会話するんじゃないんですか?」
何故かフィーリアが目を丸くした。
「馬鹿かお前。筋肉が言葉を発するわけがないだろうが。お前はそんなこともわからないのか?」
まさか筋肉が本当に言葉を話すとでも思っていたのか?
だとしたら相当ヤバいぞ。
「なんかすごく理不尽なお説教を受けている気がするんですが……」
「裏声で筋肉の声を疑似的に再現するんだ。筋肉は言葉を話せないだけで雄弁だからな。泳げるようになりたいだろ?」
俺の言葉に、意を決したように頷く。
「なりたいです。……わかりました。『う、うん、元気だよ』」
「恥じらいがあるぞ! もっと元気よくだ!」
「『うん、元気だよ!』」
「よーしいいぞ、その調子だ。どんどんいい感じになってきた」
真剣にやってくれて俺は嬉しいぞ。
十数分後。
「やっぱり泳げないじゃないですかぁ……」
プールサイドに足と尻をぺたんとつけ、恨みがましい目で俺を睨みつけてくるフィーリア。
成果を見るために泳いでもらったのだが、結果は先程とほとんど同じものだった。
「まあ、こんなことで泳げるなら誰だって泳げてるわな」
「!? ひ、酷過ぎる……! 私を弄んでたんですね!?」
まったく、何を言っているんだろうか。
「都合のいい時だけ筋肉に頼ろうとしても駄目に決まってるだろ。常日頃から筋肉を愛していなければ、応えてくれるわけがない。違うか?」
「知りませんよ!」
全く成果がでなかったせいだろうか、フィーリアが怒りだしてしまった。
そんなフィーリアに、俺は最後の切り札を使うことにする。
「仕方ない、最終手段だ」
「最終手段とか言って、また碌でもない事やらせるんじゃ……」
「いや、今度のは確実に結果が付いてくるはずだ。時間は相応にかかるだろうがな」
俺はそう言って、フィーリアをプールへ促した。
バシャバシャと足をばたつかせるフィーリア。
溺れそうになりながらも、その身体は確実に前へと進んでいる。
そしてその伸ばした腕の先には、俺の手があった。
最終手段――それはつまり、手を持っての補助だ。
「ほら、足が止まってるぞフィーリア! 一二、一二のリズムだ!」
「な、なんかこれ、とてつもなく恥ずかしいんですけど……」
水面から顔をだし抗議するフィーリアの頬は、運動によりわずかに上気している。
「恥ずかしがってられる立場か? そんな暇があったら泳ぎの練習だ!」
「うぅ~、スパルタ反対ですー……」
これなら確実に泳げるようになるだろう。
というか、これで駄目ならもう俺に手伝えることは何もない。
そして数日後。
「よし、あと少しだ! 頑張れ!」
俺はプールサイドから応援を送る。
泳ぐフィーリアは少しぎこちなさを残しながらも、プールの縁まで泳ぎ切った。
五十メートルを五往復……何メートルだ? わからんが、数日でこれだけ泳げるようになれば上等だろう。
「よく頑張ったな」
俺はプールサイドから手を伸ばす。
「やった、やりましたユーリさん!」
フィーリアは歓喜しながら手を取った。
プールサイドに上がったところで俺は手を離した……のだが、フィーリアが離してくれない。
「ユーリさんユーリさん!」
「なんだ、どうした?」
「手、ハイタッチしてください! このままだと興奮が収まらなくて多分明日熱が出ます!」
そう言って俺の手を離し、胸の前でそわそわと両手を構えた。
熱を出されては敵わない。その手に勢いよくハイタッチする。
「やったなフィーリア!」
……あ、やべっ。結構強めにやっちった。
「やりました! ……って、強い!」
そう言い残し、フィーリアの身体はプールに逆戻りする。
「悪い、加減を間違えた」
「もう、勘弁してくださいよー」
手を伸ばしてくるフィーリアの腕を掴んで引き上げようとする――っと、想像以上の力で引っ張られ、俺の身体はプールへと引きずりこまれた。
水面に大きな水しぶきが上がる。
「くそっ、油断した……」
上から胸元を見てしまわないように顔を背けていたせいだ。
これが戦いだったら負けていたかもしれない。俺もまだまだ未熟だな。
悔しがる俺を見たフィーリアは、してやったりという顔で愉快そうに水を飛ばしてきて。
「にひひ、お返しです」
そう楽しそうに笑った。
帰り道。
王都からは飛竜で来れるが、アスタートからは地竜で帰るほかない。
さすがに泳ぎ続けて疲れているはずのフィーリアを背負って走るのも可愛そうだからな。
「それにしても、ついに私も泳げるようになってしまったんですね。どうしましょう、私がより完璧になってしまいました……」
地竜車のある場所まで歩きながら、フィーリアがそんなことを言う。
「あと千年ぐらい生きれば完璧になれそうだな」
「またまたー、嫉妬しちゃって~」
「でもエルフならそのくらい生きれるのか? なら可能性はありそうだな……。良かったな、フィーリア!」
「いえ、かける言葉が違いますよ? 私はもう完璧なんですって」
「ハハハッ、面白い冗談だ」
「冗談じゃないですっ。げ・ん・じ・つ! 現実ですよ!」
現実だと……?
「落ち着け、冗談だろ? 冗談だと言ってくれ……!」
「え、そんなに必死になるほどですか?」
「当たり前だろ、フィーリアだぞ! どこが完璧なんだ!」
ふざけるのもいい加減にしろ!
「今私、凄い勢いで傷ついてるんですけどっ」
上目遣いで睨みながらふくれっ面をかましてくる。
怖くはないが、ここは謝っておくのがいいだろう。
「ごめんな。言い過ぎた」
「しょうがないですねー。普段なら馬車馬のごとくこき使うところですが……」
そこで一旦言葉を止め、こちらを見てくる。
「泳げるようにしてもらいましたからね、許してあげます」
「いや、俺は手伝っただけで泳げるようになったのはフィーリア自身の力だぞ」
「おお、いいですよユーリさん。その調子で引き続き私を褒め称えてください。ほら、もっともっと!」
うわ、コイツうぜえ!
「さあ、帰りましょうユーリさん!」
フィーリアは朗らかな笑みを浮かべて俺の前を行く。
「ああ、帰るか」
俺はそれに続いて王都へと帰るのだった。




