117話 未体験な感情
そして夜。
アシュリーと別れた俺とフィーリアは、宿を目指して夜道を歩く。
あれだけ賑やかだった街道は、昼間の騒ぎが嘘のように沈黙を保っている。
「お昼はよかったですけど、夜になるとこれは目立ちますねー」
フィーリアが自身の影を指差す。
暗い夜道を白い影が鮮やかに彩っていた。
そしてその隣には俺の桃色の影。たしかにこれは中々目立つ。
「……なんだかちょっと恥ずかしくありません? 皆の視線が集まってる気がして」
そう言ってフィーリアは気持ちを紛らわせるように銀髪を耳にかけた。
「俺は別に気にならないけどな。フィーリアと一緒に歩けることを自慢する男はごまんといるだろうが、恥ずかしがるやつなんていないだろ」
酔ってるときは別だがな。
大体、いつも「美少女な私は皆の視線を集めてしまうんです!」なんて言っているフィーリアらしくない。
そう思って横を向くと、フィーリアは暗い中でもわかるくらいに頬を赤くしていた。
「そ、そうですか……そういう意味じゃなかったんですけど……」
「……ああ、そうなのか?」
その顔を見てしまった俺は特に言葉も思いつかず、そんな曖昧な答えを返した。
それからしばらく無言で歩いていた俺たち。
人目もなくなり、もう少しで宿まで着くといったところでフィーリアが口を開く。
「アシュリーちゃん、嬉しそうでしたね」
「そうだな」
「ちゃんと仲良くなれたみたいで、私は一安心です」
「やっとって感じだけどな。アイツは俺のことが嫌いというか、フィーリアのことが好きすぎる」
俺の言葉に、フィーリアがクスッと笑う。
「それは仕方ないですよ。何を隠そう、私は誰からも好かれる超絶美少女エルフですからね!」
「ハッ、言ってろ」
そう言って俺も笑った。
フィーリアは身体を揺らし、歩くスピードを緩める。
それに合わせてゆっくりと歩く。
夜の匂いがした。
「ユーリさん、アシュリーちゃんにはカバのぬいぐるみあげてましたよね」
「おう、そうだな」
フィーリアが両手の指の先を胸の前で合わせる。
その手を薄桃色の唇に当てながら、一瞬だけ拗ねたような顔をした。
「私には何もくれないんですか? 嫉妬しちゃうなぁー……なぁんて、言ってみたりして」
言い終わった時には、フィーリアはすでに明るい微笑を浮かべていた。
「あ、冗談ですよ? そう、冗談。……騙されましたぁ?」
そう言って、いつもの俺を小馬鹿にしたような表情をするフィーリア。
その顔を見て、俺は立ち止まった。
「……どうかしました? 早く帰りましょうよー。……あ、超絶美少女エルフのフィーリアさんと少しでも一緒に歩いていたいんですか? もう、ユーリさんったらぁー。めっ、ですよ、めっ!」
数歩進んだフィーリアは立ち止まり、演技がかった言葉と仕草で俺の傍に戻ってくる。
「ちゃんとお前の分もあるぞ? ほら」
そんなフィーリアに、俺は腰の次元袋からぬいぐるみをとりだした。
フィーリアの腰までありそうな、大きなクマのぬいぐるみだ。
「……え?」
「こういうの好きなんだろ? 視界の端でチラチラ見てたのもわかったし」
アシュリーが赤いぬいぐるみに気づく前、物欲しそうな目でクマのぬいぐるみを見ているフィーリアの姿を俺はきっちりと確認していたのだ。
俺の手元のぬいぐるみを確認したフィーリアは、ぬいぐるみを見たままで数秒の間固まった。
あまりの嬉しさゆえだろう。そう思っていた俺に、フィーリアは言い辛そうにしながら口を開く。
「……見てたのは隣の小さいぬいぐるみだってことは、言わない方がいいですか……ね?」
……マジかよ。
たしかに隣には小さなクマのぬいぐるみもあったが、てっきりでかい方がいいのかと思ってた。
「……ごめん」
「い、いえ! 現実的にとれそうなのが小さい方だっただけで、大きい方が可愛かったですし、それはいいんですけど……でも、本当に貰っちゃってもいいんですか?」
そうフォローしてくれるフィーリア。
それが本心なのか、俺を傷つけないための嘘なのかは俺には判別がつかない。
……ただ、落ち着かなそうに裾を握ったり離したりしているのは、このぬいぐるみもそんなに嫌じゃないととってもいいよな?
「フィーリアにはいつも世話になってるからな。それに、これはフィーリアのためにとったもんだし。だから、まあ……そういうことだ」
「あ、ありがとうございます……」
そう言って受け取ろうとしたフィーリアは、ぴたりと腕を止めた。
「これ、中にダンベル仕込まれてたりとかしませんよね……?」
「するか!」
俺をなんだと思ってるんだ。
「……ほらよ」
茶化された俺はなんとなく気恥ずかしくなり、ぶっきらぼうに手渡した。
フィーリアはそれを両手で大事そうに受け取り、両腕で抱きしめる。
「ありがとうございます、ユーリさん。すっごく、すっごく嬉しいです……にひひ」
照れながらはにかんだ笑顔を浮かべるフィーリア。
――ドクン、と。
その笑顔を見た瞬間、俺の胸は声高にその存在を主張した。
心臓が慌ただしく血を全身に運び、息が荒くなる。
喉が砂漠のように渇く。顔全体が熱を持つ。
俺は自分の身体の変化に戸惑っていた。
鍛えぬいた完璧に制御できているはずの身体が、フィーリアの笑顔を見た途端、俺の意思とは無関係に動き始めたのだ。
たしかに今までも似たようなことは稀にあった。からかわれたりして顔が赤くなったこともある。
だが、それらは俺が照れたからだ。
照れたことによる血圧上昇は理解できるが、今回のことはそれとは何かが決定的に違うような――
「……さん? ユーリさん? どうかしましたか?」
どうやら長い間呆けていたようだ。
気が付くと、フィーリアが心配そうに俺の顔を下から覗き込んでいた。
「……フィーリア。どうかしたか?」
「どうかしたかはこっちの台詞ですよ。……大丈夫ですか? 徹夜明けに一日中歩き回ったせいで、体調でも崩しました?」
「何の話だ? 俺ならこの通り、全然大丈夫だぞ」
心配かけまいとそう言うが、フィーリアは引き下がらない。
「熱ですかね……ちょっといいですか?」
フィーリアが踵を上げ、額と額を触れ合わせる。
白い影と桃の影が重なり合う。
ひんやりと冷たいその額と、手に取るような至近距離で聞こえるフィーリアの息遣い。
身体と身体がこれ以上ないほど密着しているという事実に気が付いた俺は、慌ててフィーリアから距離をとった。
「だいっ、大丈夫だ! 俺は大丈夫だ! 何でもないっ!」
フィーリアから顔を背け、フィーリアを手で制する。
「そうですか? ならいいですけど……」
収まりかけた心臓の反乱が、再び巻き起こる。
これは思わぬ接近に照れたからだ、何もおかしくない!
何もおかしくない……のだが、さっきのはなんだったんだ?
心臓の奥がむずかゆいような、いや、むしろ鷲掴みにされたような……とにかく言いようのない感覚だった。
部屋に帰ってきてすぐ。
もしかしたらフィーリアの顔を見ただけでまたあの症状に陥ってしまうんじゃ。
そう思った俺は、魔道具で照らされた明るい部屋の中でフィーリアの顔を見てみることにした。
「はぁー、疲れましたねー」
クマのぬいぐるみを抱えたままベッドに腰掛けるフィーリアを見る。
「ユーリさん、この子ありがとうございました」
フィーリアはぬいぐるみをベッドに置き、手を使ってぬいぐるみと一緒にお辞儀した。
「おう。……喜んでもらえたならよかったよ」
……非のつけどころがないほど可愛いとは思うが、さきほどのような気分にはならない。
これからもフィーリアと変わらず接することが出来そうだとわかった俺は、安堵で胸を撫で下ろした。
それがもう数時間前の話だ。
未だに俺は宿の外で感じた奇妙な感覚を忘れられないでいた。
すでにフィーリアはベッドに入っているが、あの笑顔を思い出すとまだ少し胸が苦しい。
「……やるか」
やり場のない思いを発散するように、いつもより一層力を入れて筋トレを始めた。
筋トレをしている間は、さきほどの得体のしれない感情も意識の外に追いやることができる。
俺は一心不乱で筋トレに打ち込んだ。
「う~ん……」
「!」
聞こえてきたフィーリアの声に、俺は筋トレを止めてピタリと静止する。
やべえ、起こしちまったか……?
どうやら悪い予感は的中してしまったようだ。
フィーリアは寝ぼけ眼を擦り、枕元の魔道具で電気をつけて俺の方を見る。
「……ユーリさん、ちょっとうるさいです……」
「わ、悪いフィーリア」
「昨日から徹夜なんですから、今日は大人しく寝た方がいいと思いますよぉー……。体調も良くないみたいでしたし……」
とろんとした眼でそう呟くフィーリアの腕の中には、大きなクマのぬいぐるみが抱きしめられていた。
「……そうだな、わかった」
怒られてしまった俺は、布団に入って目をつぶる。
すると、脳裏にフィーリアの照れたはにかみが鮮明に浮かんでくる。
「……寝れる気がしねえ」
決して寝付けないまま、今年最初の夜は過ぎていくのだった。
六章『王都の日常?編』完結です、次の話から新章に入ります。
仲間との共闘、信念のある敵、そしてラブコメ?と、書きたいことを好き放題書き殴った章でしたが、いかがでしたでしょうか。
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