108話 数的優位は誰の手に
夜の闇にまぎれてやってきたのは、身長百八十センチほどの頬骨の浮き出た男だった。
両手を黒いコートのポケットに入れたまま、まるで細枝のような脚で一歩一歩こちらへと歩いてくる。
猫背気味な男の後ろには、半透明な数体の黒影が、文字通り影のようにべったりとくっついていた。
その見た目はまるで骸骨の様である。
店の前に着き俺たちと向かい合うなり、男は辺りをキョロキョロと窺う。
騎士団の人払いのおかげもあり、辺りには人影は見られない。
聞こえてくるのは虫の音だけだ。
そんな周囲の様子を確認した男は、拍子抜けしたように呟く。
「……これだけか? お前ら、増援呼んだりとかしてねえの?」
「必要がねえからな」
「なら無駄になっちまうなぁ……。折角久しぶりに全勢力連れてきたってのによ」
男はハァ、とため息を吐く。
冒険者の中でも選りすぐりの俺たちに対して、気負っているような様子はまるで見られない。
「というかなあ、俺は昼からこの店を見張っていたが……お前ら二人」
男は細い指で俺とフィーリアを指差す。
「お前ら昼間中ずっと墓にいたな。まさかあんな近場の墓地に霊を集めにいくと思ってたのか? そんな捕まえてくださいというようなことを、まともな頭の人間がするわけがないだろう。誰だ、そんな作戦を考えたやつは。致命的にセンスがないぞ」
「おいお前。あんまりうちのフィーリアをいじめないでもらおうか……!」
「いえ、あの作戦考えたのユーリさんですよね」
ちっ、フィーリアのやつ覚えてやがったか。
「……俺たちは一心同体じゃねえか。俺の考えたことはお前の考えたことだ。だろ?」
「そんな誤魔化し方は絶対無理ですよ?」
「なるほど、センスがないのは男のお前か」
「うるせえ、そんな真っ黒のコート来てるやつに言われたくねえんだよ。カッコいいじゃねえか!」
「……おう、ありがとよ。んで、何が言いたいんだお前は……」
くそっ、咄嗟のことでつい本音が出ちまった!
呆れている男に、ババンドンガスが口を開く。
「あんた、ジャバギールだろ?」
「お、俺のこと知ってんのか? 嬉しいねえ。俺も有名になったもんだなあ」
怪しいやつがそのまま犯人だったのか。
まあ、死霊魔法なんてそこそこレアな魔法らしいしな。
「Sランクでも穏健派寄りのあんたが、なんでこんなことしてんだよ」
「なんでって、そりゃあ……『この店があっちゃいけないから』だな。それ以外に理由なんてねえよ。穏健派なんて言われてる俺にも譲れないもんはあるんでね。後輩諸君には悪いが、邪魔するなら手加減はしねえぜ。素人じゃねえんだから、覚悟はできてんだろ?」
ジャバギールはそう言って不敵な笑みを浮かべる。
「あなた、状況わかってますか? 四対一ですよ? 大人しく投降した方が身のためだと思いますが」
「クククッ……状況がわかってないのはそっちの方だな。死霊魔法の使い手に数は関係ねえんだよ。対複数戦は俺の本領だ。人呼んで『虚ろな兵隊』――ジャバギール・ガリュンドルの力を見せてやるよ」
ジャバギールがコートのポケットから手をだし、慣れた動作でパチンと指を鳴らす。
すると、その背後の暗闇から無数の黒影がワラワラと蠢きながら姿を現した。
その数は十や二十ではない。あっという間に俺たちはドーナツ屋を背後に囲まれてしまう。
「これでわかったか? 数の利は俺にあるのさ。一対四じゃあない。百対四だぜ、後輩諸君」
そう言ってポケットに両手を突っ込んだまま、したり顔を浮かべて身体を前に傾けた。
「……」
俺は無言で拳を強く握る。
そして周囲を満たす数多の黒影に向けてピストル拳を放つ。
俺に続いて、ババンドンガスが雷魔法を籠めた武器で黒影を攻撃した。
ネルフィエッサは火球で一体を焼き尽くす。
フィーリアも『風神』を起動して辺りの黒影を女巨人の腕で薙ぎ払う。
三人の攻撃により、一瞬にして黒い霊体が十ほど霧散した。
一方、風の弾丸と化したピストル拳に貫かれた霊体は、何事もなかったかのようにその場にとどまり続けている。
……こりゃ全然効いてねえな。
どうやら魔力がないと攻撃が効かないというのは本当のことのようだ。
まさか筋肉魔法でも無理だとは、恐れ入ったぜ。
まあ、それはともあれ――
「これで九十対四だな」
俺はジャバギールに不敵な笑みを返す。
「なんでユーリさんがしたり顔なんですか……?」
「まあいいじゃねえか、ユーリだって頑張ったよ。な?」
励ますな。ちょっと心にくるだろうが。
「やるねえ、名も知らぬ後輩諸君。だけど残念、九十一対三だ」
そう言ったジャバギールの姿が煙に消える、そして背後に強者の気配。
「後ろだっ!」
咄嗟に距離をとる俺にフィーリア、ババンドンガス。
退避した俺たちの目の前で、ジャバギールはネルフィエッサの頭に手を当てていた。
「ああっ……!」とネルフィエッサが苦痛の声をあげる。
青白い手が添えられた頭は黒く忌まわしい光を放っており、不吉な印象だ。
「てめえがネルフィエッサに触んじゃねえっ!」
ババンドンガスが武器に雷魔法を灯してジャバギールに飛びかかる。
ジャバギールは自身の前に霊を喚びだし、それを盾にしながら後退した。
支えを失って倒れこんだネルフィエッサの体をババンドンガスが抱き留める。
「大丈夫かネルフィエッサ……ネルフィエッサ?」
「ババンドンガスさん離れて!」
「ア゛ア゛ッ!」
寸前までババンドンガスの胸があった場所を、ネルフィエッサの火魔法が通過する。
それを見たジャバギールは「ふむ」とポケットに手を入れながら興味深そうに呟いた。
「アア……」
「どうやら戦闘力は低そうだ。……彼女は回復役ってところか? まあ、それならそれで好都合だ。さすがの俺でも無傷で突破は難しそうだからな」
そう言って手で何か合図を出すと、ネルフィエッサはそれに従って黒影の後ろ側へと下がっていってしまう。
「馬鹿なっ……憑依されたってのか!? ネルフィエッサは魔力を纏ってたじゃねえか! それがなんで――」
「ハァ……仕方ねえから教示してやろう。いいか、『俺』が『直接』触れたんだぞ? 誰だろうが憑依させられるに決まってんだろうが。お前、Sランク舐めてんのか?」
そう言って睨んだジャバギールの胆力は、痺れるような大気の震えを生じさせた。
それを通じてはっきりわかる――コイツは強え。
今まで感じなかったことを考えると、実力を隠す術にも秀でているようだ。さすがはSランクといったところか。
一瞬でも気を抜いたら一気に制圧されてしまいそうな確信めいた予感が頭の中を過ぎる。
コイツは一人ではなく、この場にいる死霊たち全てでコイツなのだ。
気配が同化するほどに霊の扱いに長けている……そんな目の前の男が容易くやられてくれる訳がなかった。
ジャバギールの発する圧で空間が支配されつつある中、場違いとも思える鈴の音のような声が発される。
「なるほど。魔力核は首の真後ろ、そこを叩けば憑依は解除できる……ですか」
どうやら透心で憑依の対策法をジャバギールから読み取ったらしい。
それを聞いたジャバギールはピクリと片眉を動かした。
そしてフィーリアを上から下まで眺める。
「……なんでわかった?」
「Sランク、舐めちゃいけませんよ?」
フィーリアは挑発するようにそう告げる。
「……クククッ、そりゃあ失礼した。どうやら優秀な後輩みたいで俺は嬉しいぜ」
ジャバギールは血の通っていない青白い顔で愉快そうに笑う。
その間に俺はババンドンガスの耳元に顔を近づけた。
「ババンドンガス、話は聞いてたな?」
「ああ、もちろんだ」
「お前の連れだ、お前が助けろ」
ババンドンガスの背を一発叩く。
「当たり前だ。連れ一人助けられねえで、何が冒険者だってんだ。ネルフィエッサは俺に任せろ。お前らはジャバギールを頼む。……悪いな、一番厄介なとこ押しつけちまって」
そう言いながらもババンドンガスは俺には目も暮れず、その眼光は霊たちの奥のネルフィエッサだけを射抜いている。
それでいい。各々ができることだけやってりゃあ、結果はついてくるってもんだ。
「ネルフィエッサ、待ってろよぉぉっ!」
飛び込んだババンドンガスは次々と黒影をなぎ倒していく。
まったく、頼れる仲間だ。
「押し付けるだって? 馬鹿言うな、一番強いやつを譲ってもらえてありがたいぐらいだぜ」
俺は黒影に消えたババンドンガスの背中にそう言葉をかけた。
「準備はいいか? 後輩諸君」
ジャバギールは前かがみになって尋ねてくる。
「わざわざ待ってくれるとは、随分と律儀なことだな」
「顔に似合わず後輩の面倒見は良いって評判だったんだぜ? もっとも、こんな事件起こしちゃ冒険者資格は剥奪間違いなしだろうがな」
そう言ってジャバギールは俺の後方に目線を移す。
するとそれに応じて黒影たちが俺へと突進してきた。
ジャバギールと向かい合う以上、コイツラも無視することはできない。
俺では対処法がない以上、中々険しい戦いになりそうだ――と、そう結論付けた俺の考えを吹き飛ばすほどの暴風が、襲い来る黒影を吹き飛ばした。
こんな威力の風魔法が使えるのは俺が知る限り一人しかいない。
俺は銀髪を揺らすフィーリアを見る。フィーリアは凛々しい目で言った。
「ユーリさん、近づいてくる霊は私が風神で処理します。なのでユーリさんは安心してあの人と戦ってください」
その言葉通り、フィーリアは俺とジャバギールを囲むように風の暴風壁を創り出す。
外から壁を通過しようと試みた黒影たちは、漏れなく鎌鼬に切り刻まれたようにボロボロになり消滅していった。
すげえな……。たしかにこれなら黒影の邪魔は入らない。
「ありがとな、フィーリア」
俺は壁の外のフィーリアに声をかける。
「くれぐれも油断しないでくださいね。……ユーリさんが負けたら、私と手負いのババンドンガスさんじゃ、多分どう足掻いても勝てない相手です」
帰ってきた声から、軽く息が乱れているのがわかる。
これだけの壁を創るのは風神をもってしてもかなりの負担がかかるのだろう。
ここまでサポートされて、「もしかしたら負けるかも」なんて言えるわけがない。
ならば今、仲間のために俺が言うべきことはたった一つだ。
「任せとけ。俺に出来るのは、ポケットに手を突っ込んでるあのいけ好かねえ野郎をぶん殴ることだけだからな」
俺は目の前の骸骨男を睨みつけながら拳を鳴らす。
「これで一対一だな、ジャバギール!」
俺がやるべきことは、コイツを叩きのめすことだ。
ここまで何もできなくてストレス溜まってることだし、存分に発散させてもらうとしようか!




