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「…フェアリーハウス」
恐ろしく可愛らしい名前を掲げているわりに、その見た目はごく普通のアパートに見える。
灰色のどこにでもありそうな外観の、二階建てアパート。その名をフェアリーハウス。
これから高校卒業するまで廉次の家となる場所だ。
駅から出た途端に、スーツ姿の自称占い師に追いかけ回されたり、それに動揺したせいで2、3時間道に迷ったりしたが、概ね問題なく到着できた。
そう、たったの2、3時間迷ったくらいで、焦ったり怖くなったりとかしてねぇ。まして疲労なんてあるわけねぇだろ。ないから、頼む、荷解きは明日にして今日はゆっくり寝かせてくれ。お願いします。
そう願いを込めて、廉次はフェアリーハウスのドアホンを押した。
「はい」
なんとなくおばさんが出るだろうと思っていたが、予想に反して聞こえてきた声は男性のものだった。
「あ、今日からお世話になる青柳です」
意外に思いつつ、廉次は簡単に名乗った。
「あぁちょっと待ってね、今開けるから」
機械越しでもわかる、男前な声にドギマギしながら待つこと十数秒。
「遅かったねー、迷った?」
「…あ、はい、少しだけ」
(フェアリーハウスから…ギガント出てきた……!)
心の中で廉次は盛大に突っ込んだ。
華奢な白い扉を開けて姿を現したのは、175cmある廉次より、さらに頭一つ半大きい日本人離れした巨躯の壮年。ブルーのシャツの上に着たオレンジ色のエプロンがミスマッチすぎて似合いすぎだ。
ラグビーしてました、と言わんばかりの太い首、広くて分厚い肩。キリ、と凛々しい眉に、スポーツマンらしい短髪。
不思議と威圧感を感じないのは、笑顔が優しいからだろうか。
この笑顔はなつこい大型犬に通ずるものがある。一目で、廉次はこの男に好感を覚えた。
(友好的な人って、いいよなー)
せっかくの限られた人生、明るく楽しく過ごしたいじゃないか。どうせ知り合うなら、朗らかに和やかな関係を築きたい。
「どうも、今日からお世話になります。青柳廉次です。遅くなってすみませんでした。よろしくお願いします」
「よろしくー。私はここの管理人、佐々友樹です。ささ、入って入って。疲れたでしょー」
「あ、はい」
ギガン…じゃねぇ、佐々さんの後に続いてエントランスに入ってきょろきょろと辺りを見回す。
玄関の脇や上にある磨りガラスから外の光が入るため、中は灯りがなくとも充分に明るかった。
実家の玄関よりも幾分広いそこは、アパートの共同エントランスというよりは、一戸建ての家の玄関のようだった。両脇にある靴箱のせいだろうか。廉次の腰の高さくらいのそれは、白っぽい木目と丸く磨かれた角があいまってなんだか妙に可愛らしい。
右手側の靴箱の上には、淡い緑色のペンキで塗られた木製の郵便受けが4つ、壁から提げられていた。
(郵便受け…少なくねぇ?)
二階は二階で別にあるのだろうか。
廉次は訝しげに、二階へ続く正面の階段を見遣った。
いや、例えそうだとしても、一階あたり4つというのは少ないような…。
あれ、そもそも鍵開けないと入れない玄関の中に郵便受けっておかしくね?どうやって郵便配達のおっちゃんたち、ここの郵便受けに入れるんだ?ん?ひょっとして玄関扉は鍵かかってないのか?え?でも、ここ、普通の家みたいな作りしてるし…。
(…そういや俺、下宿の説明、ちゃんと聞いてなかった)
手続きは、この下宿を紹介してくれた義父と、東京在住の兄にすべて任せっきりだった。廉次が青森から手続きに行くよりも、東京在住の2人に任せた方が距離的にも楽だったからだ。
そして編入試験の勉強や、転居のごたごたに気を取られ、どういう場所に引っ越すことになったかなど、今の今まで全く気にしていなかったのだ。
(こういうところが抜けてて心配だって言うんだろうなぁ、母さんは)
自分でも少し呆れながら、廉次は佐々に促され、スニーカーを脱いで綺麗に磨かれた木目の床に上がった。
諸々の疑問はひとまず飲み込んで、佐々について左へと足を運ぶ。
「……………」
左の通路は広い廊下で奥が行き止まりになっている。その両脇に個別の部屋に繋がるドアが付いていた。
向かって右に二つ。左に二つ。
以上。
「………」
(え、す、少なくねぇ⁉)
け、けっこう奥行きあるよな⁉
左側手前にあるのは風呂場(『湯』と書かれた暖簾から察するにたぶんそう)、その奥は『管理人室』(こっちはプレートが掛かってる)の計二つ。
右側は手前がライトブルーの扉で、奥がモスグリーンの扉だ。