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BLUEMAP-青い世界の物語-  作者: 石榴石
~囚われの少女~『上』
8/30

第六幕『少女の名』

挿絵(By みてみん)

「――嘘よ……。そんな、そんなことって……」

 フードを被った少女は、額に滲む汗を拭うことなく走った。先ほど見たものを忘れようとするかのように。



――



「ナイト様……」

 伸ばした手の先には何もなく、ただ、目の前は絶望で真っ暗だった。

「あ……」

 いつもと変わらない、目を閉じていた頃よりも暗いこの暗闇が、少女が夢から覚めたことを教えてくれた。


 夢を見ては目覚め、とてつもない虚無感に襲われる。そんな日々を、もうかれこれ幾年も過ごした。

 気の遠くなりそうな年月の中、少女は空想し、演じた。理想の自分を、まだ知らぬ幸せを。

「ホーリーナイト様……」

 夢に現れた男の顔を見たのか、見てないのか。その顔は、ぼやけた姿しか思い出せなかった。

(私の望みを叶えてくれるといったのに)

 あの時心の奥では死を望んでいたのならば、ここはすでに死の世界であるのかもしれない。貴女は既に死んでいると言われても、何の感情も湧いてこない。

――ああ、そうか。

(結局は、どちらを選んでも、あるのは死……)

 自分は、この死の運命から逃れることは出来ない。

 望んだものは、夢の中に消えてしまった。


 死を明日へ控え、生きた心地がしない――とはいうものの、生きているとはどういうことなのだろう。

――どうすれば今、自分が生きていると思える? 己が生きていたと証明できる?


(所詮、夢は夢。本当はわかっていたはず)

 一度目覚めると、先程まで居た場所に戻ることは不可能。夢は儚く、ささやかな祈りを聞いてくれる神はどこにもいない。

「ああ、こんな人生とは。虚しい」

(そして呆気なく、終わってゆくのね)

――果たして私に、この世に生れ出た意味はあったのだろうか。

 少女の嘆きは心の中だけで響く。

「ナイト、様……」

 そして深く、少女が落胆のため息を吐いた事を知るものは、誰一人として存在しない。



――



「夕食をお持ちしました」

 時を知るのは、いつもこの声がした時。

 食事の時間が来るたび、黒っぽい服の少女がそれを運んで来る。

――重い扉が開くのは、その時だけ。

 闇色の服を着た小柄な少女は、手首にはめられた鍵の束から、慣れた手つきで一つを取り出す。そして、小さな手で淡々と鍵を開ける。

 少女の仕事。他の人間がこの扉を開けているのは見たことがない。

 そして、この部屋の数少ない家具の一つである、簡素な木製テーブルの上に銀色のトレイを置く。

 今日の食事の内容は、いつもより、多少ではあるが豪華なようだ。いつも銀の安っぽい食器に、いつもは病人用であるかのような食事だった。

 しかし特に気になったのは、小皿に乗っている、柔らかそうだが箱のようなそれだ。

円を何等分かに切り取ったような、扇形のそれ。一応、食べ物だとは思う。

「これは、何?」

 そこでふと、少女へ質問を投げかけてみる。

「こちらは、明日へ迎える誕生日のケーキでございます。ささやかですがお祝い申し上げます」

 表情は一つも変わらない。仕事の一つをこなしただけのようで、淡々とそう述べた。

「それでは私はこれにて」

 フリルのあしらわれたエプロンの前で手を揃え、少女は丁寧にお辞儀をする。

 闇色のスカートがふわりと広がると、身を翻す。そうして再び、重いドアの向こうに消えていった。

 ガチャリと鍵の音がした後、そこにさらに鎖もかけられる。

 あの少女は、いつもこんな感じだった。

 冷たいと言えばそう感じる人もいるだろう。でも実はそうではなくて、言葉遣いは柔らかく丁寧なものだ。

――逃げようと思えば、いくらでも逃げられただろう。相手は自分よりも小柄な少女。しかも自分より幼いかもしれない。

 しかし、逃げようという欲などは持ち合わせていなかった。決して逃げられはしないと、心の底では感じでいたのかもしれない。


「誕生祝い……これはどういう皮肉なのかしらね?」

 添えてあった小さなフォークで、ケーキの角をふわりとすくいあげる。

 口に入れた瞬間――甘い。

 ひんやりとしたクリームと、ふわふわの生地。この触感には、予想外の衝撃を覚えた。

(なんて不思議な味なのかしら……)

 “ケーキ”は最後に食べることに。

 それから。普段は食べられない、ローストチキンをナイフで切り取り口に含む。

――またしても口の中に広がり、ゆっくりとはじけていく衝撃。

「私の憎むべき人たちは、いつもこんなのを食べているの!?」

 これはその人からのおこぼれなのかしら……と一人つぶやいていた。



 食事の時間はあっという間に過ぎ、お腹が落ち着いてくる頃合いになった。

 ランプに灯った火が消えるまで、時間もあとわずか。夕食と共にそのランプは運ばれ、その火が消えるとともに1日が終わる。

――少女の夜の始まりである。

 そして今日は最後の夜。

 何故だかわからないが、今日は胸騒ぎがする。明日を迎えるにあたって、やはり動揺しているというのだろうか。

 少女がそんな風に思いを巡られていると、扉の向こうに何やら、人の声がした。

(……誰?)

 少女は壁に近づき、聞き耳を立てる。


「……気づかれないよう時間を稼いでおります。……様も速やかに、ご自分のお部屋へお戻りになりますよう」

 何を言っているのか、はっきりとは聞き取れなかったが、誰かがいるのは確かだった。

 しかも一人ではない。

 会話をするという意味。

 しかし、一人はすぐにその場からいなくなった。

 得体のしれない何かが向こう側から来るような気がした。

 しばらく様子をうかがっていると、小窓の下の方から、何かが見えた。

 こちらから警戒心を露わにする。


「誰!?」

 一瞬びくりと動いたが、向こうにいる人物は恐る恐る、こちらを覗いてきた。

 どちらにも怯えの色が見えるなか、互いに声なくにらみ合う。

 その目の位置からすると、自分と同じくらいの背をした人物らしい。

 少しおどおどとした、震えているかのような、そんな相手の様子が見て取れる。

 そして、ようやく口を動かした。

「あなたは……誰なの?」

 いきなり現れた謎の人物に名前を聞かれるとは、なんだかおかしな気分だ。どうやら向こうは何も知らないらしい。警戒するには値しないようだ。

「私の名前は――」

 こちらの方から告げる。

「もう、必要のない名前だけど」

 牢獄の中の、少女の赤い瞳は、どこまでも真っ直ぐだった。


「――レナ。私の名前は、レナ・オレリア――」

 


                              -第七幕へ-

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