第一幕『聖なる騎士≪ホーリーナイト≫』
明日、私は殺される。
「……私の人生が舞台の一部だというのなら、なんてつまらない。なんて酷い筋書きなの?」
だれも知らない、誰も歌わない。どんな悲劇だろうと誰も悲しまない。音楽やスポットライトなんて、此処にはない。
「私が犯した罪は一体何? どうして……こんな牢獄に?」
誰もいない。誰に言うわけでもない。真っ暗な闇の中で独り、言葉を紡ぎ続ける。
「神よ。存在、それが私の罪なのですか? この世に生を受けたこと自体が、罪だというの?」
ああ、でも。それならば――この世に神が存在したというのなら、こんな私は初めから存在しなかっただろう。
「……これは罰だというのですか?」
私はただ、それを受け入れる事しか出来ない。抗う事を知らない。生きる気力というものは、ここではすべてが無駄なもの。
私はその場にうなだれる――それだけがこの私にできる事だった。
「明日、私は……殺される……」
(らしい……)
目の前は絶望で真っ暗だった。
窓のない、真っ暗な部屋ではあったが、それよりも心の方が暗く閉ざされていた。
唯一、夢の中にいるときだけは、仄かに明るいような――明るかったような。その儚いあたたかさに包まれる、その時が少女にとっての安息だった。
夢の中ではいつも自分が主人公でいられた。自在に夢を見ることができた。
人は通常、このような環境の中では生きられない。若しくは精神面に異常を来たす。幽閉によって人間の精神は崩壊するのだ。
しかし少女は、眠りの中で夢を見ることにより、精神の均衡を保っていたのだろう。
――それはほんの束の間。夢の中で少女は、自分の舞台を自由に演じる。
「ああ、神よ。全知全能の偉大なる神よ。あなたは私を見殺しになさるというのですか?」
とても長い、桃色の髪をした少女は嘆いた。
少女が座り込み俯いていると、その髪は何度も折り返し地を這う――立っていればその長さはくるぶし程まであるだろう。それがこの少女の姿だった。
主人公はいつも少女、ただ一人のみ。夢の中であろうと、意思を持ったものは少女だけだった。
例えば王子様が現れたとしてもそれは、少女の希望どおりに動く、人形だ。
だが、今日はいつもと違う事が起こった。
届かぬ祈りを捧げる少女の背後に、ほどなくして男の声が響く。
「この世に神などは存在しない。何を嘆く必要がある?」
驚き、少女は顔を上げた。この部屋には誰も入れないはずなのだ。少女の意思が働く、この夢の中では。
「……あなたは、誰?」
前を見据えたまま、凍り付いたような心の少女は、恐る恐る問う。
「それは、お前が一番よく知っているはずだ。俺は、お前の願望や、潜在意識の現れなのだから」
男が答えた言葉は、通常の精神では理解できないだろう。
だが、少女はその言葉を受け入れた。男の言葉を疑うなど、考えられなかったのだ。
「あなたは私の祈り? この……生き地獄からの救世主?」
しかし、何かを諦めたかのように、少女はひどく無機質に笑う。
「ああ……そうよね。あなたは、私をお迎えになった死の神様に違いないわ。……きっと、そう」
それは男を疑うような言葉だ。自分に言い聞かせているようにもとれる。本当は信じたいという心を殺して。
願わくば、現れた男の全てを信頼し、今すぐにすがりつきたい。後ろへ振り向いて、助けを求めたい。少女はどこかでそう感じていた。
自分の吐いた嘘など、すぐにわかるものだ。
「……それとも。ここから私を連れ出してくださる、聖なる騎士≪ホーリーナイト≫さま?」
少女のその言葉を聞いたか否か、男は少女の前に躍り出る。
目前を仰ぐのは黒いマント、その頭には黒いシルクハットの後姿。
「お前が望むというのなら、私はそのどちらにもなるだろう。なぜなら俺は、お前の願望なのだから」
再び同じ意味の言葉。少女は男を信じようと思った。いや、信じたかったのだ。
「……では、私の救世主さま。あなたはどのようなお顔をしていらっしゃるのですか?」
少女は好奇心を含んだ瞳で、黒マントの後姿を見つめる。
「憐れみ? それとも慈しみ? ――私にどのような表情を向けて下さるのですか?」
顔が見えない相手に、惹かれるものがあったのだろうか。返事を聞かぬまま、今度はその背へ、想いを投げかける。
「もし……あなたが死神であるなら、私は、このまま死んでもいいわ。……その方が今の状況を簡単に理解できるもの」
表情は切なく、影を落とす。
「……でももし、あなたが騎士様であるのなら――私を連れ出してくれたとしても、何を希望に世を生きましょう?」
――希望がなければその道を選んだとしても、屍になった事と同じ。
「ああ、でも。救世主さま。そうであることを望んでも……信じてもいいのでしょうか? もしもそうであるというのならば、あなたのお傍に居られることが、私の生きる希望となりましょう」
騎士≪ナイト≫に守られ、存在を必要とされることが少女の生きる望みだった。その夢を叶えてくれる、たしかな存在が欲しかった。
少女は、いまだに返事のないことが耐えられず、前に手を伸ばした。儚く消えてしまいそうな、自らの望みを叶える為に。その望みの先にある、希望を掴みたいが故に。
「私の騎士≪ホーリーナイト≫さま、こちらを向いては頂けませんか?」
しばらくの沈黙の後、男はさらに一歩前へ足を踏み出す。
そして、先ほどとは違って丁寧な語り口で少女へと答える。
「貴女がお望みというならば、私は貴女を振り返ろう。貴女の手を取り、この場から連れ出し、あなたの騎士となろう」
そして――
-第二幕へ-