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BLUEMAP-青い世界の物語-  作者: 石榴石
~囚われの少女~『下』
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第二十六幕『自己犠牲』

「あなたって……馬鹿なの? そんな黒マントなんか着ちゃって、少しくらいは気高い部族なのかと……」

 嫌味を含んだ顔で笑うキャスリン。


「いいから少し俺の話をきけ!」


 悔しそうな表情で俯き、思いを吐き出した。

「レナ姫に瓜二つの、赤い瞳の少女を助けたい」



――



 真っ黒な姿の男は、今までのおおまかな経緯、ここへやってきた理由を説明した。

「レナ姫様から、記憶を奪ったということなのね。なかなかやるじゃない」

相変わらず小ばかにされているようだが、相手にしたら負けだ。


「見た目は姫と同じ……赤い目の女――姫の記憶が本当なら、お前はその女のことを知っている。そして、鍵はお前が持っている」

 キャスリンはその言葉につけ足して言う。

「――はずだった」

それを聞いて、男は驚かずにはいられなかった。

「どういうことだ! 何が起こってるんだ……なぜこんな所に引き込んだ?」

 困惑を侍女にぶつける。

「何者かが持ち去ったらしいの。部屋の扉には、無理やりこじ開けられた跡があったわ」

 少女は自分を責めているようで、表情に影を落とす。

「あの部屋の扉を開けられるのは私……あるいは女王様しかいないはずなのに」

(そうか……ということは、俺が来た頃あの扉はすでに開いていたという事か……)

 男は個人的な思いで軽いため息をつくが、キャスリンに対して責める気はなかった。

「別にお前のせいじゃないだろ。とられたもんは取り返せばいい、今は他の方法を探せばいいのさ」

 侵入者に励まされるとは、なんとも不思議な気分だった。それが的を得ているかは置いておくとして。


 キャスリンは少々ほおを赤らめるが、徐々にいつも通りの冷静さを取り戻していく。

「フォローされる必要はないわ。他の方法というのは、とっくに分かってた事だもの」

 少女は俯いたまま、つぶやく。


「ただ、もう――時間切れよ。ずいぶん物語が止まってしまったもの」

 意味深な言葉のあとに、何やら呪文らしいものをつぶやくと、彼女の体は淡い光を放ち始めた。


「あなたによって創られた、この世界のお話は、主人公が一人二役だなんてホント、変わってたわ――」

 どこか懐かしい――故郷を思うような、優しい緑の光に包まれたこの空間で。微笑む少女は綺麗だった。

「こんなのは初めてで……とても楽しかった」


 少女が発した光は、少女の差しだした両の手ひらの上に集まり、本の形となっていく。


「私の想いは、あなたになら託せる――お願い、どうか、もう一人の……私の姫様をお救いください……」

 少女は弱弱しく言葉を紡ぐ。


 本が現れるのと引き換えに、その姿は光となって消えていく。

「この本では微力でしょうが、きっとあなたの物語の力となるでしょう……どうか……あの囚われの、憐れな姫を――助けて……」


 少女は本の中に消えていった。それでもなお、最後に言った“助けて“という声は、男の頭から離れなかった。


 その悲痛な想いは侍女だけの想いではないのだろう。

――赤い瞳の、記憶の中の少女との、幾重にもなった叫びなのだろう。


 少女は涙とともに消え、ぽつん、と男の足元に本が残されていた。

「ちくしょう……何だって言うんだ。俺には何も出来ないって事か!?」

 苛立つ男のみが、しばらくその場に残って佇んでいた。



――



 静寂の中で男の苛立ちは増す一方だった。

「消えてまで……そうまでして守りたいのかよ。大そうな自己犠牲だな」

 自分の命よりも他人を優先させる、それが男には理解できなかった。

 自分のいない世界で何かを守って一体どうなる。また、そうさせるほどの存在とはなにか。考えたとしても想像もつかないし、自分にはないものだった。

 それに。自分の無力から犠牲を出したように思えて納得がいかない。不甲斐なくて悔しい。

(そもそもなんで俺様がこんな想いをしなければならないんだ?)

 あの少女は自分にとってそれほどの存在なのだろうか。会話をしたこともなければ、そもそも会ったことすらない、そんな相手が。

 しかしそれよりも頭に浮かぶのは、自分にできることは何か、という想いだった。

(俺に出来ないことなど……いや、何ができるんだ。何もできないのか?)

 そして口にはしないが、頭の中では絶望の言葉に苛まれていた。それを打ち消すことを繰り返す。


「考えてばかりってやつが一番いけねぇ」

 不意に言葉を発する。自分の弱さを消すためには、前に進むしかない。

 足元の本に手を伸ばす。

 そしてそれに触れるか否かのうちに、本の中から悲痛な想いが溢れ出てきた。

“助けて……! 誰か……”

 この声は誰のものなのか、少なくとも二人以上の少女の想いであることは男には分かっていた。


(俺と、同じ赤い瞳を持つ。その意味はなんだ。こんなにまで惹かれるのはなぜだ……どうして俺をこんな気持ちにさせるんだ)



――ここは先ほどの本の中の世界なのだろう。男は真っ暗な闇の中にいた。

 やはりどこを見渡しても光は一筋も見当たらない。まっくらな空間だ。

「おい」

 男は誰もいないその空間に向かって問いかけた。一体誰が返事をするというのだろう。

「…………」

 そしてやはり、返事などない。

「いつまでそうしているつもりだ? どうやら今の俺の力ではどうにもならないらしい」

 男は確実に、“自分以外の誰か”に向かって言葉を放っている。諦めたような、開き直りの言葉を。

「……この体は本来お前のものだ。お前がいないと俺の完全な力が出ない。力を貸してくれ。」

 そういうと男は自分の持つ力を開放し、言葉を発するのをやめた。

 そしてしばらくそのまま――脱力した状態で空間に漂っていた。男はここが星のない宇宙のような所だと思った。

 宇宙に行ったことはない――いつか何かの本で読んだくらいだ。

 宇宙には数多の星があり、自ら光を生み出すもの、光に照らされて輝くものと様々だ。そしてそれらは美しい光景を創り出す。

 しかし本当に美しい景色というものは、本の中の世界であり、実際にはそれほど美しい星空というものは見たことがないかもしれない。

 いや、大昔には見たかもしれないが、きっと数百年前くらいだ。すでに忘れてしまった。

 それならば再びこの目で見るのもいいかもしれない。そしてそれを一人で見るのだろうか、それとも誰かと――少女に見せてやったらどんな表情をするのだろう――赤い瞳を大きく見開き、驚いた顔を見てみたい。男はそれを必ず実現させると心に決めた。

 そのためには、少女を死なせるわけにはいかない。自分もこの空間からでなければいけなかった。

「……そうだろう? ジャック・ジン・ジーキルよ」



――



 男が自分に向かって語りかけるのを、ただ黙って聴いていた。いや、ジャックにはそうすることしかできなかった。

 しかし、こうしてじっと縛られ続けることは、ジャックにとって限界だった。

「そうだろう? ジャック・ジン・ジーキルよ」

 その言葉にジャックは覚醒した。

『なぜ……だ……。なぜその名を……僕の本当の名を知っている?』

 知っているものは両親だけのはずだったその名。母親は生きているのかどうかわからないし、父親は人殺しの罪を犯したのちに自殺した。

 自分の真の名を知っているものが他にいるという事が信じられなかった――それは自分が人殺しの息子だという事実と結び付けられるようで恐ろしかった。認めたくなかった。

「俺の名はハイド・エドワーズ……とでも言っておこう。ずっとお前の中に隠れていたのだ。お前の事ならなんでも知っている」

 それはジャックにとって一番恐ろしいことだった。他人に決して心を開いたことがないジャックにとって。

 しかし男は構わず続けた。

「恐れることは何もない。俺はお前自身でもあるのだ。分裂した二つのお前のうちの一人が俺なのだ。だが、このままでは力が足りないらしい。お前の力が必要だ」

 男の言葉の意味に納得できず、怒りさえも湧いてきた。

『僕の体だけじゃなく、僕の全てを奪うのか? ……ふざけるな』

 しかしジャックの怒りなど、男は気にも留めなかった。

「お前より俺の方がよっぽどうまく体を使えているぜ?」

 さらには挑発までしてくる始末だ。

「おっと、ここでお前と俺様が争っている暇はない。人間の人生は実に短い。もっと生きている時間を有用に使わないか?」

 ついには悪魔の姿で説教まで始めてしまった。

『……あんた、俺の事ならなんでも知っているんだな? なら教えてほしいことがある』

 呆れて怒りを忘れたジャックの問いかけに、男はニヤリと悪魔の微笑みを浮かべる。

「何でも教えてやる。体もお前に返そう。……それで“取引”と行こうじゃないか」

『あんたの要求はなんだ?』

 あやしさ以外の何物でもない話だが、まずは否定も肯定もせず話を進める。

「……少女を解放することだ。そのために必要なのはお前の協力と、生きようとする強い意志だ。それがなければ俺もお前も、元の世界に戻る事はないだろう」

 男の要求はジャックにとって、少々分が悪いように感じた。強盗から身代金を要求されているようなものだからだ。奪われたものを取り返すためならば、要求に応えるべきなのだろうか。

 ジャック・ジン・ジーキル――少年は男――ハイド・エドワーズと対峙する。

『少女とは? 何者なんだ。お前の仲間か? ……それなら信用できないな。自分の欲望のために悪魔に手を貸せということなら、僕はここでお前と死んでやる』


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