序章
あの閃光の鋭さは、当時9歳だった彼女の記憶に鮮明に刻まれた。
一瞬にして彼女の両親を、兄弟、姉妹たちをなんの前触れもなく奪ったのだ。
彼女の家は『彼』の手によって焼き落とされ、村も街も、容赦なく火の海に沈められた。
『彼』はしごく簡潔に一言呟いた。
「あっけないものだな」
その声と言葉は、今でもはっきりと記憶している。
恐怖、焦燥、憎悪、畏怖。
あの時ほど震えた日は、きっと今思い起こしたとしてもこの日以外なかっただろう。
何せ、その時の彼女はまだたったの9つにしか満たない少女だったのだ。
両親を目の前で殺され、泣き叫びながら逃げ惑う兄弟たちの声が一つ一つ消えていくのを、この耳で確かに聞いた。
まさに悪夢としか言い様のない出来事だった。
「お前が最後の一人か。」
抑揚のない冷めた声音が、自分に向けられて発せられた。
最後の一人。
つまり、両親や兄弟たちはもうすでに彼の手に落ちたということだ。
少女はその声が自分に向けられたものだと気がつくと、ひどくゆっくりと億劫そうに顔を上げる。
すると、目の前に一人の男が立っていて、こちらを見下ろしていた。
ひどく美しい男だったと記憶している。
腰まで流れる白銀の細く美しい髪に、太陽の下を歩いたことがあるのかと疑問に感じるほどに白くきめ細やかな肌。
切れ長の目にあるのは、仄暗い濁った光を宿す黄金色の瞳だ。
そしてさらに驚くべきなのは、顔の造形である。
かの彫刻師でも彫れるであろうか、という程に浮世離れした美貌の持ち主だったのだ。
微笑の一つでも口元に乗せれば、一体どれほどの乙女たちが恋心を奪われることだろう。
しかし、残念ながら今彼が見せているのは、侮蔑の表情に冷め切った氷のような視線だけだ。
「震えているのか。私のことが怖いのだな」
あれだけの命を奪っておきながら、私にそんなことを聞くのか。
家族を殺され、絶望に濁っていた瞳に、怒りの焔がらんらんと宿る。
それを見た男は、口元に嘲笑を浮かべた。
皮肉にも、男にはその笑みがよく栄えた。普通に微笑むよりも、彼の妖しく危うげな魅力を全面的に醸し出していた。
「生意気なツラだ。だが、嫌いじゃない。怒りや憎しみに輝くお前のその瞳は、宝石なんぞよりも遥かに美しい」
まるで甘い告白のようなセリフだが、少女には皮肉にしか聞こえなかった。
状況が状況でなければもう少しマシな反応が返せたかもしれない。
しかし、今から殺されようとしているという時に出る反応なんて、たかが知れている。
少女はただ、男の瞳をじっと見つめた。
たとえこのまま殺されようとも、目だけは決してそらさないと心に決めた。
目をそらしてしまえば、何かが失われてしまうような気がしたのだ。
右腕は、さっき弟をかばった時に斬り落とされ失った。結局弟は殺された。
剣を握るのに左手一本では心許ない。それに、少女がたとえ剣一本握りしめ相手に向かっていったところで、叶うはずもない。
彼女は、生きる可能性よりも、『王族』として最期を迎える覚悟を選んだ。
たった9歳の子供が、それを選択したのだ。
「ほう・・・、生き恥はさらさぬか。その年で泣き叫ばないとは立派だな。私の部下に斬られた腕が痛くて仕方がないだろうに」
確かに痛い。
本当だったら喉が潰れるくらいに泣き叫んでやりたいほどの痛みだ。
けれど、目の前の男が口元に残忍な笑みを浮かべて見下ろしているのを見ると、不思議なことに涙など枯れ果てたように流れ出てはこなかった。
斬られた腕を抑えながらしゃがみ込む少女と、目線を合わせるように男もまた腰を下ろす。
もう数センチという距離だ。
男は美しいその顔に、気まぐれな笑みを浮かべながら呟いた。
「どれ、気が変わった。娘、命乞いでもしてみろ。助けてやる」
少女の心が揺れた。ふつふつと湧き上がる激しい怒りに。
こんな屈辱は他にない。敵に命乞いをして助けてもらうなんて選択肢は、少女の中には存在しなかった。
激しい怒りに少女の瞳がいっそう煌めき、青と緑が混ざり合ったような色の瞳がより美しく輝いた。
「笑わせてくれる。誰が貴様なんぞに命をこうか!そんな屈辱を受けるくらいなら、私は喜んで死を選ぶ」
9歳の少女とは思えない、しっかりとした言葉だった。教養の高さが伺える。
すると、男は少女の言葉に満足したかのように笑みを深め、少女の頬に指を伝わせた。
「そうか、気に入った。では、お前が死よりも恐れる屈辱を与えてやろう。」
それは、なんの前触れもなく訪れた。
突然目の前が陰り、唇に熱と吐息を感じた。その行為を理解するには、彼女はまだ幼すぎた。
理解できたのは、自分の唇を相手のそれにふさがれているということだけだ。
驚きと反射で相手を押し返そうとするも、体が動かない。
恐怖で、というわけではなく、何かで縛られているかのように指一本動かせないのだ。
そして動かしたくもない口が、今勝手に開こうとしている。
無理やり閉じようと試みても、少女の体はまるで他人のモノのようにまるで言う事をきかなかった。
それどころか、少女の薄く開いた唇の隙間からあざ笑うかのように男の舌が滑り込む。
歯列をなぞり、舌を絡め取られ、官能的な動きを見せる男の動きに、少女はただ喘ぐことしかできない。
生まれて初めての感覚に、背筋がゾクリとするのを感じた。
「―――ぃ、っ」
突然、下唇の右端にピリリとした鋭い痛みが走る。男が噛み付いたのだ。
口の中に、じわりと鉄臭い血の味が広がる。
すると、男は唇の内側ににじみ出た少女の血液を舌ですくい取った。
傷口を舌でなぞられ、ピリッとした痛みが走ると少女は顔をしかめる。
「・・・悪くない。あと10年もすれば、きっと私好みの女になるだろうな」
この先の楽しみが出来た、と男が薄く笑う。
「娘、名は?」
誰が名乗るか、と口を閉ざそうとするも、またもや口が勝手に動き出す。
―――――――――・・・・・・。
カタコトな言葉で紡がれた少女の名に、男は「ふむ・・・」と考え込むような素振りを見せた。
「暁の巫女の名だな。なるほど、気高く美しいお前に相応しい名だ」
男は、少女の耳に顔を寄せると、低く甘美な声で囁いた。
「私の名はヴィンセント=イヴィ=シルバンス。ヴィーでいい。数年後、お前の夫となる男の名だ。覚えておくといい」
少女は告げられた名を、胸の内で何度も呟いた。
憎むべき相手の名だ。忘れようもない。
そして異変は起こった。
「ぅ・・・、あ、あああああああああッ!!??」
今までに経験したことのない激痛が、少女の体を襲ったのだ。
内側から襲い来る耐え難い激痛に、少女はなすすべもなく絶叫した。
熱い、痛い、苦しい―――!!
意識を手放すのに、そう時間はかからなかった。
少女が最後に見たのは、ヴィンセントの微笑。
そして、「また会う日を楽しみにしている」という彼の甘い言葉だった。
―――ルードラ歴523年 朱の月
かつて「幻の庭園」と呼ばれ人々を魅了した北の小国『スノウガーデン』は、この日、地図の上から姿を消した。
攻め落としたのは、魔族の生き残りであるヴィンセント=イヴィ=シルバンスという男だった。
この男は後に覇王と呼ばれ、この世界に君臨することとなる。
そして、歴史書に記された『スノウガーデン』の王族の生き残りは“0”。
小国『スノウガーデン』は、この日、300年の歴史に静かに幕を下ろした。
こんな感じのスタートです。
面白くなるよう、自分なりに頑張りますので引き続きよろしくお願いいたします_(._.)_