異国の美姫と吸血鬼 6
ズ、と皮膚になにか固いものがするどく、深く突き刺さる。痛みは一瞬。後に身に広がるのは恐ろしいほどの悦楽と倦怠感。
闇の中で、眼を封じられたまま、なすすべもなく血を奪われた。
翌朝目覚めたとき、ヴォルフは即座に己の体に起きた異変を感じ取った。
発熱に、ひどい汗、体のなかを何か無数の虫がうごめいているような、そんなぞっとする違和感。
「流行り病か……」
つぶやいて額に浮かぶ汗を拭う。
確実に、発症の兆しであった。
「クロイツ」
身支度を整えて外に出ると、一足先に賊から水をもらっていた青毛の駿馬がこちらの方を振り仰いだ。尻尾をはげしく揺らし、いきなり前足をトントン鳴らして暴れ出したため、賊はあわてて身を引いた。
すまぬな、と口の中でつぶやきながらヴォルフはそちらの方へ近づいていく。クロイツは動物の本能でヴォルフに近づかないほうがよいと知っているようだった。
「クロイツ、落ち着きなさい。おれの馬であるおまえがおれと同じ病にかかっていないわけがあるか?今更離れても無駄なこと。すぐに出発するから飼葉をやろう」
不機嫌そうに暴れる馬に勇敢にも近づくと、ヴォルフはそういって鼻面を押さえつけた。
「騎士の兄ちゃん……」
「世話になったな。悪いがもう行く。時間があまり残されていないようだ」
クロイツに餌をやり、自らも顔を洗うと、即座に出発した。食事などはとても取れるような体調ではなかったので、腹に入れたのは水だけ。
***
谷を越えるとそこは真冬だというのにも関わらず暖かな光あふれる街が広がっていた。
汚物の垂れ流されていない清潔な路、つやのいい人々の顔、引き締まった顔立ちの警備兵。
しっかりとした城郭に護られるようにして木組みの家々が立ち並び、街の中央に建てられた石造りの教会を超え、ゆるやかな丘陵を登った先にそびえたつ巨大な城。
すべてがヴォルフの耳に入ってきたバーデンの噂をくつがえす、実に平和で穏やかな色合いに満ちていた。
「止まれ、止まれーッ!」
ドカッ、ドカッと蹄の音を響かせながら正門まで到達する。即座に数名の警備兵が槍を鳴らしてゆく手を塞ぎ、ろうろうと声を張り上げた。
「我らバーデンの街を訪ねる騎士よ! 何ゆえそのようなみごとな馬を駆り、みごとな剣を携えてここまで来られた! 名を名乗られよ、そして我らをこの場所から動かしてみるがよい!」
「私はフランク地方南の自治都市トリアーにて騎士の称号を受けた者、ヴォルフラム・リヒター。先日我々の街で発生した未知の病の解決法を求めるためこうして馬を駆って参った。ザックス・ドルトムント国王陛下にお目にかかりたく願う」
名を名乗った瞬間、警備兵の眼に驚きと畏敬の色がありありと浮かび上がった。それはそうだ。
トリアー騎士団は現フランク地方において最強の戦闘集団。つまりほとんどこの大陸において最強の騎士団なのだ。武器を持つ戦士ならば誰もがその団長・副団長を務める騎士の名を知っている。
特にヴォルフとジークフリートはそれぞれ大陸一の剣士、槍使いとの誉れ高い。ゆえ、知名度はかなり高かったのである。
「で、ででででは貴方様がかの有名なリヒター様だと!? こ、これは大変ご無礼を致しました、すぐにお通しいたしますぅ!!!」
名乗った途端、警備兵たちはまっさおになってわたわたと頭を下げたり槍を収めたりし始める。ヴォルフは頷きながらもクロイツからは降りようとしなかった。こうした方が街の様子がよく見えるし、なにより一人で歩けるほど体力があるならば、帰りのために温存しておきたかったのだ。
「やべえ! 俺大陸一の騎士にあんなえらそーな口利いちまった……! どーしーよーっ」
「殺される? いや斬られるか、焼かれるか!? ついこの間広場でひあぶりにされたあの異国の魔女みたいによお!」
眼に涙をたたえながらひそひそとささやきあっている警備兵たちの声に耳がぴくりと反応した。異国、との単語が昨夜聞いた話にかぶる。異国の美姫。しかし魔女とは、火あぶりとはどういう意味だ?
わからないことは山積みだが、とりあえずシカトを決め込む。
しばくして案内するとやってきた高位そうな警備兵の後について、かぱかぱとクロイツと共に進んでいった。
……それにしてもだるい。
吐きそうだ。燃えるように体が熱い。
しかしおれはそれでも、例え死してでもトリアーを救わなければならぬ。神にそう誓ったのだから。
おれは、トリアーの騎士なのだから。
街の人々の好奇の視線を受け流しそんなことを考えていた矢先、急に辺りがざわめき、クロイツの足が止まった。 ヴォルフは何事かと伏せていた顔を上げる。
すると目に飛び込んできたのは目前の広場に馬を駆って現れた、長身赤毛の堂々たる男だった。
見るからに高級そうな光るびろうどで作られた外套に、よく手入れされ磨かれた長靴と剣。装身具は所々が控えめに宝玉で飾られて、あきらかにとてつもなく身分が高い。
だが本当にヴォルフを驚かせたのはその男の、さらに後ろに立つ女性である。
いや、女性かどうかは定かではない。
なぜなら、その者は仮面をつけていたからだ。仮面にくわえて帽子をかぶり、完全に顔を隠していた。
その者が女性であるということを物語るのは、帽子の影の下からのぞく驚くほど白い肌と、毛皮の外套の下に垣間見える、体に吸い付くような細身の深紅色のドレスだけ。
彼女が先ほどの身分の高そうな男とともに広場に現れた瞬間、恐怖のさざめきが周囲の住民の間から沸き起こった。
誰かが叫ぶ。
「い、『異国の美姫』……っ!?」