異国の美姫と吸血鬼 5
そしてその後さらにヴォルフが賊をボコボコにしたり締め上げたり、いろいろごちゃごちゃとやっている内に小一時間ほどが経過。
「アニキぃ~、もう一杯飲んでくだせえよ!」
つめたい風がびゅーびゅーと吹き荒れる、谷上方のぼろい掘っ立て小屋にて、ぼろい賊たちに崇め奉られているヴォルフの姿があった。地面に板を置いただけの床のうえに毛布を敷き詰め、だんろらしきもので火を焚き、土くさいが味のあるぶどう酒やら肉やら木の実やらでもてなされているが、なんとなく困惑したような顔をして賊からの酌を受けている。
「……いや……あまり飲むと明日の出立にひびく……」
「けちくせえこと言いなさんなって。あんだけ強けりゃあ少々酔っ払ってたってなんにも怖いことなんかありゃしねえよ!なあ、おめーもそう思うだろう、すばらしいお馬さんよ?」
ヴォルフの隣には寒いからという理由だけで室内にいれてもらえたクロイツがうずくまっていた。もともと大きな馬なのでそれだけでほとんど小屋の半分が埋め尽くされそうな勢いである。
ヒン……とどことなくうざったそうな雰囲気をかもし出しながらつぶらなお目目を眇めるクロイツの背に、ヴォルフは片腕を回しながらため息をついてみせた。
「クロイツ……なんでおれたちはこんなことになっているんだ?」
知りません、ご主人様、とクロイツは言いたかった。人間の言葉が話せたなら。
「そもそもこいつらは敵だったはずではないか……。」
そうです。だけどそのあんまりのお強さに賊が惚れこんで一晩泊らせてくれることになったんじゃありませんか。
「困ったな。明日中にバーデンへ入る予定だというのに、この様子では二日酔いに苦しみそうだ」
だいじょーぶですよ、ご主人様死ぬほどお酒強いんですから。
「ささ、ささ、ぜひもう一杯!」
接待の基本文句を言いながら賊がさらにぶどう酒をすすめてくる。ヴォルフとクロイツは言語と種族というふたつの大きな壁など物ともせずに意志の疎通を行って、おたがいにうんざりとした顔を交し合った。
夜は長そうだな……
「わかった、ではもう一杯だけだぞ。」
「そうこなくっちゃよお!おかしらの作った特製ぶどう酒なんですからあ~」
特製?
一口ふくんだぶどう酒を喉元でぐびりと言わせてヴォルフは固まる。大丈夫なのかコレ!?とあわてて省みるも、賊がそれよりい、と大きな声で話し始めた話題にさえぎられた。
「騎士の兄ちゃんはあのバーデンを目指してるんすよねえ?まったくおっそろしい方でさあ!」
おそろしいとはどういう意味だ、と木製の杯を地に置きながら口元を拭った。いまのヴォルフにとっちゃこのぶどう酒の方がよっぽど恐ろしい。
賊たちからおかしら、と呼ばれているリーダーらしき男が愉快そうに笑って言った。
「まさかお前さん知らないわけじゃあるまいて?あの街を治めるキチガイ領主とその手中の珠、吸血鬼やら魔女やら『異国の美姫』の噂をよお。」
「異国の美姫……?」
耳に新鮮な言葉に思わずおかしらの方を見据えてしまった。
キチガイ領主ザックス・ドルトムントのことは騎士団副団長として知らないはずはなく、となるとそこに付随してくる吸血鬼やら魔女やらの噂ももちろん知っているヴォルフであるが、「異国の美姫」なる美しい単語は今はじめて耳に入れた。今までのバーデンのイメージをくつがえす、実に美しい言葉ではないか。
「なんだ、それは。ザックスの飼う魔女のことか?」
「ちげえ、ちげえ!なんだ、知んねえのかよ騎士のニイチャン?いわく、“バーデン領主の城にはこの世の女とは思えないほど美しい、魔性の女が住み着いている。誰もはっきりその姿を目に映したはないが、その妖しい魅力を持つ美姫はザックスがその父より領主権を譲り受けた頃より、彼の城に出没するようになったという……”っていう、幻の美姫のことさ。俺たちは聖母さま、と呼んでるが」
「な、会った事が?」
「おうともさ!」
面食らったヴォルフに賊たちが得意げに声をそろえた。
「あんなにお美しい方はいないぜえ、ニイチャン。確かに異国は異国、けどどっかすげえ遠い国のお姫様らしくてなあ、黒くて真っ直ぐな髪がまるで聖母マリア様のようなのさ。」
「しかもお美しいだけでなくお優しく、思慮深くもあられ」
「おれたちがこの谷に住まうことを許してくだっさったんだあ。一度会ってみてくだせえよ、惚れるから」
それはかなりどうでもいいが、と思いながらヴォルフはフム、と口元に手を当てた。なんだか困惑してきたぞ。バーデンという場所には聖と魔が双方混じりあって存在しているというのか。わからぬ。吸血鬼とはなんだ。魔女とは。
聖母マリアがいるという城に、そのような異形の者が住まうはずがないではないか。
「ザックスがキチガイだという噂はまことか?」
「ああ、そりゃあそうっすねえ! あの方のやることっつったら正気の沙汰じゃねえ。知ってますかニイチャン、ザックスは自分の父親を殺してその権力を我が物にしたって話ですよ。で、殺された父親の無念が悪魔を城に呼び寄せたはいいが、ザックスはあろうことか、その悪魔と手を組んじまったって話。夜な夜な奇怪な悲鳴が城から聞こえてきたのを聞いたもんが居たり、血を抜かれた動物の死体が転がってるとか、そりゃもうおどろおどろしい話が絶えない領主さんでさ。政治の腕は抜群なんですけどねえ、それもなんだか雲行きがあやしくって! 北の法皇に宣戦布告をしたらしいですよ、ザックスは」
「……それは我が町トリアーも同じ事だが。まあ法皇の話はどうでもいい。あの暴君はいずれ倒されるべきものだ。それより、そうか。バーデンはやはり魔の地か」
ヴォルフは口の中で呟くと、ゆるく波打つくすんだ茶の髪を掻きあげた。傍から見てもやわらかそうなその髪。すっばらしくハンサムとは言えないまでもまあ整った顔立ち。なにより、見る角度によって不思議な金やブルーやエメラルドグリーンに輝く、深い緑色の強烈な瞳。
賊たちは彼によって負けをもたらされた瞬間から、彼のことを自分達の「アニキ」として無条件に認めるようになった。なぜなら彼はただの育ちのよさそうなオニイチャンではなかったからだ。確かに学もあるし、身なりも綺麗で質のよい服を着てはいるが、ヴォルフはあろうことか自分たちに情けをかけた。自分で倒したくせに自分で肩を貸して、凍え死にしないようにと運んでくれた。もちろんその代わり一晩宿を貸せと脅してきたり、反抗した奴には容赦のない鉄拳をくらわせたりと中々腹黒い部分も見えはしたのだが、その包み隠さぬ率直さに賊たちは惹かれたのだ。
こいつはそこらの騎士とはちげえ。ただの金持ちのためにだけ動くバカ共じゃねえ。
このひとは、すげえ。
このひとのためになら、なにかしてやりたい。
そう思って、“魔の地“バーデンへと赴く勇者を見つめて居た。
「──まあよい。もう寝る。クロイツに手を出すなよ。おれの最初で最後の駿馬、このうえなく賢い馬だ。朝起きてクロイツが不機嫌だったら殺してやる」
「任せといてくださいよ。ゆっくりお眠りを」
「ああ。悪いな。」
「問題ありゃあせんぜ」
うなづいた賊のつやのいい顔を見つめてから、ヴォルフは毛布の上に横になった。クロイツがブルル、と額のあたりに鼻面を押し付けたのがわかったので手を伸ばして撫で返してやる。
──異国の美姫、か。なんとも心揺れ動く言葉だな。
まさかそれこそが自らの命を脅かすことになる「吸血鬼」であるとはゆめゆめ思わず、ヴォルフはふっとまぶたを下ろした。そしてそのまま、疲れがたまっていたのか、あっという間に眠りに落ちた。