異国の美姫と吸血鬼 4
「はぁー……」
ヴォルフが発ってから丸三日過ぎた午前中。
団員達に稽古を施し街をひとりで巡回し流行り病の話を聞きに行った先の教会で司祭にラテン語についての熱烈な講義を受ける羽目になってしまい実に2時間ほど経過した後やっと解放されて戻ってきた城にて団員達から大ブーイングを受けながら仕事をこなしていた所のジークフリートは心から悲痛な様子で羽ペンを動かしていた手を止めた。
とたん、見咎めたように背後からなにやらうるさい小言が飛んでくる。
「休んでもらっては困ります、ジークフリート様。机上のお仕事が片付かなければ昼食を取ることもできませんし、なにより午後には我が町の大富豪ベルガー家との会議を控えているのですよ。間に合わないなどという事態になった場合我々騎士団は巨大な後ろ盾を失う羽目になるのです」
「わぁーかってるっての!ちょっと手止めただけだろう!?全く、どいつもこいつもヴォルフみたいに俺のことを監視しやがって」
「そうですよ、我々はどいつもこいつもそのヴォルフ様からジークフリート様の監視を頼まれているのです」
「ぬあ!?」
「仕事をお続けください。」
鉄仮面の騎士団第二等騎士ヨハネス。位としては騎士団を構成する最小の部隊、小隊をまとめる小隊長である。
この小隊の上に中隊があり、さらにその上に連隊があって騎士団が構成されている。
小隊は一隊二十名程度の部隊、そしてこれが五隊まとまり百名集まったのが中隊だ。
大抵の戦は中隊の単位、で人員を配置することが多いが、戦の規模によっては中隊をさらにまとめて連隊とし、軍に厚みをもたせて膨らませる。この指揮を執るのが連隊長で、この役目はほぼ騎士団長であるジークフリートかその右腕ヴォルフが担うことが多い。
どの部隊にどの騎士を配置するかということに明確な決まりはないが、むろんその実力と経験、人間性を考慮されて配置されることは確かだ。そしてその際にめやすとなるのが騎士たちに冠された等級である。
団長と副団長を筆頭として、何よりも馬術に長け、剣・弓・槍の全ての武器に精通しており、かつ人徳がある者に与えられるのが一等の称号。以下、操ることの出来る武器や馬術の腕前によって二等、三等と階級が下り、四等は騎士として認められたばかりのものが戴く位だ。
一等班の人数はそれほど多くなく約二百名と言ったところだが、二等班には五百名以上、三等以下にはさらに数百の人員がおり、騎士団全体としての総員数は一千を超える。戦などの折りには作戦会議を開いた上、その時々の状況と土地にあわせて配置するのだ。
しかしながら、これはあくまで軍事上、ものごとを判り易く進めるために作られた階級制度にしか過ぎず、騎士団の頂上に立つジークとヴォルフは、実際には団員たちをほぼ平等に扱った。戦意外では階級によって呼び名を変えたり態度を変えたりすることはなく、だからこそ今も、二等騎士でありただの小隊長にしか過ぎないヨハネスがジークの見張りなどという大役を任せられることができたのであった。
全てはジークとヴォルフの団員たちを信頼している気持ちがゆえである。
「なあ……ヨハネス」
「何でしょうか団長」
「あのさー、ちょっとだけ、ちょっとだけ、本読んじゃだめか?今朝司祭様から借りてきたばっかりのさ、ラテン語の本が気になってしょうが」
「なりません。わたくしはヴォルフ様より権限をいただいておりますゆえ、団長の行動を規制する権利があります。仕事をお続けください。」
どこからどこまで手を回している副団長。しかしジークフリートはめげない。下手に出るのがだめならば今度は騒ぐという、子供っぽいことこの上ない行動に出た。
「じゃあ水!香草入りの!あとできればぶどう酒!はちみつ入りの!」
「ぶどう酒以外ならばもって来させましょう。今はなにとぞお仕事を」
「自分でやるよっ、それ位!ついでにトイレも行かせてくれ!」
「いいですよ、護衛つきでよろしければ」
ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う、でヨハネスのあしらいは実にみごと。実は彼、昨夜のバーデン行きに怖くて立候補できなかった己を恥じ、今朝方町の教会でなんとしてもヴォルフの不在を守り抜くという誓いを立ててきたばかりなのである。このような団長のワガママごときに屈していては誓いもへったくれもない。ということで、彼はただひたすらに繰り返しつづけた。
「仕事をお続け下さい、団長。」
「ヨハネス……」
「懇願しても泣いてもダメです。お続け下さい。」
「ヨ~ハ~ネ~スぅ~!!!!」
「仕事・を・お続・け・下さい。ヴォルフ様が帰っていらした際に報告しますよ?」
「~~~畜生ッ」
ヨハネスが絶対に譲るつもりがないと悟ったのか、ジークフリートは身悶えするように叫ぶと、ふてくされて机の方に向き直った。
がりがりがり!となにやら音は不穏だが、ようやく仕事をまじめにし始めたその姿に、ヨハネスは内心大きく安堵。
何しろ、腐っても騎士団長なのだ、彼は。
ふだんへーへーとやる気のないぶん一度その気になるとそりゃもうすさまじいまでに強い。切れる。今はまだヴォルフがいなくなってから日が浅いため気がゆるんでいるのだろうが、一日一日と日が経つほどに彼は団長らしい威厳と器の大きさを発揮し始めることだろう。
ヨハネスはその後昼食時までジークの見張りを務めたのち、午後から己の稽古と勉強をしに行った。
──団長と副団長のためにも、もっともっと強くならなければ。
それは、騎士団員全員が思っていることでもあった。
***
「見渡す限りの凍った谷か……」
一方のヴォルフとクロイツ。
故郷のような大事な街トリアーを出発したのち、彼らは拍子抜けするほどあっさりと野を越え山を越え、出立から約三日後にはバーデンの手前に位置する谷まで進んでしまっていた。
なにやら順調すぎてやや不安だが、いまもっと不安なのは目の前に広がる光景である。
雪に覆われた暗い谷は恐ろしく寒かった。
川こそ流れていないものの、地面は凍り、横に露出している土肌から突出する木の根もまた、鋭利なまでに凍っている。蹄の足元を持ち上げて不満そうにいななくクロイツから降りると、ヴォルフはさて今夜の動きをどうするかと頭を悩めた。
今までは山を通ってきたものだから、捜せばいくらでも温かい岩穴や木蔭を見つけることができたのだ。だがここは谷で、しかも季節は冬。植物も動物も深い眠りについていて役にたたないと来た。もし危険が襲ってきた場合、これほど絶望的な場所もなかった。
もう少し進むか……いや、これ以上はクロイツに負担がかかりすぎる。
「──困ったな。」
呟きながら、ヴォルフが旅の疲れに凝り固まった肩や首を撫でさすっていたところ、ふいにクロイツがけたたましくいなないた。
「!」
弓矢だ。
ヴォルフは即座に反応した。上方から加速のついた雨のように降ってくるそれらを抜いた剣で打ち払い、無防備なクロイツの前を守るように立ちはだかると、谷の上方にいるはずの弓の射手に向けて声を荒げて叫んで見せた。
「何者だ、姿を現せ!」
谷底に響き渡ったセリフはお決まりだったが、直後に返ってきたセリフはその更に上を行くお決まりっぷりだった。
「お宝頂戴!あんたのその見事な馬と剣をいただくぜぇ~、お兄ちゃん。げっへっへ」
──げっへっへって。
本当に使う奴いたんだな!と余計なことを思いながら、ヴォルフは更に繰り出される矢を切り避け続ける。つまるところ、山賊だった。ぼろぼろの布をミノムシの如く体にまきつけた小汚い男ども十数名。
数は多いが、はっきり言って弱そうだった。
「クロイツ。あと十分だ、頼む」
声をかけて飛び乗ると、栗毛の駿馬は答えるようにいなないてくれた。
ぴょんぴょんぴょん、と野猿のように谷の斜面をジャンプしながら降りてくる山賊ども。そいつらが地面に足をつけるかつけないかの内に、ヴォルフはクロイツの脇腹を蹴ると──
──そのまま谷底を一直線に突っ切った。
「うぉ……っ、うおぉおお!?」
思いがけない行動に驚愕し、賊たちは一瞬すくんだ。
それはそうだ。この戦の世、敵と対峙して逃げる人間はあれど、わざわざ突っ込んでくるバカがどこにいる。
ましてや自分たちは山賊だ、泣く子も黙るお山の大将様サマなのに。
「──ぐっ」
「ごあ!」
「……うそぉ!?」
なぎ払われた。
見たこともないような薄刃の剣の、その、『束』 で。
──こいつっ
賊のリーダーはみぞおちに一撃を喰らい、地面に倒れ伏しながら、強烈に理解した。
騎士だ……!