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異国の美姫と吸血鬼 3


「考え直すつもりはないかヴォルフ……」

「ない。しつこい。幾度言えばわかる」

 

 潤んだ瞳ですがりついてくる騎士団長をにべもなく振り払うと、ヴォルフは準備の整った愛馬クロイツへと飛び乗った。馬上にて食料、水、毛布の入った袋をしっかりと鞍に結び付け、最後に団員の差し出してきた大ぶりの剣を受け取る。冬の早朝の薄闇のなか、取り出して見た刀身はくらい銀色に光っていた。昨夜のうちに刀工でもある団員に命じ調整させたのだ。うまくいったらしい。もともと他の騎士たちが使う剣よりかなり刀身がうすく、切れ味の高いヴォルフの剣だったが、今朝まみえるそれはもう、直視するのが怖いほどに刃が薄くなっていた。

 

「見つめるだけで眼が切れそうだ。リンツ、おまえは本当に腕が立つな。」

「もったいないお言葉。一生腕を磨きつづけますよ」

「ああ。この剣にかけて、おれは無事に薬を見つけ、この街へと戻ってくることを誓う」

 

 ゆるく深緑の眼を細めると、ヴォルフは集まった人々を安心させる目的の笑顔を見せた。

 

 目の前に在るのはこの街と外界を隔てる巨大な門。ヴォルフが今出て行った後にこの門が開くのは、他でもない、彼が無事流行り病の解決法を見つけて戻ってくるとき。つまり彼に何か起これば二度とふたたびこの門が開くことはないのだ。それは同時にトリアーの街の壊滅をも意味する。

 

 そのことをよく理解していたからこそ、ヴォルフはめずらしくも皆に微笑みかけて見せたのだ。なにも心配することはない、と。

 普段は無表情で冷たいようだが意外といいヤツなのである。

 

「副団長様、ごぶじで」

「なにとぞお気をつけなさって」

「かならず、必ず戻ってきてくださいましね」

「おれたちはヴォルフ様のことを信じて、病と戦いますよ」

「ああ。ありがとう。待っていてくれ皆。できるだけはやく戻る」

「──ヴォルフラム。」

 

 民と言葉を交わしていたヴォルフを、ジークフリートがふと真面目な声色で呼んだ。いつものだらだらやる気のない彼とは人が変わったような締まった顔つきである。

 まっすぐな視線をぶつけあう団長と副団長。騎士団員たちは全員、その様子を敬意のこもった眼差しで見守った。

 

「神に任命された騎士の名、トリアー騎士団を束ねる長としての立場にかけて命ずる。必ず無事で戻れ。おまえが外から街を守る手段を探している間は、俺たちが内からこの街を守る。安心して任務に励むがいい。おまえと、おまえの馬クロイツと、それからおまえに属するすべてのものに、神の祝福があらんことを」

「──そして聖母マリアさまから慈愛のくちづけと」

「イエス・キリストによる温かいご加護があなたさまにありますように……」

 

 周囲の民たちもそう声を続け、十字を切った。石畳みの路のうえに膝をつき、街の民が全員祈る、その姿の荘厳さ。

 ヴォルフも、ジークフリートも、瞳を閉じて固く誓った。

 必ずや、この美しき街と、美しき心もつ民たちを守り抜こうと。

 

「では、日が昇る前に出立を。」

「ああ。──開門!」

 

 騎士団長の掛け声と共に、巨大で重い木と鉄の門が開かれてゆく。次第しだいにその姿を現してくる外の世界に、不安げな表情を隠せぬ住民達。

 ヴォルフはクロイツを半回転させて己が街を振り仰ぐと、ひとつ深い息を吸い、それから一度、強くクロイツの脇腹を蹴った。

 

 昇りゆく朝日を背に受けながら、マントの背中が遠ざかる。

 高らかに、蹄の音が空気を割った。

 

「必ず!かならず、無事で戻れヴォルフ!」

 

 振り向くことなく、騎士は東へ馬を駆る。

 

 *** 

 

「おや。伝書鳩とは珍しい。“狂人”である私へ読ませる手紙を書くとは、一体どこの命知らずか箱入り娘か?」

 

 同じ頃、ヴォルフの目指している正に目的地、バーデンにてそのように呟いている男が居た。街を見下ろす高台の上、重厚にそびえ立つ城のバルコニーにて、一羽の伝書鳩を受け取っている。

 大柄な体つきに、口元にたくわえられた豊かなひげ。

 見るだけで他人に畏敬の念を抱かせる、命令や支配に慣れた顔つきをしていた。

 

「──随分早いのね。ザックス」

「おやおや、私の『吸血鬼』。きみこそこんな早朝に起き出してきて体が灰と化したりはしないのかな」

「笑えない冗談を言わないで」

 

 バルコニーの後方からひとりの娘が現れて、ザックスと呼ばれた男の受け取った伝書鳩を両手で抱いた。

 

「それよりどちらからの手紙?」

「うむ、実に嬉しい知らせだ。今最も私が必要とする人物が自ら私の元へと飛び込んでくるのだという。丁重に扱わなければいけないな」

「というと、西の自治都市の騎士ね。どういう風の吹き回しかしら、あの街にザックス、あなたの“狂った”様子が伝えられていないわけがないでしょう?」

「かなり切羽詰っているようだよ。どうやら流行り病が出たとのことで、薬を必要としているらしいのだ」

「あら。」

 

 娘は意外そうな表情で声をあげ、それから一瞬の後ほほ笑んだ。冷たい冬の空気に触れる、その若い肌のぬくもりを奪わせぬため、ザックスは彼女を腕の中へと抱き込んだ。

 満足そうに瞳を閉じる娘の胸の上で、鳩が苦しそうに喉を鳴らしている。

 

「──では私達の実験が日の目を見る日も近いわね」

「ああ。実に楽しみだよ。想像するだけで体が震える。ところで必要な血はどこから調達するつもりかな?」

「その手紙をよこした騎士からよ、無論。場合によってはかなりの量いただけかなければならないでしょうけど……死にはしないわ。その位の手加減はする」

 

 雪白の頬をゆるめてそう微笑んだ娘は、恐ろしいまでに美しかった。伝書鳩が空気を求め、彼女とザックスの間から逃れ出る。ふわりとした灰色の羽が動いた瞬間、鼻腔をついた不思議な匂い。

 

「……」

 

 娘は胸が熱くなるのを感じた。

 なにか強烈な予感が、体のなかを貫いた。

 

 ──この鳩を飛ばした騎士は。

 

 胸騒ぎが、する。

 

 ──騎士は、どんな人間なのかしら。

 

「胸騒ぎが、するわ」

「私もだよ。なにか大きな事件が起きそうだ」

 

 ザックスが娘の額に口付けて、バーデンの朝が始まった。

 ヴォルフは何も知らず、ただ、ただ、馬を走らせる。

 

 双方の出会いは、刻一刻と、近づきつつあった。

 

 


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