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異国の美姫と吸血鬼 39

 


 ヴァルデック公国。

 北方を山に、西部を海により囲まれた小国であるが、山間部を中心にした農畜業と高い造船技術によって栄えている国である。

 統治は代々聖職者を輩出してきた一族、イェルソン家によって行われており、落ち着いて安定した治世のおかげで国民たちは穏やかな日々を送っていた。

 ヴァルデックを守る役目を担うのはミトラ騎士団。

 国土の一部が海に面した地形のため、大陸でも有数の水軍を有した軍隊として有名である。

 ヴァルデック公国が造り出す船は大きく、丈夫で、しかも美しい。木板を曲げる高い技術に加えて塗料の質が優れているのだ。わけてもミトラ騎士団の軍艦はヴァルデックを象徴する緋色に塗られ、港に何隻も繋留されている様子などは壮観である。

 緋色はイェルソン家、すなわち聖職者を現す色だ。

 その色を何故ミトラ騎士団が授けられているかといえば、代々イェルソン家の血筋のものから騎士団を束ねるものが輩出されてきたからである。

 特に初代の将軍はまだ十五のときに神の啓示を受けて軍を指揮し、当時隣国と戦の渦中にあったヴァルデックを勝利に導いたということで、彼が戦装束としてまとっていた緋色の外套に敬意を示し、以降ミトラ騎士団は「緋色」を象徴色として用いるようになったのだ。

 あかき水軍。

 トリアーが陸を駆ける金色の獅子ならば、ミトラ騎士団はさながら海を滑空する緋色の鷲といったところだ。


「フレイヤ……そうか、フライヤだ。わかったぞ、戦乙女を束ねる女神、彼女のことだ」


 ヴァルターが言った。案内された小さな館の一室で、汚れた旅装束を脱ぎもせず。

 彼はいま一人でいたが、腰の剣を下ろしてはいない。

 それどころか供されたかぐわしい果実酒に手をつけることすらせずに、窓辺に立ってじっと村の様子を観察していた。


「──死者を選ぶ女神には逆らうな、か?」


 ふいに背後に人の気配が現われた。

 いつのまにドアを開け、中に入ってきたのか、全く物音のひとつもしなかった。アルフレドである。

 ヴァルターは振り返りもせずに答えた。


「そうだ。出立の際にジーク様から託された言葉だ」

「こちらの神話において、フライヤは神たちの主である男神にも並ぶほどの強力な女神だ。つまり、その名で呼ばれたあの女将軍……ソラはやはりイェルソン一族の者であると考えて相違ないと?」

「十中八九な。しかし、まだ解せぬ。緋色の外套をまとう女騎士とはすなわち、ヴァルデックに忠誠を誓う騎士であろう? その女に何故逆らうなとジーク様は仰るのだ?」

「本来ならば我等の最強の敵になりえる相手だがな」

「そうだ。下手をすれば俺たちは今宵殺されてもおかしくは無い」

「まあ、あのジーク様のことだ。なにか隠していらっしゃるか、あるいは単純に俺たちに伝え忘れたことがあるのかもしれぬ」

「その可能性が高いな……」


 やんちゃでお気楽な騎士団長の顔を思いだし、げっそりと項垂れた二人の騎士であった。

 だが先に立ち直ったのはいかついアルフレドのほうで、彼はヴァルターにいたずらっぽい声音でこう語りかけた。


「ところで、ヴァル。俺はおもしろい発見をしたぞ」

「──なんだ?」

「この館、な。どうやらあの美人将軍、ソラ様のお館でもあるらしいのだ」

「……何?」

「しかもソラ様のお部屋はここから眼と鼻の先。いつでも夜這いに行ける距離だ」

「なんだと!?」


 ヴァルターは耳を疑った。


 ***


「いくら神に任ぜられた騎士とはいえど、イェルソン家の女を寝取ったと噂が流れれば評判は地に落ちるであろう?」


 ソラ、もといソルジャ・イェルソンは朗らかに笑っていた。

 緋色の外套をまとう女騎士、彼女はミトラ騎士団を束ねる将軍でありながらヴァルデックを納める一族、イェルソン家の姫である。


「わたしの狙いはそれだ。どうしても我等にはトリアーの力が必要なのだ。まさか二人の騎士しか派遣してこないとは思わなんだが、それもこれからたっぷり実力を見せてもらうさ」

「しかし、ソルジャ様。本当にこれでよかったのでしょうか? 大陸の南ではトリアーといえば非常に高い人気を誇る一大騎士団です。その騎士団を騙して手玉に取るなどと……」


 大様に笑う将軍の脇で渋い顔を見せているのはヴァルターとアルフレドをこの村に連れてきた張本人、つまり横転した馬車の御者であった。

 彼は実はこのソラの従者、彼女が幼い頃より傍についている教育係であり、片時も傍を離れたことの無い右腕でもあった。

 その従者の言葉を聞いてソラはたちまち不愉快そうに金色の眉を吊り上げた。


「騙すだと? 馬鹿をいうな。これはれっきとした計画だぞ。大体そのトリアーの総長から部下を好きなように試してみろと仰せつかっているのだ」

「代わりにトリアーに加勢するという大きな条件つきでございましょうが」

「しかし代わりに我等のクーデターにも弾みがつく。かのトリアーが加勢してくれると聞けば、反乱軍も勢いがつき、兵たちは勇気付けられるに違いないのだから。たった二人の騎士の腕よりも、そういった心理的な要因のほうが余程効果があるものだ」

「……しかしそれで本当に、イェルソン家を包囲することができますかな?」

「要となるのはミトラに残してきた部下達だ。彼らがうまく団員達を説得してくれていれば……義姉上あねうえの悲劇を、それをもたらした兄上の非道を、町のものにも明かしてくれていれば。我等の勝利も絵空事ではない」

「まだまだ若いですな。ソルジャ様も」


 従者は溜息をついて炉の焔に照らされた姫騎士の横顔を見つめた。

 彼女は彫像のようにじっと動かない。

 鉱石の鎧も背に背負った大剣もそのままに、迫り来る戦いの予感に全身を緊張させていた。

 まだ娘のものであるその瑞々しい体で彼女が戦いの日々に身を投じたには、あまりに非情な兄君の存在がある。

 すなわち現イェルソン家当主、ヴァルデックを束ねる主だ。

 彼はソラの友人であり、自分の妻となった女の首を、無実の罪のもとに切り落とした。

 法皇に命じられたからだ。

 法皇に見捨てられないため、己の身を守るために、ヴァルデックという国を言い訳にして妻を殺した。

 ソラはその仕打ちが許せなかった。どうしても。

 もはやイェルソン家にかつての誇りは残っていない。

 緋き水軍はこんな家のために戦っていては無駄死にだ。そう思った。

 だから反乱を心に決めた。

 だが狡賢い兄はすぐに気づき、ソラを妻と同じく躊躇い無く処刑しようとしたのだ。

 ソラは逃げた。兄の処罰を恨む義姉あねの家族に助けてもらい、騎士団のわずかな仲間を連れて船で南の国境近くまで下った。

 ミトラ騎士団の将軍であったソラの反乱が発覚し、かつ彼女が逃走したということで、首都は大混乱を極めた。

 ソラに手助けしたものは捕らわれて、彼女が首都に戻らなければ殺される運命にあり、いまも実際一日に一人ずつが殺されている。

 ソラはすぐにでも戻りたかった。

 だがこうなった以上、ただで戻るわけには行かない。

 だから仲間を集め、反乱軍を造った。

 拠点となる野営地に身を潜め、相手の出方を伺いながら計画を練る、そんな日々を過ごしている内に、ふと南の自治都市から手紙が届いた。

 手紙の主は『金色の獅子』──かの有名なトリアー騎士団総長、ジークフリート・ゲザングであった。

 はじめは胡散臭いことのこの上なかったが、彼は何度も手紙を遣した。

 あまつさえ物資の支援さえしてきたので、ソラは訝りながらも彼に手紙を返すようになった。

 するとジークフリートはある時言った。

 

 今度、わたしの部下を遣します。彼らはわたしの鏡です。

 好きなように試していただいて、トリアーが信用に足る騎士団か、あなたのお眼鏡に叶うだけの実力を備えているかどうか、判断していただきたい。

 その上で金色の獅子と緋い鷲が手をくむかどうか、トリアーで今一度、直接お話しようではありませんか。


 そしてやってきたのが──アルフレドとヴァルターであったのだった。

 たった二人の騎士で何を試してどう判断せよというのであろうか。

 ソラは信じられなかったが、実際にこの眼で見た限りでは、なるほど並大抵の騎士ではないようだとは感じられた。

 身のこなしも観察眼も並外れており、従者の話では近頃増えている性質の悪い山賊も一瞬で跳ね除けたということだ。


「……だが、それだけではわからぬ」


 ソラはようやく身じろぎした。

 窓の外で村を包囲するように揺れる、地平線に揃った点火の明かりが見えたからだった。

 従者がまばたきをしてソラを呼んだ。


「ソルジャ様」

「わかっておる。──兄上の手のものだな」

「ええ。おそらくは此処アロア領主の一軍でありましょう」

「良い頃合だ。長きに渡る潜伏生活に我が軍も鬱屈してきたところだった」


 ソラは笑って立ち上がると、緋色の外套を翻して部屋を出た。

 トリアーの騎士たちにはまだ知らせまい。

 聡いと評判の彼らならば自主的な判断で戦の手助けをしてくれるはずだ。

 断ることはできないはず。

 かの高尚なる騎士団のものがソラの館でなにもせずに寝ていたとくれば、イエルソン家の女と情事にふけったと浮名を流され、その名誉が地に落ちることは間違いないのだから。


「兵を配置しろ。それから跳ね橋を上げて盛り土を。最も恐ろしいのは火を放たれることだ、弓兵を先に狙え!」

「畏まりました」


 凛々しい命令に頭を垂れて頷くと、従者も彼女の後を追った。

 

 


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