異国の美姫と吸血鬼 38
マリア姫とジークフリートが予定の半分程度の時間でプルーセンに到着し、ジークがまたしてもぶっ飛んだやり方で王都内に侵入しようとしていた頃、バーデンの北西に位置するヴァルデック公国にて小さな騒ぎが起きていた。
「いやっ、いやあ!! 誰か……誰か助けて、お父様、お母さまぁ!」
「静かにせぬか、のう娘。黙っていればすぐに終わるぞ。悪いようにはせん、金は弾んでやるからな」
「いやだ、離して、離して……!」
南部の小さな街道で、一台の馬車が横転していた。昨日の寒さで道が凍り不幸にも車輪が滑ってしまったのだ。
馬はショックを受けて暴走、御者は道に放り投げられ、馬車は乗客を乗せたままそのまま数百メートル引きずられ、やがて倒れた。
この馬車に乗っていたのは全て娘たちであった。
それも首都の貴族の家に奉公を控えている若い娘だ、身なりは整い、はじけるような肌をしている。
乗っていたのは全部で五人。うち三人は頭を強く打って意識不明、もう一人は自力で逃げ出し近くの町に助けを求めに行った。そしてあと一人、もっとも可愛らしい娘がこの場に残って見張りを務めることになったのが間違いだった。
うす暗く人通りの少ない街道で彼女が仲間の帰りを待っていたところ、突如現われた二人組みの男が馬車に乗り込んできたのだ。
彼らは娘の姿を一目見るなり眼の色を変え、馬車の外へ引っ張り出すと地面へと押し倒したのだ。
「可愛いのう、侍女だけあって上玉ではないか! なに、怖がることはない、我らのこの紋章が見えぬか? そうだ、海を渡る緋色の鷲、我らはミトラ騎士団に属するものよ」
鎖帷子に軽装の鎧を纏った男たちは揃って娘を組み敷いている。確かにその腕章にはヴァルデックを守りし海軍・ミトラ騎士団の紋章が刻まれていたが、彼らの行動はおよそ騎士としても人間としても唾棄すべきものである。
衣服を剥がされて娘はいよいよ狂ったように泣け叫んだ。
「うそよおっ!! 高貴な騎士様がこんなことするはずないっ……離してっ、誰か、誰か助けて! お父様ぁ、お母様あっ!」
「るせぇな、いい加減静かにしやがれ!! お前だって本当は嫌じゃねぇんだろうが、このスキモノがっ! 色目使って俺たちを誘惑してきたくせによく言うぜ!」
「おらっ、大人しくしろっ!」
高い音を立てて男たちは娘を殴る。娘は痛みとショックのあまりに失神し、やがてぐったりと動かなくなった。
むきだしの白い乳房が寒風にさらされて、男たちは性急に娘の両足を抱え込んだ。
そして既に昂ぶってしょうがない下半身の衣服をゆるめると、早速本懐を遂げようと──
「──おいおい、何かの間違いじゃないのかアルフレド?」
「俺もそう信じたいぜ、ヴァル。まさかあれが”緋き水軍”ミトラ騎士団であるはずがない」
凛とした声が街道に響き渡った。同時に、ヒュっという軽快な音が空を裂く。
娘に馬乗りになっていた男は顔を上げたが、その瞳が声の主を映すことはなかった。
眉間から血を吹いて男は仰向けにどうと倒れた。石ころが額に直撃したのだ。
もう一人の男はそこでようやく事態に気づいて剣を抜いたがいささか遅い。
「だ、誰だっ!?」
「お前たちのような下衆に名乗る必要は無い」
金色の──獅子が。視界に翻った。
頭上から白刃がきらめき、応戦する間もなく男は腕に激痛を感じた。悲鳴を上げて剣を取り落とす。
完全に不意をつかれていた。恐ろしいほどのスピードと並外れた的確な一撃だ。喉からうめき声を発してうずくまった男の首根っこを騎士、もといアルフレドはひっつかんだ。
「やれやれ。ヴァルデック領内に入った途端これか? 我らはどうも騒動をひきつける才能があるらしい」
「なあに、ジークフリート様には負けるさ」
もう一人のトリアーの騎士、ヴァルターが愛馬とともに軽やかに駆けて現われた。彼の後ろからは主人もいないのに悠然とこちら目指して歩いてくる鹿毛が一頭。
彼は馬から下りるとあられもない格好の娘の傍に跪き、己の着ていたマントを脱ぐと包んでやった。そのまま両手で抱いて立ち上がると相棒に尋ねる。
「で、どうする? こちらの麗しきお嬢様方も、そっちの阿呆も」
「うーん。そうだな。状況がわからないことには何とも……とりあえず、縛っとくか」
アルフレドが答えたのでヴァルターはくすりと笑った。
「簡単に言うが、アル。ロープはあるのか?」
「あるぞ~、ジークフリート様を捕獲する用にいつ何時でも持ち歩くようにしてたからな~。役に立って嬉しいぜ~」
「…………」
へへへ、と暗い笑顔を浮かべて懐から縄を取り出した相棒に、ヴァルターは思わず目頭を袖で押さえてしまった。
わかるぞアル。お前の気持ちはいやというほどよくわかる。
なにしろ入団以来毎日毎時間あの団長のやんちゃに振り回されている俺たち団員であるからして。
「願わくば本当にジーク様は……マリア姫のような細君をお迎えになれば良いのにな……」
「ああ、きょーさいかという奴だよな……」
しんみり話し合いながらやがてミトラ騎士団くずれの男たちを縛り上げて道のはじっこに転がすと、二人は横転したままだった馬車のほうへ駆けて行った。
力自慢のヴァルターは馬車を起こし、足の速いアルフレドはいなくなってしまった御者と馬を探す。
その結果わかったことは、馬車はここから程近い村から出発したということと、若い娘たちを乗せていたにも関わらず護衛はひとりもついていなかったらしいという二点である。
さらには奉公に出される身分の娘達としては妙に手足が荒れていたことが気になったが、そんなことより今は死者がひとりもいなかったことを神に感謝すべきであろう。
「た……助かりました。都に行く途中だったのですが、ちかごろこのようにミトラ騎士団を語っては悪事を働く山賊が多く、一時はもう駄目かと」
街道から外れた林に叩きつけられていた御者は足を折っていたものの命に別状はなく、救ってくれたアルフレドとヴァルターに伏してそう礼を言った。
「本当にありがとうございました。しかし、お見かけせぬ出で立ちですが……失礼ながらどちらからいらっしゃったので?」
これに対してアルフレドとヴァルターは馬を降り、自分たちもまた御者の前にきちんと膝を折ってこう答えた。
「我等は南の自治都市トリアーから参りました」
「なんと……では、かの高名なるトリアー騎士団の団員様でいらっしゃるのですか!?」
驚く御者に外套の金獅子の刺繍を見せて頷いてみせると、ふたりは名乗った。
「さよう。申し送れましたがわたしは団員のアルフレド・ヘス」
「そしてわたしはヴァルター・キンゲンと申します。ここヴァルデックには主の命を受けてあるものを探しに参りました」
「探し物、ですかい?」
トリアー騎士団の名を聞いて御者はあきらかに態度を違えた。それも奇妙なことにトリアーを疎む反応ではなく、逆に喜ばしい反応を見せたのだった。
御者は大きな期待をはらんだ瞳でアルとヴァルターを見つめると、帽子を取って頭を下げた。
「それでしたら助けていただいた礼があります、あっしに是非とも協力させてくださいませ」
「ありがたい。何しろ不慣れな土地なので、そうして頂けると本当に助かります」
「いいえ、私どころか娘達の命まで救ってくださったお礼としてはそれでも足りないくらいでさぁ!」
アルとヴァルターは心の中で腕を組んだ。
さて、どう捕えるべきか。
いくら高潔なる騎士団とはいえ、ヴァルデックから見たトリアーは異国、それも近年めきめきと力をつけ、大陸統一を狙えるほどの軍事力を持つとの噂高い新興国なのである。
つまり、今のところ外交的には法皇に絶対忠実のヴァルデックでこうもあっさりトリアーが歓迎されるはずはない。
にも関わらずこの御者の態度は……?
解せないとは思ったが、とりあえず判断材料が少なすぎるので、ふたりは相手の意向に従うことにした。
「とりあえずは脱輪していては先に進めますまい。皆様の怪我と体調もありますから、一旦村に戻って準備をし直してはいかがでしょう?」
「無論それまでの道程は我等が皆様の御身を守らせていただきます故、ご安心なされい」
「あ……ありがとうございます!!」
というわけで、アルフレドとヴァルターは御者と娘たちがやってきた村まで着いていくことになった。
***
「ガイン、どうした!」
村にたどり着いた途端、入り口で待ちかねたように駆け寄ってきた女が居た。
馬車の横を護送する形で馬に乗っていたアルフレドとヴァルはその女の出で立ちの奇妙さに密かに眼を丸くする。
かなり大柄の女だった。
澄んだ金色の瞳に白に近い金髪、尖った鼻に赤い唇と顔立ちは文句無く美しく整っているのだが、その見事な金髪をもったいなくもくしゃくしゃに結い上げた上、彼女は何故か武装していたのだ。
鎖帷子の上に透ける鉱石で造られた軽装の鎧を纏い、緋色の外套を羽織っている。
その背には身の丈ほどもあろうかという巨大な剣を背負い、おまけに腰には鞭を帯びていた。
アルとヴァルの常識では女は戦うものではない。家を守って自分たち男を影から助けてくれる存在だ。
トリアーでも女ながら騎士を目指したいという人間が皆無というわけではなかったが……大抵はジークフリートの軽妙かつ真面目な面談を受けた後に大人しく引き下がっていくのが常だった。
だからかなり戸惑き驚いたのは事実だが、それ以上にこの女は只者ではないと自分たちに感じさせる何かがあった。
しなやかで無駄の無い身のこなしは俊敏な戦い方を連想させるが、同時に女性的な優雅さを失ってはおらず──どちらかといえば武人というよりは貴族に近いものがある。
着ているものもその辺りの一兵卒とは雲泥の差があり、明らかに地位も身分も兼ね備えた女傑であった。
そこまで判断するとアルとヴァルは目配せを交わして馬から飛び降りた。
すると御者も馬車を止めて地面に降り、女の前にひれ伏したのだった。
「も、申し訳ごぜえません、フレイヤ将軍! 森で──森でまた襲われました!」
将軍、とアルフレドは低く口笛を吹いた。それはそれは。
この若さで、しかも女で軍の長を務めるとは、やはり敵に回すべきではない御方のようだ。
無言で地面に膝を突く。ヴァルターも全く同じ行動を取った。
すると女が御者に言った。
「今のわたしは将軍ではないぞ、ガイン」
凛々しく低い声であった。
彼女はひれ伏した御者の目線までかがみこんで彼を立たせると、その体に怪我がないかどうか確認しながら言葉を続けた。
「それよりも皆はぶじか? また、ということは再びミトラの名が語られたということで相違あるまいな?」
「はっ……畏れ多くも……」
「嘆かわしいことだ。緋き水軍、ミトラ騎士団も落ちたものよ!」
女は言ったが、その声は奇妙に嬉しそうに辺りに響いた。
アルとヴァルターは無表情を装った。
やがて女が手を叩くと門の奥から何人もの兵士が現われ、御者と馬車、それから馬車の中の娘たちを村のほうへと引っ張っていった。
その兵士達をじっと観察しながらアルとヴァルターは全身に緊張感をみなぎらせる。
異国へ来た、という実感がひしひしと湧いてきたのだ。
皆揃って透けるような肌に淡い色の瞳と髪を持ち、背が高い。アルとヴァルは騎士団の中では体格が良いほうだったが、この村に入った途端まるで自分たちが小柄になったような気がしたほどだ。
──おまけに、全員が武装している
二人の騎士は眼を細めた。
兵士ならばいざ知らず、村人達までもがその衣服の下に武器を隠し持っているというのはどういうことか。
考えられる可能性は多くないが、この小さな村が何らかの理由で戦う必要があるということなのだろう。
それも将軍ともあろう御方が駐留しているところを見れば、相当大きな戦いだ。
反乱という言葉が騎士たちの脳裏をよぎったまさにその時、さきほどの美女将軍が軽やかに戻ってきて声をあげた。
「いや、申し訳ありませぬ、部下の命の恩人ともあろう方々を長くほうっておいてしまった!」
丈高い鉱石の鎧をまとった美女はまず、跪いたままだったアルとヴァルを立たせた。
拍子、緋色の外套がひるがえり、ヴァルデックにおいての緋色は数限られた人間のみが身につけることを許された色であるという事実をふたりは思い出した。
「あいや、お気になさらず。我々は通りすがりの者にすぎませぬゆえ」
にこりと笑って優雅に一礼し、名を名乗ろうとしたふたりであったが──他でもない美女将軍がそれを遮った。
「なんと仰るかと思えば”通りすがりの者”と。その金色に輝く獅子の名をこの大陸において知らぬものはありませぬぞ?」
将軍は微笑んだ。うすい唇が微笑むとふっくらと盛り上がり、実に艶やかな笑みである。
アルとヴァルは肩をすくめた。参った。
ヴァルデックでまさかこれほど魅力的な女傑に出会うとは思っても見なかった。
「……ご存知ならば話は早い。我等は確かに南の自治都市トリアーから参りました。まずヴァルター・キンゲン」
「そしてアルフレド・ヘスと申します。以後お見知りおきを」
「丁寧なご挨拶、ありがたく頂戴する。私はソラだ。ソラ・フレイヤ。女だがいっぱしの騎士を務めている」
「お眼にかかれて真に光栄です。あなたは我々の知る中で始めての女性騎士になりますゆえ」
「さもありなん。私も未だに私以外の女騎士を知らぬ」
ソラは謳うようにそう言ったが、瞬間、彼女の瞳になにか暗い光がよぎったのを騎士たちは見逃さなかった。しかしそれは、正面きって尋ねるほどの劇的な表情の変化でもなかったので、表向きには品よく微笑を浮かべるだけで答えておいた。
するとソラは続けた。
「しかし、立ち話もなんだ。長旅の疲れもあることだろう、部屋を用意させるので是非今晩はこちらで休んで行って欲しい。金獅子が緋い海に飛び込んだというのはよくよくの理由あってのことであろ? 北の空高く輝く太陽のまぶしさにも構わずに」
「……」
アルとヴァルは微動だにもせずに眼を細めた。
まるで詩を詠むようなソラの言葉であったが、直訳すれば
「トリアー騎士団の一員ともあろう人間がヴァルデックに何用だ? 時間を取ってやるから素直に話せ」
と言っているのだ。金獅子とはむろんトリアーを、緋い海はヴァルデックを隠喩し、北の空に輝く太陽……これは絶世の影響力を持つ法皇を現している。
アルとヴァルはかすかに目配せを交わした──彼女は味方になりえるか?
あるいは、ジークフリート様が仰っておられた、ヴァルデック南部に集まる半法皇派の豪傑たち、その存在に彼女は通じるものだろうか。
さきほど御者はソラのことを将軍と呼んだが、それは彼女がこの村における大将という意味か、あるいは軍に属している者という意味なのか。
ふたりの騎士はソラに眼を戻した。緋色の外套。
この色はヴァルデックにおいては特別な意味をもつ。
「……ありがたい」
やがてヴァルターが微笑んだ。
大柄でいかついアルフレドと比べれば、ヴァルターは顔立ちも体格もしなやかに細身で、見るからに優男な風貌を自分自身よく理解しおり、策士としての手腕に長けていた。
彼はにこりと笑って濃い緑の眼でソルジャを見つめた。
「実は馬がずいぶんと疲れていましてな、今晩はどこで寝ようかと算段していたところだったのです。まことにぶしつけながらお言葉に甘えさせて頂きます」
「なんの。助けていただいたのはこちらだ」
ソラは気持ちのいい笑顔を浮かべて請け負った。
手袋に包まれた両の手を打ち鳴らし、傍にいた適当な者を呼び寄せると、ふたりの馬の手綱を取らせ、厩へと引いていかせる。
そしてヴァルとアルに村の中に位置するひとつの館を指差してみせた。
「そうだな、あそこにそなたらの部屋を用意させる。ゆっくり休んでくれ。できれば少し酒にも付き合ってくれるとありがたいが」
「喜んでお供しますぞ」
答えたのはアルであった。騎士団に入る前、彼はかなりの酒豪であったのだ。
ヴァルが眉をひそめてアルを突く。
「おい、アル。飲むなよ」
「トリアーのためだ。少しくらいなら罰もあたらんだろうよ」
「俺たちは神に任ぜられた騎士だぞ!」
「あいかわらず固いな、貴公子。少しは柔軟に物事を考えろ」
「お前は酒と女に見境がなさすぎるのだ」
「女に関してはお前のほうが上手じゃないのか?」
「──何を話している? 行くぞ、かたがた」
ひそひそと喋っていると既に歩き始めていたソラが振り返った。
ヴァルターとアルフレドはぱっと顔を上げて返事をすると、彼女の後を追ったのだった。