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異国の美姫と吸血鬼 2



「おまえ!おまえ!」

 

 

 トリアーの街の東にて居酒屋を経営しているハンス・バオマンはがくがく震えながら自分の店に飛び込んだ。

 ちょうどその時店の中をそうじしていたハンスの妻は、教会に行っていた筈の夫が真っ青な顔で冷や汗を流している姿を見てびっくり仰天、飛び上がった。

 

「どうしたのよ、あんた……顔まっさおじゃないの。何があったの?司祭さまがお具合悪いとか?」

「違う。昨日うちに来たあの商人が、商人が」

「ああ、あの患い持ちさんが?どうしたのよ?」

「──死んだ」

「死んだ!?」

 

 叫んだ妻の声を最後に、店のなかに嫌な沈黙が広がった。重くて嫌な予感に満ちた沈黙。ごくりと息を呑む妻の脳裏に浮かんでいたのは、数週間ほど前に近所の女たちと交換し合った噂話の、その中の一節だった。

 

(ねえ、それより知ってるかい?フランクの北のほうでさ、流行り病が出たっていうんだよ)

(流行り病?いやだ、それって、ねずみがつれてくる悪魔のことかい)

(そうだよ。なんでも街外れの一軒家に肥えたねずみが入り込んでさ、台所に置いてあったチーズをかじったらしいんだ。で、そこの家の人、汚いから捨てりゃいいのに、あんまり金のある家じゃなかったみたいでね、まあ大丈夫だろうって食べちゃったんだってさ。そうしたら、もう!一週間ぐらいした後に体中に気味のわるーいブツブツができてね、おっそろしく高い熱にうなされて、あっという間にころっと逝っちまったらしいんだよ。死んだ人の家族も近所の人たちもそこではじめて流行り病だーって気がついたらしいんだけど、時すでに遅し。その街は悪魔に食いつくされちまったって……)

 

「まさか」

 

 そんな。トリアーに限ってそんなことはないと思っていた。

 この街は清潔だし、神に認められた聖なる騎士たちによって守られているし──何より、城壁に囲まれているから、たとえねずみの姿を取ろうとも、悪魔が入る隙などこれっぽっちもないはずなのに。

 

 妻は精一杯そう考えたが、病は病だ。悪魔などとは所詮迷信。人間が住み、食べ物を食べて生活している限り、流行り病はどこからでも進入してる可能性はある。昨日の商人は恐らく短い期間噂の北フランクに滞在し、病気をもらったことに気づかぬままトリアーへと入ってきてしまったのだろう。

 

「嘘だろう。だってここは、聖なる街なんだよ、あんた」

「けど死んだんだ。事実だ。いま教会で、その商人を火で燃やそうって話になってる。流行り病の死者はいつもそうやって弔うだろ。墓掘りの奴らだってそんないわくつきの死体、さわりたがらねえしよ」

「どうしよう、あんた……このままじゃ、このままじゃ……トリアーが。あたしたち、死ぬわ」

「落ち着け。まだ望みはある。神様を信じろ。騎士団様のお耳にこの話を入れて、薬を取ってきてもらうんだ」

 

 混乱と恐怖におびえる妻の肩を抱き寄せながら、ハンスは言った。

 直後、できるだけ人通りの少ない道を選び、直接騎士団の居城へとおもむく彼の姿があった。人づてに伝えるともし自分が流行り病にかかってしまっていた場合に、誰にうつしてしまうかわからないからというのが直談判した理由だったが、その話を聞いた城の門番たちはどっちにしろたいした代わりはないだろうと即座に団員たちを呼び寄せて、それから混乱やら動揺やらにおたついている内に、夕。

 

 話を聞いた騎士団長と副団長が緊急召集のベルを音高く打ち鳴らした。

 

 *** 

 

「……ヴォルフから聞いてはいたが、ずいぶんとやばい話になっちまったもんだなあ」

 

 ゆらりと揺らめく蝋燭で明かりを取った会議室、上座に座ったジークフリートが腕組みをして神妙に言った。彼のすぐ脇、二番目に良い席に座っているヴォルフは黙って書記を務めている。その下にずらりと坐している団員たちは鉄仮面のごとくに表情筋を動かさず、ひたすら団長の御言葉を傾聴。まことによくできた騎士団の図であった。

 

「しかし、死人が出たとあってはもう知らぬ振りはできまい。即座に薬、もしくは優秀な薬師・医師を捜し出してこのトリアーの壊滅を防ぐしか手はない。俺たちは全員、既に病にかかっている可能性が非常に高い。誰が外へ出ても同じことだが、ここはあえて希望を聞こう。

 我らがトリアーのため、ひとり馬を駆り山森を抜け、その過程で出会うやもしれぬ多くの危険誘惑に打ち勝てる強さを誇り、更に手にした解決法を無事にこの街まで運んでくることのできる勇者は誰ぞ?名乗り出てはくれまいか。行き先はまずバーデンに行ってもらおうと思っている」

 

 その地名に団員たちの鉄仮面がみるみる崩れ、会議室内に恐怖の波紋が広がった。ヴォルフが批判たっぷりの目つきでジークフリートを睨み、「おまえはもっとうまい物言いができんのか」と呟く。

 

「バーデンと言えば、近頃世代交代したばかりの国王が狂人だとかで、吸血鬼だの魔女だののおぞましい噂がうずまいている場所じゃないか。そのまま言えば俺たちほど外交の知識がない団員たちが動揺するのは当たり前だ」

「あ、そーか、そういえばそんな噂も耳にしたなあ。まあだけどこれしきで尻込みするような奴は逆に行って欲しくないんだぜ、ヴォルフ。騎士たるもの神を信じ、何をも乗り越える意志の強さを持たないとな」

「……まあ正論ではあるな。」

 

 顔をゆがめてヴォルフは苦笑した。ジークフリートはいつもあまりに行き当たりばったりすぎる。自分が入団する前は果たしてどのようにして街をまとめていたのだろうか、考えるのもそら恐ろしいくらいだ。

 まあ、それでも団員達に厚い信頼を置かれているあたり、彼の強さと人徳の高さが逆にうかがい知れるのであるが。

 

「──団長!」

「おー、なんだなんだヨハネス?お前が行くか?それとも怖いか?」

「こ、怖いなどとは思いません!が、バーデンと言えば、あの悪名高い『狂人』ドルトムント領主の治める地です、何故に……!」

「そーだぜ。だからお伺いを立ててるんだ。ほんとに狂ってるかどうかは知らないが、彼はたいそう医学に長けているらしい。なんでもうら若き美少年や女を城に連れこみ、その身を切り刻んでおそろしい術を身につけているとかなんとかで」

「そのように、そのように楽しげに話されるべきことではありませぬ!団長、ドルトムント領主は悪魔に魅了されたとの噂で──」

「相手が悪魔では剣を振り下ろすことはできぬか?」

 

 ヴォルフがスマートに割り込んだ。団員達は口を閉じる。

 手にしていた羽ペンの先を舌でぺろりと一舐めし、騎士団副団長はさっきから何を一生懸命書いているのか、上等の羊皮紙の上に流麗な文字をさらさらと躍らせている。

 

「おれならば行く。トリアーのため、住民のため。リンツ、たまには外へ出て世界の大きさをその眼にとめておくことも重要だぞ。悪魔が居るならばその姿を一度見てみるのもまた一興。守るものが在りし時は、払うべき邪の大きさを正しく知っていて然るべき」

「正論正論。どーだ、誰か行く気のある奴いるか?いないなら別にいいんだ、責めるつもりも咎めるつもりも別にない。トリアーに流行病が発生しようがしまいが、仕事の数が減るわけじゃないし、襲ってくる敵なんかが居たとしても、そいつらは流行り病のことなんか知らないからな。団員はできるだけ多く残ってくれるに越したことはないんだ。

 なんなら俺が行ってもいいんだぜ?」

 

 それには団員全員の反対があった。ならば、と立候補を期待してもやはり気はすすまないらしく、一同は異形の吸血鬼と魔女に挙手を阻まれたまま、数十分を無駄に過ごす。

 やがてしょーがねえなあ、と椅子に深く背を預けたジークフリートが短い髪を掻いた頃、ヴォルフが書き上げた書面と共にだしぬけに立ち上がった。

 驚く一同。ヴォルフは時々こういう風に妙な行動を取る。

 

「な、なんだよヴォルフ?会議はまだ終わってないぞ」

「おれが行く」

「へあ?」

 

 間抜けな声を出した団長にちらと冷たい視線を投げ、ヴォルフはもう一度はっきりと繰り返した。

 

「おれ・が・行く、と言ったんだ。らちが空かぬ。それにもう鐘を鳴らす時間だ。悪いが席を外させてもらう」

「ま……っ待て待て待てヴォルフ!そりゃあ困るだろうおまえ、おまえがいなきゃ俺の仕事はいつもの数倍」

「最近のお前さぼり癖がついてきてたからな。いい矯正になるだろ。安心しろ、班長達にも手伝えることは数多ある。たまにはおれ抜きでがんばってみろよ。一度バーデン行ってみたかったんだ、楽しみに明日の朝出立するぜ」

 

 そして団員達のほうへ向き直り、「ではジークフリートを頼む。心して街を守ってやってくれ。死者と接触したものはできるだけ隔離して、清潔な場所で保護すること。しばらく外からの物品の仕入れは禁止だ、自給自足で我慢してもらうよう説得してくれ。それと、街の門はおれの出入り以外では絶対に空けるな。以上、解散!」と朗々たる声で告げると場を去った。

 

 その見事に翻るマントの後姿を見ながら呆然とするジークフリート。

 団員達は夢から覚めたようにぞくぞくと席を立ち始めた。

 

「俺は、俺は、俺は……」

 

 たった一人=仕事多い=睡眠取れない=疲労困憊。よもやヴォルフのいないあの悪夢の日々が二度と再び訪れようとは。

 

「──神よ!だったら俺も行く!」

「それは却下ですよ団長。団長も副団長も不在だったら、民から我々騎士団の信頼が失われてしまいます。つべこべ言わずにそろそろ自室にお戻りになってください。また書類の山が届いていましたよ」

「……!」

 

 こうして滂沱の涙もって嫌がるジークフリートをよそに、ヴォルフのバーデン行きが決まったのであった。

 

 

 


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