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異国の美姫と吸血鬼 37

 


 ザックスは暗殺者を拷問にかけた。

 御三家がバーデン内外のどこに軍勢を隠したのか吐かせる為だ。

 時を同じくしてバーデンの北部地区、御三家を筆頭とした貴族たちの住まう居住区には兵士に化けた山賊達によって毒が撒かれた。

 「毒」といっても本当の意味の毒物ではなく、殺人を目的にしたものではない。

 体内に取り込まれれば数日のうちに発熱、眩暈、腹痛頭痛等の症状をもたらし、敵方の勢いを鈍らせるだけのものだ。

 むろん症状には個人差があり、あまりにも酷い場合には治療が必要だと調合した姫君は説明したが、その確立は極めて低いとも仰っていた。


「最悪、ほんとうに最悪死に至る可能性もないとは言えませんが……その場合にはわたくしが治療すれば済むことです。バーデンからプルーセンへ向かい、再びバーデンへ戻るまでに要する時間は十日。それまでに死者が出ることはほぼありえないでしょう。もしも魔女たるわたくしから治療を受けるなどごめんだという輩がおりましても無理やり治療させて頂きますわ」


 そう愛らしく小首を傾げて笑い、姫はプルーセンへと旅立ったのだ。

 バーデンからプルーセンまでは馬の足で約三日。

 騎士であるジークフリートと比肩するほどの馬術で北へ北へと馬を駆り、出発から半日、姫は既に道程の四分の一ほどを進み終えていた。


***


「けれどゾフィー前王妃殿下はお亡くなりになった筈ではありませんか!!」


 マリアが悲鳴に近い声を挙げた。

 プルーセンに向かう道中のことだ。

 森の中で一晩を過ごすことに決めた彼女とジークは周囲の木に馬を繋ぎ、焚き火を囲みながら夕食にしているところだった。

 その時ジークが言ったのだ。

 自分達が今プルーセンを目指しているのはそこに他でもないゾフィー前王妃殿下がいらっしゃるからであり、彼女を取り戻すことこそがバーデンを復興させるための決定的な鍵であるからだと。

 そしてかの法皇がなぜバーデンを執拗に狙っているのかということもジークは姫君に話して聞かせたのだった。

 むろん、御身が法皇に狙われている可能性があるということは、一切口にはしなかったが。


「そう、その筈でした。けれど事実は違ったのです。彼のひとは生きていらっしゃる」

「まさか! どうしておわかりになるの? そして万が一生きていらっしゃったとして、どうしてそれが法皇がバーデンを狙う理由になるの?」

「俺はこう見えて北方の出身でしてね。色々と妙な噂を耳にしたものですから、昔のつてを頼って色々と調べたのです」

「妙な噂?」


 混乱するばかりの姫に対してジークは灰蒼の瞳をやさしく細めて微笑みかけた。


「はい。近頃大陸の中央で北方の民がよく見かけられている、との噂です。どうやらプルーセン王国に北から大量の人間が流れ込んでいるらしい。これが何を意味するか、貴女ならおわかりになりますね?」

「つまり……プルーセンと法皇が癒着しているというの? 法皇は何らかの理由でプルーセンに軍勢を与え、プルーセンはその軍勢でバーデンを攻め落とす心算つもりだと?」


 混乱しながらもマリアはしっかりとジークの言いたいことを理解して飲み込んでいた。

 ジークは頷いた。


「その通りです。そしてその”何らかの理由”というのがゾフィー前王妃殿下に他なりません」

「ジークフリート様。わかりませんわ」


 マリアは弱りきった表情でジークを見つめた。

 ジークは焚き火であぶっていた兎の肉を取り上げると、それを姫君に手渡しながらこう言った。


「でしょうな。俺もはじめはわからなかったのですから。ご説明いたします」


 そして自らも兎を取り上げてかぶりつく。

 綺麗に一口噛み千切り、咀嚼して飲み込んだあとに彼はマリアを見つめ直すと口を開いた。


「──少し長い話になりますが、マリア。付き合ってくださいますな?」

「もちろんです」


 姫は答えた。

 その眼は真剣な好奇心に輝いている。


「このままでは私も気になって眠れませんもの」


 ジークは微笑して語り始めた。


***


 ノーザンブリアという国が在った。

 ヴァルデックもプルーセンも超えた大陸の北西端に位置し、歴代女王の治世のもと非常に栄えた国であったが、今はもう無い。

 最後の女王が死した後にその血を受け継ぐものが総じて死亡し滅んだのだ。

 だがその悲劇的な最期に加えて白亜の宮殿を彩ったいくつもの信じられない伝説により、ノーザンブリア王国は滅んだ今なお大陸中にその名を知られ続けている。

 その伝説とは例えば──


「ノーザンブリアの王室には絶対に女性しか生まれなかったとか」

「ゆえに完全なる女系王室で、しかも歴代の女王はぜんいん白銀の神に紫の瞳という、月の女神ディアナと見まごう程の美貌の持ち主であったとか」

「おまけにその女王たちは不思議な力を持っていて、背後は岩山、正面は荒れ狂う海という痩せた国土にもかかわらず、金銀宝石を作り出して国を彩り栄えさせたとか」

「その強国ぶりはかの法皇ですら手出しができない程であり、指をくわえて眺めているしかなかった法皇はあまつさえ、先代の女王に横恋慕してしまったとかなんとか……」


 ──このような逸話の数々である。

 ジークは兎をむしゃむしゃやりながら話していたが、姫君は一口も兎に手をつけずに彼の話を聞いていた。大きな瞳が深い知性に輝いている。それをジークは意外に思った。

 この人は、魔女と謗られ虐げられて、おぞましい火あぶりの刑に処されたと聞く。

 そのような身の上にある女性だ、このような荒唐無稽な話、頭から否定されてもおかしくないと思っていた。

 だがマリアはそうしない。

 ジークが喋り終えるまで一言も口を挟むことなくすべての話を聞いていた。そして話が終わるとおもむろに口を開いた。


「……思い出しましたわ。ゾフィー様は北方の異国より嫁がれた姫君だと、ザックスがいつか話してくれたことがありました。彼の女に関してはほとんど口を開かない兄ですのに」


ジークは頷いた。


「そうです。ゾフィー・フォン・バーデン。本来の名はゾフィー・ヴェルザンディ・ノーザンブリア。……あの方は、ノーザンブリア王族の血に連なる御方」

「けれど、何故? そのような大国の姫がバーデンなどという小国に嫁ぐことになったのです?」


 姫は明朗に問う。その打てば響く賢さが好ましく、ジークはわずかに微笑んで答えた。


「これは噂からの推測に過ぎませんが──ゾフィー様はどうやら直系の姫君ではなく傍系の姫君であられたようなのです。白銀の髪に紫の瞳という女王の証を持ち合わせておらず、髪こそ雪のような白であったものの、その美しい瞳は冬の空の色合いだったと」

「確かに。城にかけられた肖像画の眼は水青みずあおだったわ」

「はい。俺も拝見いたしました。ゆえ、傍系の姫であられたが為、王位継承権を持ち合わせずに政策の一環としてバーデンに嫁がされたのではないかとの推測です」


 ジークは言った。とたん、マリアの柳眉が跳ね上がる。


「つまり傍系の姫だから大国との婚姻は望めず、バーデンという小国に嫁ぐしかなかったと? なんとも女性を見下げつくした発言ですわね」


 手厳しい一言にジークは肩をすくめるしかない。


「本当に見下げているかはわかりませんが、身分の高い方々の見解としては、一般的には女性とは婚姻のための道具にすぎませんからね」

「あなたもそう思っていらっしゃるの?」

「まさか! げんに俺はあなたとの結婚を望んではいないと言うのに」

「なんてはっきりしたおっしゃりよう!」


 ジークの言葉に姫は声をたてて笑った。

 このふたり、確かに嘘でも婚約を発表した間柄とはとても思えない。

 ジークは姫の賢さを気に入っていたし、姫のほうでもジークのひょうひょうとした態度の裏に隠された慎重さ、燃える正義といったものを読み取って彼に尊敬に近い感情を抱き始めてはいたものの、それは到底男女間の恋情ではない。

 むしろ先刻までの会話を省みれば、このふたりは良き同志となれるかもしれなかった。


「あなたは、不思議な人だな……」


一しきり笑った後、ジークは座る姿勢を崩してそう呟いた。

マリアは膝を抱えたままで彼を見る。


「どういう意味ですの?」

「剣も槍も弓も持たぬのに。その心はまるで騎士だ。馬を駆り、大きな世界を見つめ、常に未来を切り開こうと考えている。もったいないな。よろしければ今度剣を教えてさしあげましょうか」


 喋りながらもまた笑い、皮袋につめた水を口に含む。

 マリアも微笑んでようやく兎を口にした。


「トリアー騎士団総長御自ら教えていただけるなんて光栄なことですわ。ぜひ。この戦が終わったのちに」


 その言葉にジークはふとまじめな顔に戻った。


「そう、戦。……いかんな、話が逸れました。巻き戻しましょう。法皇がなぜバーデンを狙い、その理由がゾフィー様にあるのか」


 あごをさすりながらジークが言うと、姫は片手を挙げてそれを制した。


「大体わかりました。法皇が愛したノーザンブリア女王は崩御された。しかしこの大陸の中に女王と同じ血を引くものがまだ生きている、とくれば……追いかけないわけはありませんもの。法皇はゾフィー様がバーデンに生きて帰ったと思い込んでいらっしゃるのでしょうね」

「その通りです。つまり、バーデンが十年前に一度攻め込まれたのもそれが理由だったのですな。法皇はノーザンブリア女王を愛していた。だが女王は死んだ。諦めきれない法皇はバーデンに嫁いだノーザンブリア王家の傍系であるゾフィー様を手に入れようともくろんでバーデンへ攻め込んだ。だが意外にもバーデンは強く、攻め落とすことはできず、戦乱の渦中でゾフィー様は命を落とされてしまった」

「しかし本当は亡くなってはいなかった、と?」


 マリアが鋭く切り込むと、ジークは「いかにも」と頷いた。

 焚き火の揺れる焔に照らされた灰蒼の瞳が、ふと虚空を見つめて瞬いた。


「彼の女は生きていらっしゃる……おそらくは、プルーセン王宮の最深部に、幽閉されておられるのです」


 それはジークが己の持ちうる術を総動員して調べ上げた情報だった。

 法皇に狙われた前王妃。

 しかしながら遺体の見つからなかった前王妃。

 解せなかった。彼女がほんとうに死んでいるとしたならば、もはや法皇がバーデンという小国を狙う理由など皆無だ。

 だが実際には、法皇はしつこく、それも密やかに姑息に内乱を煽る様な真似をしてバーデンを壊滅へと誘っている。

 ジークは腑に落ちなかったのだ。だから調べた。

 法皇の泣き所となる存在を。

 焚き火がぱちんと爆ぜた。

 マリアが囁くように言った。


「けれど何故、プルーセン王国はゾフィー様を……?」


 みなまでは言わない。けれど、それだけでジークは彼女の言いたいことを理解している。

 兎を刺していた櫛をひょいと焔のなかに放り投げて薪にしてしまいながら、彼は淡々と答えた。


「プルーセンの王は愚かだ。ゾフィー様と引き換えに法皇になにか見返りを要求するつもりでしょうが、仮にも法皇だ。あの豚がそんなに簡単に五月蝿い蝿を増やすはずがない」

 

 マリアはジークのその言葉にちいさくひとつ頷いて、外套を肩にかけ直した。夜闇に溶け込みそうな黒曜石の瞳が空を見上げ、無数の星が散らばる天体をはるか見上げる。


「……急がなければなりませんわね……」


 彼女の言葉に、ジークはただ笑った。





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