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異国の美姫と吸血鬼 34

 

 

 ──こうしてトリアー騎士団は、バーデン領国王ザックスからの助力要請を受け入れ、彼に兵を貸し、御身と妹君およびその領地を武力によって守ることを盟約した。

 つまり、近くバーデンで戦が起きる事が決定した、ということだ。

 しかしながらトリアー騎士団にとっては遠征となるこの戦、自身が総長の座を留守にしている今、ジークフリートがバーデンに貸すと約束した数はわずかに四百。

 対してザックスに反旗を翻したヴァルデック・プルーセンの二国は法皇という強力な後ろ盾に守られ、兵の数はどう少なく見積もっても五千を超える。

 まともに戦場でまみえれば、勝敗は火を見るより明らかであるが、無論ジークフリートには策があった。

 

「アルフレド、ヴァルター。お前たちは夜明け前にバーデンを出立し、ただちにヴァルデック国内南部へ迎え。かの国は法皇に尻尾を振り立てる主が気に食わず、内乱を企てる豪者たちが南に集まり始めているとのこと。お前たちは彼らと話し、トリアーの旗を見せ、事情を説明した上で軍を集めて北部へ迎え」

 

 会議は夜を徹して続いた。

 婚約を発表する翌朝までに決めねばならぬ事が多かったからだ。

 ザックスは侍女たちに馬と旅装束の準備をただちに命じ、自らも準備するものがあると言って広間を出ては、しばらく経ってから戻ってくるというのを繰り返していた。

 くわえてマリアもリンツの様子を見るために席を外し、つまり広間では、騎士達が人目をはばからずに紛糾することができたというわけである。

 

「仰せのままに。王の城は包囲致しますか」

「そうだ、包囲しろ。決して殺すな。バーデンなどを救うのがごめんだと駄々をこねる奴がいたら、かの国にはいかに御可哀そうで美しい異国の美姫がいらっしゃるかということと、彼女を救った気高き王が控えていると涙ながらに説得してまわれ。それでも協力する気がないなら法皇に首をはねられて死ねと言っておけ」

「……かしこまりまして」

 

 部下は黙って頭を垂れた。

 最低限の労力で最大限の功績を挙げる。

 ジークの座右の銘であった。

 ゆえ彼はこの兵力も時間も数限られた戦においては、まともに敵の首をはねるより、その体とも言うべき民──つまり下々を味方につけることを選んだ。

 トリアーを法皇に滅ぼされて以来、法皇を弑し奉り、この大陸を解放することのみを目標として準備してきた彼である。

 この大陸において、どれほどの数の人々が、どれほど法皇に怯え、法皇を憎み、そしてその恐怖からの解放を望んでいるか、彼は綿密に調べ上げて知っていた。

 

「つづけてギュンターにキース。お前たちにはバーデン内で動いてもらおう。すぐさまトリアーに連絡を取り、ジュルとカイサに四百人の人員を連れて来いと伝えてくれ。以後はジュル、カイサと共にお前たち二人が中隊長として指揮を執れ。軍の配置は任せる。そして団員たちが到着するのを待つ間に、姫君の御話にあった、教会に集うという数少ない半法皇派の人々と結託し、結婚式当日の段取りを整えてもらいたい」

「畏まりました。……しかし、婚約を発表したのち、御三家の存在が我らを見逃す筈はございませんが」

「無論。だが、我らの手中にはかの異国の美姫がおられる。姫君は魔女との呼び名を持つとおり、多くの薬や毒に詳しい。ゆえ、お前たちは姫君の教えを請うて、御三家に毒を撒くのだ」

「でっ……!」

 

 出来かねます! と絶叫しかけたキースの声を、ヴォルフが片手を挙げて遮った。

 何故、と驚愕もあらわに瞳を見開いてくる部下に対し、彼はていねいに言葉を選んで説明した。隣のバカ団長の頭を叩いて。

 

「落ちつけ、キース、ギュンター。毒とは言え、死にはせん。眩暈を起こし、体がしびれ、発熱を促すだけのものだ。伝染性を持ち、兵舎の中に投げ込めば、半日もたてばバーデンの守備はものの役にたたなくなる」

「しかし、最悪、死に至る事もあるのでは?」

「薬を与えず、放っておけばな。だからこそ役に立つのではないか。薬は我らの手の中にしかない。姫君しか作れぬものだからな」

「──あっ」

 

 そういうことか、と騎士達の眼に理解の色が浮かんだ。

 つまりこれは、ザックスに対する反逆派、つまり五月蠅い法皇派を黙らせると同時に、姫君を守る策略のひとつでもあるのだ。

 残酷な選択を迫られた際には最悪死を賜ることもできる。

 騎士達は納得し、感嘆すると同時に恐ろしくも思った。

 そのような事をすれば、トリアー騎士団にも魔女なる不名誉な呼び名がつけられてしまうのではないかと、恐れずにはいられなかった。

 しかしながら、それに対してもヴォルフはあっさり言い放った。

 

「心配は無用だ。この世のどこを探しても、姫君のように病を意のままに操る事ができる人間など居らぬ。我々が病を流行らせたなどと、口にしなければ誰も思いつきもしない。あくまで黙って毒を撒き、時が来れば黙って解毒すればよい。それでなにも問題はない。姫君によればこういうのはバイオテロ、というそうで、御身が故郷では戦でよく用いられる作戦であるそうな。」

「ば……?」

 

 意味がさっぱりわからない部下たちであったが、取り合えず、相変わらず肝の据わった団長と副団長であると自らを納得させるしか術はなかった。

 顔を見合わせ、しぶしぶ頷く彼らを笑いながら見つめて、ふたたびジークが口を開いた。

 

「んで。俺と姫君は、ちょっくらプルーセンに行ってくる。かの国を黙らせて、同時にバーデンの奴らを降伏させる、とっておきの宝石を取りに行ってくるぞ」

「──宝石、とは?」

 

 これはヴォルフも初耳であった。

 大体、姫君を危険な眼にあわせるというだけでも大いに不満でジークが憎い彼である。姫の話題に関しては、たちまち眉がきつく寄った。

 

「まじめにやらんと刺すぞ。ジーク」

「うえ。はい。すんません。……ええとだな、でも、これだけはちょっと、お前たちにも直前までは言えないんだよ」

「何故?」

「うーん、どこに耳が在るかわからんし。とりあえず、任せておいてくれ、とだけ言っておく。姫君は俺が命を賭してもお守り申し上げるゆえ」

 

 ふいに、驚くほど真面目な眼をしてジークはそうヴォルフを見つめた。彼のそんな表情はめったに見れるものではないが、記憶を辿る限り、こうした顔をする時の彼は、ほんとうに真面目に物を言っているという確証はあった。

 ヴォルフは自分もジークを見つめ返したが、やがてためいきを吐くと、肩をすくめた。そして言った。

 

「……わかった。何だかよくわからんが、好きなようにしろ。」

 

 団長よりも団長らしい物言いに、思わず苦笑を禁じ得ない部下たちである。

 だがジークはにっこり笑って親指を立てた。

 

「恩に着るぜ、ヴォルフ。あと、姫君に御挨拶しておくんなら、いまのうち。もうすぐ婚約発表するからな」

「──黙っていろ。」

 

 友を思いやったつもりの一言は、しかしながら、照れ隠しと怒りのゲンコツによって文字通り撲殺された。

 たちまち頭を抱えて叫ぶジークを尻目に、ヴォルフは椅子をひいて立ち上がる。

 おや、と目を丸くする部下の視線を受け流して、彼はマントを翻した。

 

「勘違いするな。俺も戦の支度をするのだ。──ジーク、おれは、ここで敵を迎え撃つ」

 

 *** 

 

「ひめさま! 姫様!」

 

 一方、当のマリアも忙しくしていた。

 リンツの傷が予想以上に深く、しかも毒を盛られていたので発熱していたのだ。解毒を施して縫合したのちも、定期的に様子を見ていなければ予断を許さぬ状況であった。

 姫君は城の地下に造らせた処置室にて、今しもリンツに何度目かの薬湯を呑ませたところだったが、そこに衣服の裳裾をからげて走り込んできた侍女の姿を見て柳眉をひそめていた。

 

「まあ──イライザ、何事なの。これなる騎士はかのトリアーよりお見えのリンツ・シュトラウザどの。そのような大声は御体に触る故、慎むのです。」

 

 蝋燭を手にかかげた侍女は、処置室の中の様子を見て取るなり赤面し、跪礼した。

 

「……失礼を致しました!」

 

 薬湯を呑ませたリンツは落ち着いて、今は眠っていた。

 患者を寝かせた寝台のそばに膝をついていたマリアは、額にうかぶ玉のような汗をぬぐいながら立ちあがると頷いた。

 

「それで、何用じゃ」

「あの……さきほど、恐れ多くもザックス様じきじきがわたくしめの部屋に見えられ、姫君が城外へお出かけなさる故、その準備を整えるようにと申しつけられました。」

「その通りだわ。なにか問題が?」

「──問題ですって!?」

 

 イライザは絶叫した。

 石で造られたこの処置室に、音という音はよく響く。

 侍女の怒りとも驚愕ともつかぬその声は、こだまを引いて響きわたった。

 マリアは小さく息を吐き、部屋の中央に置かれた卓の、その上に用意してあった熱湯に手を浸すと、消毒した。

 熱湯の中には何か薬が入っているらしく、鼻をつく薬草の匂いを含んだ蒸気があたりには漂っている。

 イライザは、主人である姫君がなぜこれほど落ち着いていられるのかが不思議で仕方なかった。

 だってこの人は、普通の姫君ではない。

 普通の女性でもない。

 魔女と呼ばれ、虐げられ、火あぶりにかけられて──その結果、外から、他人から、世界から、隔絶された存在なのだ。

 

「静かになさいと言ったでしょう、イライザ。……あなたの気持ちは、よくわかります。けれど、私が、この城の中にひきこもっているばかりで、良いことなど一つもないのです。わかるでしょう?」

「わかりません! 外に出たら、姫様、貴方様は、あなたさまは……っ」

 

 イライザの声がふるえた。

 彼女は喉をつまらせて、俯いたかと思ったが、急にぱっと顔をあげてマリアを見つめた。その目に涙が溜まっているのをマリアは見た。

 

「あなたさまは、殺されてしまいます!」

 

 侍女の悲痛な叫びに、マリアは思わず体が恐怖に跳ねるのを感じた。だが、それを表には出さずに、ただ首を振って見せた。

 

「……心配は無用。トリアー騎士団長様がこの身を御守り下さいます。大陸一の騎士団の総長ともある方が身元を保証して下さるのです、私にみすみす刃を向ける輩などいないでしょう」

「けれど! 私にはわかりません、姫様。何故なのです? バーデンのためですか? あなたを殺そうとした、こんな街のために、あなたは命をかけるのですか?」

 

 イライザは尚も言い募った。

 彼女は、侍女としての思考をかなぐりすてて、ただマリアの友人としての感情を爆発させていた。

 イライザは教会の神父が極秘裏に保護している、半法皇派の人々の中の一人である。

 彼女の父親は先の法皇の侵攻によって命を落とした。

 彼は妻と、その胎の中に既に存在していたイライザを守るため、妻を家の地下室に隠し、自らが盾となって兵の刃に串刺しにされた。

 彼女の母は辛くも命を救われたが、女手ひとつで娘を育てるうち、皮膚のただれる病にかかり、その病を恐れた街の民によって攫われて、二度と帰ってはこなかった。

 どちらもマリアがバーデンにやってくる前の話だ。

 恐らくはイライザの母は既に殺されており、ため、イライザはバーデンを激しく憎んでいた。

 

「……バーデンのためではないわ。この大陸の、全ての命の未来のためよ」

 

 マリアは静かに言った。それは決して嘘ではなかったが、心の全てというわけでもなかった。

 イライザにはそれがわかったらしく、ぴしゃりと否定した。

 

「それは大義です。貴方様ご自身の希望ではない」

「大義がわたしの望みであってはいけないの? わたしは兄さまに恩を返したい。貴方に恩を返したい。バーデンを良い街にしたいのよ。法皇を討ち、大陸をまとめ、ひいては皆が健やかに暮らせる毎日を。──それは私のまことの希望よ」

「では、リヒター様はどうでもよいと仰るのですか?」

 

 イライザの声が低くなった。

 マリアは熱湯から手を引いた。侍女が何を言いたいのかが、ふいにわかった。そのことに憤り、胸をはやらせながらも、清潔な手ぬぐいで手を拭き侍女をたしなめた。

 

「イライザ。度が過ぎるわ。旅の支度をして頂戴」

「お答えくださいまし。かの騎士は、貴方さまの厚意ひとつも受けられず、戦の中に身を投じ、あるいは命を落とし、あるいは例え助かったとしても、貴方さまと他の男性が婚姻を結ぶのを目の前に見なければならないのですか? 何故仰らないのです、彼の騎士と添い遂げたいのだと。それが全てではなくとも、リヒター様のために城外へ御出になるのだと!」

「──イライザっ!」

 

 マリアは、ついに、叫んでいた。

 昂った感情が限界を超えてしまった。ヴォルフの……愛する者の名を引きだされ、冷静さを取り落としてしまった。

 マリアは息を吸った。

 ぱっとイライザの顔を見て、睨みつけるようにして見つめた。

 

「わたしが何故、リヒターの名を出さなかったのかわからないの?」

 

 極力、声を荒げないように努力した。

 このような重要な時に、感情のままにふるまって、判断を誤る事だけは避けたかった。

 そうだ、本当は──ヴォルフと共に居たい!

 彼の傍について、その命が走る先を見届けたい。

 だが、マリアにはやらなければならないことがあり、ヴォルフにもそれはあった。

 何故なら自分たちには守るべきものが、街があり、求める幸せは、それがあってこそもたらされるものだからだった。

 

「わたしが、城内に閉じこもり、兄さまたちばかりが戦って、勝ったとしましょう。私は城から騎士の手によって連れ出され、婚姻を挙げて、嫁ぎ、子を生み、幸せに暮らす。──けれどそれは偽りの幸福。わたしは、わたしが成すべき事を放棄して、幸せになれるとは決して思わない。守られて得た幸せのなかで、きっと悔み続けるわ。戦で死んだ者の無念を。この頼りない手が助けられたかもしれない命を!」

「姫様……っ、けれど!」

 

 イライザの眼が見開かれ、そこに激しい葛藤が見えた。

 理解の色と、悲しみと、そこから逃れ出たいともがく、無意識の強さのようなものが。

 

「けれどあなたは、お忘れになどなれない筈です……! 半年前のあの恐怖を……」

 

 マリアは彼女から顔を背けた。

 処置室の天井は高く、四方の壁は深くえぐって戸棚とされているが、そこにはおびただしい数の薬草に治療道具が納められていた。

 石の廊下を音をたてて歩きながらマリアはそれらの薬草のうち、いくつかを手にとり、選んだ。そして言葉をつづけた。

 

「……ええ。勿論、忘れることなど、死ぬまでできない。あの恐怖に、憤ろしさ。何か強烈な悪意が、わたしを広場まで引きずって行き、死を授けようとした、あの、この上もない理不尽さ。」

「でしたら!」

「けれど私は助け出されたの!」

 

 姫は苛立たしげに小さく叫び、薬草を手に卓にもどった。

 薬草をそれぞれの容器から匙ですくいだすと、竈にかけた鉄鍋にあきらかな法則を持って投入し、水や、何か黒い液体などを注ぎいれて火を付けた。

 

「お兄様。イライザ、貴方も。そしてリヒターが。みなが私を助けてくれた。血のつながりも何もない、異国の哀れな娘のわたしを。私は貴方がたと、これからずっと、顔を見て話をしたいし、平等な道の上を歩きたいの。姫としてでもなく、魔女としてでもなく。人間には、いかなる蔑称も、序列も着せることはできない。人の心には、品格という宝がある。

 ねえ、イライザ。私はそれを知っている。だからこそ、やらねばいけないことがあるの」

 

 マリアは、友の傍にゆっくりと歩み寄ると、俯いた彼女の手を取り、その薄茶の眼を覗き込んだ。

 イライザはいまや滂沱の涙を流していたが、かろうじて首を振りながら、それでもいやです、と訴えた。

 

「嫌です。いや。わたくしは、姫様が、またあのような眼に遭われるなどと──わたくしを独り残して御隠れになるなどと──耐えられませぬ」

「……ありがとう。けれど、わかって。私には、わかるの。私たちの眼の前に伸びる道が、複雑に曲がりくねりながらも、遥かな未来で一つに重なるその様が。」

 

 ──兄は、王だ。

 そしてヴォルフは騎士として、その生を生きている。

 誰に命じられたからでもなく、それが彼らのすべきことであるが故に。

 マリアは思う。

 生きるという事は、ただ己自身が選び、耐えて、進んで行くしかないのだと。

 悲しみに涙を流し、過去を悔み、誰かを恨むだけでは何も変わらない。その魂が輝きを失い、自らを滅ぼすだけだ。

 

「前へ──ただ前だけを見据えて、進むのよ。イライザ」

 

 姫は言うと、肩をふるわす友をきつく抱きしめた。

 

 


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