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異国の美姫と吸血鬼 31

 

 

 ジークフリートは満天の星空の元、城のバルコニーに立っていた。

 

 宵闇にほのかに浮かび上がる白と金色の装束──すなわちトリアー騎士団の正装だ──に身を包み、夜風にマントをはためかせながら、何か考え込むように、じっと前を見据えている。

 彼の瞳が見わたす先には、闇に沈む丘陵がひろがり、その先で静かに眠る街並みが在り、その広大な街の周囲を、わずかな灯りを点した兵舎が守るようにして取り囲んでいた。これほど大きな街を守る兵舎としては貧弱とも言える規模だ。

 それに比べ、この城を密かに守る兵士たちの数の多いこと。

 正門と裏門に配備されている兵たち以外にも、周囲の森の中で息をひそめている忍んだ兵たちの存在に、ジークは無論気が付いていた。

 彼の、灰青色の瞳が、バルコニーの燈を受けて暗く輝いている。

 兵舎に一瞥をくれてからおもむろに口許に指を当てると、ジークは息を吸い込んだ。

 高らかに、指笛の音が鳴り響く。

 はじめは平坦に、それから抑揚をつけ、最後には音を跳ね上げるようにして独特のアクセントを付けると、ジークはそれを二度、くりかえした。

 甘い音の余韻が、大気を震わせ、波立たせる。

 風がざわついて森の木立を揺らがせた、と、同時に。

 音もなく、バルコニーに降り立った、騎士達の姿が在った。

 

「ヴァルターにアルフレド。無事なようだな」

 

 ジークがにこやかに声をかけると、服をパン粉で白く汚した青年と、きらびやかなびろうどの服を着た青年が膝を折った。

 

「は。御覧の通りに」

 

 ジークは笑う。そしてつい、と首を動かし、こちらは兵士の制服に身を包んだ、よく似た見かけのふたりの青年に眼をやった。

 

「ギュンター、キース?」

「ただいま戻りました。」

「戻りましてございます、ジークフリート様。」

「うん。無事で何よりだ。」

 

 ジークは本当に嬉しそうに頷いて、それから部下を立ち上がらせた。

 彼らはジークの財産だった。

 ひたむきで、我慢強く、向上心がある。

 人を憎むよりも許す事ができる。

 そして何よりも、愛すること、受け入れることができる者たちなのだった。

 

「──みんな、潜伏ご苦労だった。少しは休んでもらいたいんだが、生憎と、こちらバーデン国王ザックス陛下が我々と話をしたいとご要望なんだ。もうわかっているとは思うが、彼は我々の敵ではなく、同士であり、俺は彼に助力したいと思っている。……でも皆の意見も聞かないとまだ何とも言えないからな。集めてくれた情報も聞きたかったし、今から会合を開く。異論はないか?」

 

 騎士達はみな沈黙を守った。つまりそれは了承の証であったので、ジークはいま一度ほほ笑むと、では、と城内の方へ踵を返した。

 騎士達もそれに続いた。が。

 

 突如、ヒュンッと音を立てて、恐ろしいまでに正確な狙いの弓矢がジークの真横をかすめていった!

 

 ぎょっと振り向いたジーク。

 その灰青の眼に、今度は短剣をふりあげて飛びかかってくる、部下のリンツの姿が映った。

 絶叫し、慌てふためいて飛び退った。

 

「りっ……リリリリンツ!!!? ばか! 何すんだ! 血迷ったかこのバカーーーー!!!」

「それはこちらの台詞でございます! ジークフリート様、貴方様と言う方は、どれほど我々に心配をかければ御気が済むのですかっ!?」

 

 リンツは怒っていた。猛烈に怒っていた。

 眼帯をしていない方の瞳が吊りあがり、ぎらぎらとジークをねめつけている。

 空気を裂く音を立てて短剣を振り下ろすと、彼は、ジークのマントの裾をバルコニーの石畳に縫い止めてしまった。

 もいちど悲鳴をあげるジーク。

 

「ああぁああーーー!! 俺のマントが! せっかく、この旅行に出る前に、針子のカレンに新調してもらった俺のマントがぁ~~~っ」

「マントなどどうでもよいのですよ、ジーク様! こともあろうに騎士団長ともあろう貴方様が、まっさきに教会へ行かれたというこの愚行を! 貴方につき従う部下と致しましてはどのように受け止めたらよろしいのか!?」

 

 叫んでリンツはいま一度ジークに掴みかかろうとしたが、さすがに見かねた他の騎士たちが肩を押さえてやめさせた。

 仲間たちは、リンツがなぜこれほど怒っているのか、何となくわかっていた。わかっていたからこそ、はじめは止めずに見守っていたのだった。

 だが当の本人は、おあいにく、全くわかっていなかった。

 

「えええぇ~? き、きょうかいなんて行ってねーよ!! つか行ったとしてもそこまで怒んなくたっていーじゃん!!」

「これが怒らずに何を怒れというのです!? 万が一御身に危機が及んだ際にはどうされるおつもりだったのです!!」

「……危機なんて及ぶはずねーし……及んだとしても、ヴォルフいるし……」

 

 悪ガキのように口をとんがらかせ、両手の人差し指を突き合わせるジークの姿を見て、リンツの額にさらに青筋が浮かぶ。

 

「……そのヴォルフ様を探すために、我々はここバーデンに来ているのですよ……?」

「ひゃー、怖い。でもさー、ヴォルフ、無事だったし! あっ、そうそう、それに、教会も完全に俺らの敵ってわけじゃあなかったんだぜ!?」

「我々はまだその情報を聞かされてはおりませんっ!!」

 

 もう果たして何度目か、リンツが渾身の力を込めてそう叫び、憤激一歩手前といった所になって、バルコニーの空気の流れが変わった。

 

 かつん、と、長靴ちょうかが石畳を踏む足音がする。

 控えていた騎士達は、全員その足音に、はっと顔を上げた。

 怒りに燃えていたリンツですら激情を忘れて冷静さを取り戻し、懐かしきその足音の主を──その、登場を待った。

 

 バルコニーから続く、広間の闇に、遠く灯った灯りがあった。

 それは次第に近づいて、その者の容貌を照らし出す。

 松明の火に照らされて、ほのかに紅く輝く、不思議な瞳の色の騎士と、その後ろにひかえる、やわらかな女性の輪郭。

 しゅるしゅると、蛇が地を這うような音を立てて、薄紫色のドレスが床を流れた。

 

「ヴォルフ、と……」

 

 ジークが唖然とした様子でつぶやいた。

 

「──……姫君か?」

 

 ***

 

「……血の匂いが致します」

 

 開口一番、マリアは言った。

 ヴォルフは表情を変えなかったが、ジークがきょとんと眼を瞬いた。

 

「エ?」

「あなたではありません。貴方の背後にいらっしゃる、眼帯をされた──黒髪の、そう、あなたですわ。」

 

 彼女の白い手が、すっと持ち上げられて、舞うようなしぐさで手首を返した。そして、ほっそりと長い指先が向かう先には、今や微動だにもできないリンツの姿があった。

 

「……わたしは、怪我など……」

 

 姫の視線を受けて、リンツは平生、主上の前ではどのような感情も載せたことのない顔に、動揺の色を露わにした。

 マリアは切れ長の黒い瞳でまっすぐに彼を見据えた。

 

「いいえ。あなたからですわ。」

「──リンツ。正直に答えろ」

 

 ジークフリートが声を低くして命令すると、リンツは僅かに逡巡し、それから諦めたかのようなしぐさで襟の詰まった首元をはだけた。

 ヴォルフが喉の奥でひくく叫んだ。

 

「刺されたのか。」

「……申し訳もございません。」

 

 リンツは深く頭を垂れた。

 

「先刻の指笛を聞きつけた者が闇に潜んでおりました。ほとんどは交せたのですが、これだけは避けきれず」

 

 彼の一言を受けてジークは他の団員達の顔をさっと見やったが、みな一様に首を振った。どうやら怪我をしたのはリンツだけだったらしい。

 マリアがドレスの裾をさばいてリンツの傍へと歩み寄り、ひざまずくと傷を素早く検分した。

 さすがというべきか、急所には至っていない。だがどうやら湾曲した刃で差されたらしく、出血が多く、ぎざぎざと破れたような、ひどい傷跡だった。

 マリアはさっと立ち上がると、迷わずジークに向って声をかけた。

 

「はやく縫わなければ出血多量で死んでしまいます。輸血が必要となる前に、城内へと下るよう皆様にご命令なさって下さいまし。」

「──承知致した」

 

 ジークは聡い姫君に心から驚嘆しながら、立ち上がった。

 団員達を振り仰ぎ、命じる。

 

「皆、中へ。時は一刻を争う。ギュンター、キース。リンツに手を貸してやれ」

「はっ」

 

 そして互いの紹介も、挨拶すらもできぬまま、一同はバーデン城の奥深くへと入って行ったのであった。

 

 

 

 


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