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異国の美姫と吸血鬼 30

 

 

 そしてまさしく、ジークフリートは今しも、バーデン城内に侵入している所であった。

 どうやって、という質問をするのはここでは賢い選択とは言えない。

 なぜなら彼は騎士だ。それもフランク大陸一の、トリアー騎士団の長を務めるものだ。

 街を歩いていたヨッパライ兵士を一人ぶっ倒して制服をはぎ取り、そのまま城の台所のねーちゃんに爽やかな笑顔を見せて入れてもらった……などと知られたら、彼の名誉に傷がつくこと間違いないというもの。

 

「でけー城だな」

 

 さて無事に城へと潜入すると、そこいらじゅうの人々からそれとなく情報を集めつつジークは歩を進めて言った。

 台所で可愛いお姉ちゃんからもらったパンを食べながら、ながーい廊下をほてほて歩いて行く。

 予想以上に立派な城だった。

 人が少なく、閑散としてはいるものの、調度品は最高級だし、石造りの城にしてはすき間風も少なく、かなり過ごしやすい。<

 時折、洗濯物や食べ物を捧げ持ちながら通り過ぎていく召使たちはみな上品できちんとしており、ジークが笑顔を向けると世にも美しいしぐさでお辞儀をしてくれた。

 

 バーデン領国の領土はさほど広くはない。

 しかしながらその土地からは天然の温泉が湧き出でるが故、温暖な気候に恵まれて、豊穣の国としてかつて花のような栄華を誇ったとジークの所有する文献には在った。

 特に先代の王は優秀だった。

 異国からの王妃を迎え、その女性は王にも民にも深く愛され、街は幸福の絶頂にあった──らしい。年の若い王子も聡明で、良く勉強に励んだと言われている。

 

 しかし、十年前のあの惨劇が、この街を破壊した。

 法皇によって攻め込まれ、王が正気を失う原因となった……

 

「前王妃ゾフィー・フォン・バーデン」

 

 ジークはとある肖像画の前で立ち止まり、その絵に付された題を読み上げた。

 真っ青なドレスに身を包んだ、見たこともない銀色の髪をした女性。瞳はその衣装よりもずっと、もっと青く、三日月のような眉は髪と同じ色だった。加えて透けるほどに白い肌。

 持つ色素という色素が全て薄い、一見はかなげだが、どこか意思の強さを感じさせる女性だった。

 

「……?」

 

 ジークフリートは、肖像画を見つめるうち体に走った違和感に、片方の眉を吊り上げていた。なんだろう。この色彩の女性。見たこともないはずなのに、なぜか懐かしい気がする。

 

 母上に似ているのか? ちがう。

 ではトリアーに似た面差しの女性が居たか? 居らぬ。

 

「どこで見た……?」

「ゾフィー様がお気に召したか?」

「っ!?」

 

 耳元で、とつじょ太く低い声が響き、ジークは飛び退っていた。

 心臓が早鐘のように脈打ち、手が懐の短剣に伸びる。

 思わず戦闘態勢を取る程に、いま目の前に居る人間はなにか恐ろしい王者の威厳を発していた。

 

 赤毛の巨漢。悠然と湛えられたほほ笑み。

 毛皮のマントがゆったりと翻り、みごとな大振りの剣を携えているのが見えた。

 ジークはさらに緊張し、短剣を握る手に力をこめた。

 が、巨漢はいたってにこやかに、こう言葉を続けた。

 

「ゾフィー様はそなた等トリアーの騎士団にもゆかりの深い御方である。ここより遥か海を越えた先の国、法皇ですら手出しのできないノーザンブリア聖王国の王女であらせられた御方だ。」

「あなたは……」

 

 ジークフリートは灰青の瞳を見開いて男を凝視し、それからやがて、短剣を握る手をゆるゆると下ろした。

 懐の鞘に剣を戻すと、マントを払い、潔く絨毯の上に片膝をついた。

 

「──大変な御無礼をお許しください。バーデン領国王ザックス陛下であらせられますか」

 

 ザックスは、ただ笑った。

 

「固くなるな。顔を上げよ。私がバーデンの上であるならそなたもトリアーの長であろうに」

「トリアーは王を戴いてはおりません故、私の身分は一介の騎士にしかすぎませぬ。」

「それも、これからいくらでも変化するであろう」

 

 ザックスは言って、自らも絨毯に膝をつくと、ジークフリートの手を取って立たせた。

 

「早速だが、ゲザング殿。書状は読んで頂けたか。わたしは一刻もはやくトリアーとの同盟を望んでいる。応えを聞きたい」

「……なぜわたしがトリアーの騎士団長だとおわかりになったのです?」

「茶化すな。時は一刻を争うのだぞ」

「お聞かせ下さい。」

 

 これは確かに時間稼ぎの質問でもあったのだが、単純に聞いてみたいことでもあったので、ジークは臆せずザックスの眼を見つめ返しそう尋ねた。

 ザックスは、一度瞬いた。

 そして、みごとに赤い顎髭を手でさすった。

 しばらく彼はそうしていたが、やがてふっと笑みをもらした。

 

「すぐにわかった。城内で見ない顔だからという理由だけではない。そなたは人が目が反らせない何かを持っているのだ。人はそれを魅力と単純に呼ぶが、あるいはそれこそが強さだ。覇気だ。それに、リヒター殿からそなたのことはよく聞かされていたのだ」

「ヴォルフ? そうだ、彼は今どこに!」

「ゲザング殿。」

 

 やにわに、ザックスははっきりとジークフリートの名を呼んだ。

 なにか抗えぬ響きを持っていたので、ジークは口を閉じ、ただ彼を見た。

 脇の壁から、前王妃の蒼い、あおい眼差しが、じっとこちらを見下ろしているのを感じた。

 

「着いて来なさい。そなたには永い話を聞いてもらう必要がある。」

「この街の過去についてなら、もうたくさんです」

 

 すかさず口をはさんだジークに対して、ザックスは頷いて見せた。

 

「無論、そうではない。だが、過去を無視して未来を創り出す事はできぬ。違うか? トリアーの者は誰よりそのことをよく知っている筈であろう」

「無論です」

「ならば共に来てくれ。何度も繰り返したが、時は限られているのだ。そしてそれはわたしとこの街のためだけではなく、そなたたちの街にも脅威が及ぶことなのだ。」

 

 言いざまザックスはマントを翻し、廊下を歩きはじめた。

 ジークはその場でしばし考えをめぐらせていたが、やがて、一つ息を吐き出すと、ザックスの後を追って駆けだした。

 

 ***

 

 ──……その翌朝。

 バーデン領国王女がフランク地方南の自治都市、トリアーの騎士団長と結婚するとの報せが城から発表された。

 

 街は当然、揺れに揺れた。

 王女とは誰だ、この街にそんな存在はいない、いるとしたらザックスの飼っているあの恐ろしい魔女だけだ。異国の美姫。

 

 しかしそれがなぜトリアーの騎士団長などという大層な地位についている人間と結婚できるのだ? 

 

 決まっている、ザックスがトリアーを脅迫したのだ。さきごろ街にやってきた一人の素晴らしい騎士があった。彼はトリアーからやってきたと言っていた。街を滅ぼそうと猛威をふるう流行り病の薬を求めて。ザックスはきっとその薬を与えた代償として、トリアーを手中に収めたのであろう。

 

 けれど何ゆえ?

 

 ザックスは異端なのだ! 仲間を増やし、このフランクを征服したいのだよ! だからトリアーという強大な軍事力を手に入れたのだ。

 

 しかし、何故トリアーは協力したのですか? ザックスに従えばと当然、トリアーにも異端の疑いがかけられるではありませんか。

 そもそも、トリアーとはどのような騎士団なのですか? フランクにて現在最強と謳われる実力を持ち、完璧な統率力を誇る騎士団という以外には、ほとんど実態が謎に包まれている気が致しますが。

 

 それがわからんのだ。わかっているのはただ、トリアーは素晴らしく平和で、すばらしく生活水準の高い街であり、それを守る騎士団もまた、高潔で聡明な、神に任命された騎士であるということだけなのだ。

 それに例え異端だとしても、現在フランクにおいてトリアーを打破するだけの力を持つ勢力は存在しない。ゆえ、誰もが手出しを出せずにいる。これは確かだ。

 

 トリアーは異端なのですか? 法皇様はどうお考えなのです?

 

 わからぬ。トリアーは自治都市であるがゆえに、調べること叶わぬのだ。無論今まで何人もの密偵がトリアーに放たれたが、みな何の連絡もなく消息を絶っている。

 然るに猊下はトリアーをなんとか押さえつけたいと考えている。できるなら穏便に、闘いを避けてな。それほどかの騎士団の軍事力は近年めざましい成長を続けているのだ。

 

 いずれにせよ、今回の婚約という大きな発表が公にされた以上、トリアーは無傷では済まされますまい。

 

 左様。だからこそ不可解なのだ。そこで今夜、城に密偵を放つ。かの流行り病の薬を求めてやってきた騎士は、現在も城にて生活する姿を確認されている。彼を拷問にかけるのが最も手っ取り早かろう。加えてあの姫君も奪い去れば、ザックスとてもう平静を保ってはいられないであろう。

 

 しかし、リヒター殿はかの騎士団に属するものですよ。そう簡単には行かないと思われますが。

 

「ほざけ」

 

 今の今まで闇の中に飛び交っていた声が、ふいに蝋燭の光を受けて浮かび上がった。

 それは黒く、ヴェールをふかぶかと被った幾人もの男性たちの口から発されていた。

 ある声が……今までのやりとりの中でも最も敬われ、尊大に過ぎた声が、言った。

 

「あれは──リヒターは、現在でも猊下の飼い犬だ。忘れたとは言わせん。」

 

 そして声は高く笑い、この低い地下の天井によく響いた。

 

 ろうそくの明かりが彼の笑いに合わせて揺れ動き、不気味に視界をちらつかせた。

 

「猊下はリヒターに傷がついたことを知ったら良い顔はしないであろう。だが、我々がバーデンを失えばそれ以上にお怒りになられること間違いない。ゆえ、我々はバーデンをザックスに渡すわけには行かない。どんな手を使ってもな」

 

 低く、呪文を唱えるかのようにそう呟くと、声は唐突に消えた。

 光が失われて、辺りはふたたび完全なる闇に還った。

 

 

 


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