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異国の美姫と吸血鬼 29

 

 

「……全てを、話して下さい。ヴォルフ」

 

 地下に住まう人々は、重い病や言われのない差別によって街から殺されかけた、いわゆる『異端者』であった。

 極刑に処される前にマリアがわずかな味方に助力を頼み、極秘裏にかくまったのだ。

 

 触れれば肌がただれてしまうと伝えられている、ライ病の親子が居た。

 幸福な家庭を持ちながら、町長に恋着されてそれを拒絶し、魔女として裁判にかけられた女性がいた。

 めずらしい赤毛の髪としたたるような緑の眼をもち、悪魔とののしられた青年がいた。

 

 彼らは皆一様に市井のなかで暮らし、ただ幸せを、己の身の幸福を願って生きてきた人間でしかなく、にも関わらず愚かな誤解によってその人生を破壊されたのであった。

 

 見過ごせなかったの、とマリアはヴォルフに言った。

 わたしと同じ人たち。いいえ、例え、そうでなくても、私には真実が見えている。彼らが戒められているものの全てが虚像だとわかっているからこそ、助けたいと思ったのよ。

 

「だから、ヴォルフ。」

 

 地下室に、マリアの凛とした声が響く。暗いその部屋に蝋燭の灯りがゆらめき、暖炉の火がはぜる音が響いていた。

 ヴォルフは部屋に並べられた寝台の一つを借り受け、混乱がおさまるまで寝かされていたが、いまは起き上がっていた。

 

「あなたの全てを話して下さい。あなたのことも。私の力が及ぶ問題では、きっとないでしょうけれど、それでも私は知りたいの。」

 

 マリアはテーブルについて、その両脇に幼い子供達を座らせていた。共にまだあどけなく、きれいな青い澄んだ眼をしたこどもは、マリアになついているようで、彼女の服の裾をしっかと掴んだままヴォルフのことを見ていた。

 いや、その子らだけではない、この地下室に住まう全てのものがヴォルフを見ていた。あるいは非難の、あるいは哀れみの眼差しを持って。

 

 そしてヴォルフはそれに怯えていた。

 

「……おれは……法皇に育てられた」

 

 頭を抱え、低い声を震わせながら、ヴォルフは訥々と話し始めた。

 

「物ごころ付いた時には、すでに法皇が親のようなものだった。生村は法皇によって襲われて、滅んだと聞いている。俺はだから、ほんとうの家族というものをほとんど覚えてはいない。わずかに残る記憶も、兄がいた気がする、父は剣を教えてくれた気がする。……それぐらいのものだ。」

「そんな話が聴きたいんじゃねえ」

 

 暗がりから、声が飛んだ。途端マリアの厳しい視線がそちらに飛ぶ。

 中年に見える男性であった。頬に目立つ、深い傷を負っていた。

 

「法皇の手下の兄ちゃんよ。俺たちゃアンタの身の上話なんか聴きたくねえのさ。あんたがどうしてここにいて、どうして麗しきマリア様を取りこんだのか、そこが聴きたくてしゃあねえんだからよ」

「ルクセン。」

 

 マリアは、ひじょうに固い声で彼を叱責した。

 まるで女王の威厳であった。

 

「今我々が覗き見ようとしている、これは彼の心臓です。みだりに手を出し、傷つけることは許しません。戒められ、傷つけられて、あなたは人としての誇りまでなくしたのですか」

 

 ルクセンと呼ばれた男は、このマリアの言葉に赤面した。恥じ入ったように黙りこむ。

 ふたたび地下室を沈黙が支配し、ヴォルフは両手で顔を覆っていたが、やがて再び口を開いた。

 

「……法皇は俺を愛した。親子としてではなく、異常な感情でな。法皇は俺の瞳に妄執していた。魔女の宝石、と呼んで愛で、常に傍に置いておいた程だ。俺はあいつの人形だった。幼いころから、何の疑いも持たず、あいつの所有物だった。そういう人間は俺の他にも大勢居た。法皇は、自らが滅ぼした土地の中で、気に入った容姿や声や体つきの者があれば、迷わず己のコレクションに加えた。そして至宝と称して宮殿に保存した。気が向けばいつでも取り出して楽しめるようにと」

 

 おののきの声が、人々の間から漏れ出た。なんとおぞましい、とある者は顔を背け、ある者は子らの耳を覆った。下卑た笑いを洩らすものも居たが、マリアは微動だにもしなかった。

 黒いまつげが見据える先には、ただ、ヴォルフが居る。

 

「……けれどあなたは、トリアーの騎士になった。かの悪名高き法皇の手から、如何様にして逃げ遂せたのです?」

「俺は、剣が好きだった。」

 

 ヴォルフは応えた。ベルトに差していた剣を鞘ごと引き抜くと、彼はそれを愛しげに掲げて見せた。

 

「人を殺すのが好きだったわけではない。ただ、握っていると安堵した。恐らく、父を、兄を、思い出す唯一のよすがになるのがこの剣だからだろう。この剣だけが、俺が所有する唯一のものだった。法皇ですら、俺からこの剣を取り上げることはしなかった。それが誤算だったんだ。……法皇の宮廷には、無論大勢の兵士が居た。みな法皇の身を守る大役を任せられた精鋭ばかりだった。俺は彼らに可愛がってもらった。剣を教わり、体術も学んだ。やがて成長するにつけて、自分には少しばかり剣の才能があると気がついた。」

「そして、逃げた?」

「いや」

 

 物語の成就を期待したマリアを、ヴォルフは再び暗い声で遮った。

 マリアは胸を突かれ、再び黙った。

 

「俺の才能に気がついたのは、俺だけではなかった。……法皇は、俺の腕を認め、遠征部隊への入隊を強要した。つまり、彼が侵略の際に使用する軍のことだが」

 

 彼が話すごとに、部屋の空気が冷えていくようだった。

 実際には、炉の火によって、空気は暖まるばかりだというのに。

 もはや誰もが静まり返っていた。言葉を発しているのは、ヴォルフだけだった。

 

「……人を、はじめて殺したのは、十四の時だった。死にたくないなら斬るしかなかった。殺したくないと泣いていれば、背に矢を、剣を、石を受ける。いわれのない侵略に、怯え憤る人々を殺すのは、子供だった俺にすらひどい恐怖だった。吐くほどの罪悪感。血の匂い。返り血で染まる衣服。それすら慣れてしまうほど戦って、俺はいつか成長していた。法皇は俺の手柄を喜んだ。眼を細めて、まるで本当の子供にかけるような優しい声で、俺の名を呼んだ。ああいう時だけは。──やがて俺は法皇の所有するあらゆる軍の中で最も強いといわれるまでになってしまった。法皇の将軍。自分で自分のしていることに気が付いて、死のうと思ったのは、そう呼ばれた時だった。」

 

 ヴォルフは今や落ち着きを取り戻しているように見えた。

 息を吐き、すこし顔を上げてマリアを見る。

 マリアは何も言えなかった。

 彼の、その強い手も、美しい瞳も、たくましい体も──。

 法皇なのだ。すべて、法皇によって、培われたものなのだ。

 そう考えると耐えられなくなった。彼に対してではない。

 ヴォルフがそれを知っていながら、だが決して彼以外の存在にはなれないという事実にだ。

 

 人は他人になれない。

 背負ったものは消えない、消せない。

 それでも──だからこそ、生きてゆくしかないのだ。

 

「マリア。俺は、逃げたんじゃない。死のうとしたんだ」

「え……」

 

 マリアははっと顔を上げた。

 ヴォルフが、悲しげにほほ笑んでこちらを見ていた。

 ろうそくの揺らめく炎に照らされて、はっきりと彼の輪郭が主張されて見えた。

 

「死ぬべきだと思った。汚れきって、腐りきって。何も生み出さず、破壊するだけで、悲しみを、憎しみを、生むばかりで。自分が息をしていることすら許せなかった。おれは、法皇が遠征に出た後すぐに、宮廷を抜け出した。そして黒い森に入った」

「黒い森……」

 

 マリアはぞっと言葉をなくした。

 それは、フランク大陸の北部に横たわる、人は決して立ち入ってはならない、閉ざされた深いふかい森のことであった。

 そこには野人といわれる、人語を解さない、凶暴な裸の人間が住み、獣たちとともに迷い込んだ人々を喰うと言う。

 幸運にも彼らの手から逃れたとしても、今度は妖魔や精霊のたぐいが人々を惑わして、森の糧としてしまうのだという。

 

「神の御心にまかせようと思った。おれほど罪を背負った人間もいまい。ならば、黒い森に入り、喰われるなり、野たれ死ぬなりどうにでもなれ、と。そういう、実に甘えた考えで俺は森の奥へ奥へと進んで行った」

「……おにいちゃん。」

 

 緊迫した空気の地下室に、愛らしい子供の声が響き、空気を緩和した。人々はその声に弾けたように顔をあげた。

 マリアの脇に座った少女が、ヴォルフにおそるおそる声をかけたのであった。

 ヴォルフは不思議な瞳を瞬いてから、それからやわらかくほほ笑んだ。

 

「……何だい。」

「あの、ね。その……くろいもりって、ひとを食べちゃう、ひとが住んでるんでしょ。わるいひとは、食べられちゃうんでしょ。」

「うん、そうだね」

「じゃあ、食べられなくて、いまここにいるから、おにいちゃんは、いいひとなの?」

「グレーテル」

 

 嘆息したのはマリアだった。

 彼女は、こわばった心にあたたかな光が差し込んだような感触を覚えながら、幼い少女の名を呼び、彼女を抱き寄せた。

 ふふ、とヴォルフが小さく笑った気配がして、マリアは彼を見た。

 確かに彼はほほ笑んでいた。口許に手を寄せて、幼いグレーテルを見て。

 

「……子どもとは、可愛いものだな。穢れがない。でも、ちがうんだよ、グレーテル。おれは、確かにあの森の中で死にかけた。襲われこそしなかったものの、寒くて、腹も減っていた。凍った土に足を取られて、倒れ込んだ。そして一歩も動けなくなった」

「なれば……?」

「おれを助けてくれたのは、ジークフリートだった。」

 

 ヴォルフは、その名を、確固とした希望を持って発音した。

 マリアは目を瞬いた。

 じーくふりーとって、誰? グレーテルが言う。

 ヴォルフはさらに笑ってこたえた。

 

「強い、つよい騎士だ。勇敢で、清廉潔白……大体はな。何よりも未来を常に見据えている。着いていきたいと思った。こいつのためなら、生きたいと思った。それほどの男だった。彼は。なぜあいつがあの時、黒い森に居たのか。その理由を俺は知らない。だがあいつはあたかも捨て犬を拾う要領で俺を拾い、食べ物と水を与えた。熱が出たが、回復するまで付き添ってくれた。そして、目覚めた俺にただこう言った。──俺の手助けをしてくれないか、と。」

 

 ヴォルフは、腕の中の剣を抱くようにして、目を閉じた。それは悲しい意味合いの行動ではなく、喜びに満ちた行為に見えた。騎士が剣を振るうのには、大いなる理由が必要だ。大義名分などではなく、もっと切実で、一生をかけても実現したいと思える、「夢」が。

 ヴォルフはその「夢」をジークフリートの中に見たのだ、と、マリアは悟った。

 

「そして俺はトリアーの騎士になり、今、ここにいる。──バーデンの人々よ。」

 

 ふいにヴォルフは、立ち上がっていた。

 天井の低い地下室で、彼の体はひどく大きく見えた。

 蝋燭の灯りが彼の影を映しだし、その影は、やがて床に片膝を折った。

 

「私を、認めてくれとは言わぬ。ただ、許してほしい。姫君のため、貴方がたのため、そして私自身のため。このバーデンで剣を振るうことを」

「……それは、この街に再び、戦が起きるということなのか?」

 

 一人の若者が、ヴォルフに尋ねた。

 ヴォルフは顔を上げた。

 若者の質問が、地下室の人々すべてのものであることを、彼は知っていた。だから、はっきりと応えた。

 

「そうです」

「──馬鹿な!」

 

 たちまち憤る人々を、さらにヴォルフは遮った。

 

「しかし、ただの戦ではない。改革の戦だ。」

「綺麗事だ! お前ら騎士はすぐに、殺戮に理由をつけ、弱い者を虐げる!」

「あるいはそうだとしても、今度ばかりははっきり違うと言い切れます。我々は法皇を討ち、この大陸に新たな王を据えることを目標としている。そして、そのためにザックス様を法皇の手から守る必要がある。」

「ヴォルフ。」

 

 驚いたマリアは、思わず声を発していた。ヴォルフはすぐに頭を垂れる。

 

「何か。姫君」

「……では……あなたの言葉によれば……この街には法皇の手のものが潜んでいる、というの?」

 

 大きなざわめきが起きた。

 あり得ない! と誰かが叫び、しかしすぐに、あり得ることだと誰かが呻く。

 

「この街は永く疲弊してきた……ザックス様を疎む勢力があるとは確かに聴いていた。それに、俺達を虐げた者、つまり、異端審問会が法皇の手に染まっていると考えれば……」

「その通りです。ザックス様はいつ討たれても不思議ではない。」

 

 ヴォルフは頷いた。マリアは少しよろめき、子供達が心配そうに声を上げた。

 大丈夫よ、と呟きながら、マリアは額に手を当てる。

 

「お兄様、お兄様はそれをご存じの上で、トリアーに助力を要請していたのね……。」

「はい。俺も気がつくのには、時間がかかりましたが。しかし我が主、ジークフリートは既にその事を考慮した上で援軍をこちらに送ってきている筈です。故、剣を振るうことをお許しいただきたいと願った。」

「わたくしに、決められる事ではないわ。」

 

 青ざめた声で言ったマリアに対して、ヴォルフはただ頷いた。

 

「まさしく。なれば、当人同士が話し合うのが一番でございましょう。」

「当人同士?」

 

 きょとん、としてしまったマリアに、ヴォルフはまた、今度は少し不敵ともいえる笑顔でこたえた。

 

「はい。──すなわち、ジークフリートと、ザックス様が。」

 

 

 

 


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