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異国の美姫と吸血鬼 1

 トリアー騎士団の朝は早い。

 

 

 

 早朝の形容詞としてよくよく用いられるヒバリ・スズメ・ニワトリよりも更に早く、まだ空に暁の星が浮かんでいる頃に仕事がはじまる。

 

 団員のなかでいっとうはじめに起きるのは無論団長、ジークフリート・ゲザング様。……と言いたいところだが、いかんせん彼は日ごろの仕事量が多すぎるためか、朝に弱い。

 しかも弱いうえに寝起きが悪いときているので、無理やりたたき起こすとお得意の槍術で親切に朝を告げに来てくれた者を殺しかねない。ため、ジークフリートが勝手に起きてくるまで手出しする者は誰もいなかった。

 代わりに騎士団に朝を告げる役目を担っているのは、ジークフリートの無くてはならない片腕、騎士団の副団長を務める者である。

 

 場所は騎士団の居城の胸壁上、町にひとつだけある鐘楼。

 りんごーん、りんごーんと、遠くで聞くと荘厳だが近くで聞くとうるさいだけの鐘の音を、無表情で鳴り響かせている男がいた。

 

 くすんだ茶色の髪に起きて数分で既にばちりと見開かれているダークグリーンの鋭い瞳。鐘楼の不安定な足場でなんなくバランスをとり、冬の寒さをものともせずに鐘をつくという、その一連の身のこなしのみごとさ。

 見るものが見ればそれだけでかなり鍛えられた騎士だとわかる。そう。剣を持たずとも、十分過ぎるほど「騎士」である男。

 彼こそが副団長ヴォルフラム・リヒターその人だった。

 

「ヴォルフ様、おはようございます」

「ああ。」

「おはようございます、リヒター副団長」

「おはよう。」

「ヴォルフ様、団長はまだ起きていらっしゃらないのですかね?」

「知らん。」

 

 誰より早く食堂にて朝食を取っているヴォルフにぞろぞろと起きだしてきた他の団員達が挨拶をする。これも毎朝の風景。あまり口数の多くないヴォルフは出された麦パンとチーズとミルクをもくもくとたいらげた後、さっさと仕事を開始する。団員たちの朝稽古は数人いる班長にまかせて、まず城に届いた手紙や書面のたぐいをチェック。その場で返事できるようなものには返事を書いて、次にそそくさと城下パトロールへと赴く。これに彼は愛馬クロイツを使用するので朝の気分転換的な意味合いを持つ仕事でもある。

 ぱかぱかとゆるい速度で城から街へと降りていくと、あっという間に住民達にかこまれる。ヴォルフは馬を止めた。

 

「ヴォルフ様!今日もご機嫌うるわしゅう、御馬の毛艶もまたよろしくなったように見受けられますわね」

「おはようございます、騎士団副団長様。今朝のパンの売れ残りなんですよー、どうぞお持ちになってください」

「ヴォルフ様、先日とても良い布が織れたのです、どうぞこれであたいに団員さん達のマントを縫わせてくださいな。

 そうすればあたいの裁縫の腕がこの町一って、誰も疑うものはいなくなるでしょうよ」

 

 ヴォルフはいちいちうなづいてみせたが、心の中では身構えていた。馬の上から見下ろす人々の顔はひじょうに健康的だがどこか不安げ。こういう時は次に何が起きるものか、ヴォルフは街を守る騎士団の一員として、よおく体で知っていた。

 

「ところでヴォルフ様。お願いがあるのです」

 

 ──来た。

 

 ヴォルフは内心仰け反るが、もちろん表面にはおくびも出さない。ただいつものように無表情で言う。

 

「……今日は何が起きた?」

「はい。申し上げます。昨夜、東のハンスの居酒屋で、ひとりの急病人が出たのです」

 

 トリアーの街は広いため、同名の人物がいる場合はその者が住む場所や職業によって固体識別を行う。

 

「東のハンス。あの店なら近くに薬師の一家が住んでいるだろう、彼らでも治せぬ病気ということは、まだ見ぬ病ということか?」

「その通りなんですよ。気持ち悪いの、全身に真っ赤なブツブツが出来てね、体が火のように熱くて。喉がかわいてたまらないと言って何杯も何杯もぶどう酒を飲んでいたから、それが原因なのかと思ったら、違うんです。一夜明けた今朝になったら更に熱が上がっているみたい。悪魔に憑かれたんじゃないかしらって、あたいらは噂してるんですけど」

「薬師の一家はなんと?」

 

 胸の奥に突き刺さった恐怖を感じながらヴォルフは問うた。

 住民達が話す急病人の様態に、彼は心当たりがあった。

 

「はい、先生もどうしていいかわからないって。なにしろ見たことがない症状だから。あんまり突然の発熱だったし、なによりその人、トリアーの民じゃないんです。一昨日馬車でついたばかりの商人さんでね。健康そのものの明るいひとだったから」

「……そうか。わかった。ジークに報告しておこう。」

 

 背筋を流れ落ちる冷や汗に気づかないふりをして、ヴォルフは住民達に答える。住民達はうれしそうにはいと答えて、それからまた他愛のない世間話をしはじめた。

 クロイツの足元の石畳にうつる、影がだんだん濃くなってくる。

 

 ──そろそろ戻って、稽古より先にジークと話さなければならんな。

 

 無論、あの寝起きのわるい騎士団長が起きていれば、の話だが。

 ヴォルフは考え深げにためいきをつくと、クロイツの手綱を握りなおした。

 

 *** 

 

「おっはよーう、ヴォルフ!いやあ今日も朝の巡回ご苦労!共に参れなくて悪かったなっ、俺、どうにも朝が弱いもんだからさ!」

 

 城へ戻ってクロイツを厩舎につないでいたところ、神妙な顔つきのヴォルフの後からそう軽妙に声をかけてくる男があった。

 

「……」

 

 相手が誰かはむかつくほどにわかっていたが、ヴォルフは黙ってクロイツの汗を拭いていた。どうやら今日はよく眠れたようだ。いつもより更に口数が多い。

 

「なあなあ聞いてくれよ、昨日やーっと溜まってた政務片付けてさあ、あ、半分はお前がやってくれたからたすかったんだけど、寝たの超遅いわけよ。むしろ寝た次の瞬間朝、みたいな。ほら、北の法皇とあいつにへつらう貴族諸侯どもへの手紙はほんときつかったろー。俺らはどこにも膝折るつもりはないってさー、やんわり断りの手紙出すの楽じゃなかったんだぜー」

「……その手紙も文面考えたのおれだろ」

「だから助かったって言ってるんだよ、ほんとにお前がいないと俺はやっていけないよ、ヴォルフラム副団長☆」

 

 臆面もなくそう笑ってみせる騎士団長に、ヴォルフは盛大にためいきをついてみせながら振り返った。短い金髪に灰色っぽい青の瞳。少年のようにいたずらな表情をたたえてはいるが、彼こそがこのトリアーを守る騎士達を束ねるもの、そして民の上に立つものであった。

 

「わかったからもう出るぞ、ジークフリート。ったく、団長だってのにこんな遅くまで眠りこけやがって。片付けてもすでに新たな政務が来てるぞ。巡回で妙な噂も耳にしたし。ところで朝稽古はすませたか?」

「いや、まだ。なんだか腹の調子が悪くってさ、今日はやめておこうかと……」

「動きゃ治る。今日は俺とやれ。槍と剣両方だ」

 

 自分がいると事あるごとに理由をつけて仕事を休もうとするジークフリート の首根っこをつかみ、ヴォルフは問答無用で歩き出す。ずるずると引きずられながら騎士団長は情けない声を出していた。

 

「悪魔!神の天罰が下るぞヴォルフ!いいか、イエス・キリストはな、常に隣人を愛せよと……」

「イエス・キリストの名を語って悪事を働くんじゃない。怠惰は大いなる罪であるぞとおれはお前に教えてやっているだけだ。立派に隣人への愛を決行している」

「神よ、我を救いたまえ!俺はいそがしいんだよーっ」

「だからって人に職務を押し付けんな!だいたいなあお前、おれが騎士団入ってから仕事さぼってばっかりじゃねーか!……」

 

 そして怒れるヴォルフがなんともやる気のないジークフリートを叱咤しつつ稽古場へとついたころには、トリアーの街で大きな悲鳴が上がっていることとなる。

 

 


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