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異国の美姫と吸血鬼 26

 

 

 彼方からの呼び声が、いま出会うべき者たちを集めつつあった。

 未来の姫君、その誠の騎士、王者と、戦士。

 彼らが一堂に会する時、大いなる奇跡が起きる。

 

 

 

(きめたわ、ヴォルフ。私も動く。もう、捕らわれるだけ、待っているだけの姫ではいないわ、わたくし!)

(姫?)

(マリアよ。それは私の真の名だわ。ついてきてちょうだい)

 

 ゆうべの告白のあと、姫はヴォルフをとある場所へと連れて行った。

 ヴォルフの愛が彼女を変えた。姫はもはやただの美女シェーネではなかった。聖母の名をもつ、とても勇敢な、類稀な女性だ。

 部屋へ戻るというヴォルフとの約束をやぶり、いつ守衛に、あるいはザックスに見つかるかという大いなる危険を冒しながらも姫の瞳は喜びに輝いていた。

 なんの喜びか? 

 無論、愛を得た喜びだ。そしてそれにより、マリアは悟ったのだ。もう自分は何も恐れる必要がないと。自分を縛りつけるのは結局自分でしかないのだと。

 

 城の石の床を、マリアとヴォルフは音もたてずに進んでいった。

 衣擦れの音すら聞こえない。真夜中だった。窓の外に月が光り、時折廊下に守衛が灯りを手に立っているが、騎士たるヴォルフは彼らの眼をうまく盗んだ。マリアはそんなヴォルフを完全に信用し、ほほ笑みさえ浮かべながら先ず自分の部屋へと連れて行った。

 ヴォルフはさすがに狼狽した。

 入り口で躊躇し、立ち止って姫の名を呼ぶ。

 

「マリア?」

「シッ。勘違いしないで、ここから抜け道があるの。鍵を閉めて。閉めたらそのまま私に背中を向けていて。服を着るわ」

 

 姫は囁き声で命令し、ヴォルフがその通りにしている間に戸棚を開けて服を着た。彼女はずっとマント一枚のままだったのだ。

 ヴォルフは姫が着替えている間に考えをめぐらした。

 

 きっとジークは明日にはバーデンに着く。正面切ってか、こっそりかわからないが、彼は絶対に俺と姫の前に現れるだろう。

 彼はマリアとの結婚は望まない筈だが、回避する手立てを用意しているかどうかは分からない。そういう意味ではほんものの馬鹿だから。それに、トリアーが医師を必要としているのは事実だ。いま現在トリアーには薬師一家がいるだけで、その家の双子のこどもたち以外は医術を志すものが居ない。

 どんな形であるにしろ、マリアがトリアーに迎え入れられることは確実だ。そしてそれは彼女にとっても良いことだ。少なくともここバーデンよりは……

 

「いいわ。こちらを向いて。ヴォルフ」

 

 振り向くと、簡素な紺色の毛織服に彼女は着替えていた。装飾が一切ない実用主義のドレスで、これから行く先を連想させる。

 その上からマントを再びばさりと羽織ると、姫は行きましょうと言った。返事の代わりに、ヴォルフは胸に手を当てた。

 

 姫の部屋の一角、絨毯に隠された床の下、厳重な二重鍵の戸が潜み、そのさらに奥には通路が隠されていた。

 薄暗いが清潔に乾き、蜘蛛の巣も張られていない穴で、レンガが敷き詰められている。あきらかに新しく作られた、人が行き来する目的の穴だ。

 

 数々の戦を経験してきたヴォルフはこういった抜け穴の類は見慣れていたが、それらは大抵、王侯貴族が緊急時に脱出するための一方通行の穴であるか、あるいは牢屋など、直接赴くことができない場所につながる密通者の道であるかで、つまり行先は必ず「外界」だった。逃げるための道。それが抜け穴だからだ。

 

 ランタンを灯し、マリアは率先して抜け穴を進んだ。ヴォルフは当然ながら彼女を背にして進もうとしたのだが、マリアはここには絶対に危険がないと言って断固としてヴォルフの背中を見たがらなかった。

 

「しかし、マリア。外へ行くのだろう? 君の脅威である街へこの穴は続いているのではないのか」

 

 ゆらめく光に視界を明滅させられながらヴォルフは尋ねた。

 その時マリアが振り返っていれば、彼の瞳がこのときは緋色に煌々と輝いているのを見たはずであった。人にはありえない眼の色。

 暗闇の中で光を浴びると、ヴォルフの瞳は赤みを帯びるのだ。

 しかしマリアは振り返らなかった。背中だけで答えた。

 

「そうね、確かに街の中ではあるわ。けれどヴォルフ。そこは、そこだけは、私にとって脅威ではないのよ。城に軟禁されていた私だけれど、医師としてこの街を助けてきた……そう話したわね? けれど私は外に出ることが叶わない、だとすればどうやって? 答えは簡単よ。仲間が居たの。私をけして裏切らない聖域が」

 

 マリアの声は落ち着いていた。しかしヴォルフは叫んでいた。

 

「聖域? では教会が? まさか! そんなことはあり得ない」

「当たりよ、ヴォルフ。そして貴方があり得ないと思う、その理由を話して頂戴」

「あなたを火あぶりにかけた忌まわしいこの街で、裁判とも呼べぬ裁判を行ったのは異端審問会の奴らだろう? 彼らは教会に属している筈だ」

「その通りよ。けれどバーデンに異端審問会が置かれ始めたのは、この街に法皇が攻め行ったその後からのことなの。戦がこの街を変えてしまったのよ。戦で失われた、王妃ゾフィー様の死が。そしてその死をふかく悲しんだ先王が気を違え、バーデンを放り出した。この街はそれから狂い始めたの。」

「では、君がいつか俺に歌って聞かせてくれたあの叙事詩は──この街のことであったのだな。」

「そうよ。兄は王妃様を愛していたの。私はその時、まだ居なかったけれど。決して想いを伝えることはできなかったけれど、兄は幸せだったと言っていた。法皇が攻め入るまで、この街は、魔女や吸血鬼などという幻に怯えるような、そんな愚かな街ではなかったのだと。」

「マリア──」

 

 姫の声が急に硬質に変化したことに気づき、ヴォルフは彼女の名を呼んだ。しかし彼女は大丈夫よ、と呟いて、先を続けた。

 

「けれど、戦で傷つき疲れた街の人々は次第に不満を募らせていったの。住む家は壊され、男たちは殺され、女は凌辱され、畑は馬の蹄に踏み荒らされて。意味のわからない病気が流行り始めた。たべるものが無い。なのに城から王は出てこない。王妃の死をいつまでも悲しんでいるばかりで、めちゃくちゃになった教会をたてなおす気すらない。街に降りてきて援助してくれるのは、まだ幼いとも言えるほど年若い王子ばかりで──多くの人々が、戦の後、この街でなくなったの。あるいは病気で。あるいは怪我の手当てが満足に行えず。そしてあるいは飢餓によって」

 

 ふいにヴォルフは頬に触れる風を感じた気がした。

 指を舐めてもう一度確かめる。かすかにひんやりと、濡れた指先が大気に反応するのがわかった。外が近いのだ。マリアは構わず歩き続ける。

 

「時間が経ったわ。街はようやく、表向きには再興した。以前の栄華から比べれば半分にも満たない規模ではあったけれど。けれどその頃にはもう、人々から王家への忠誠は失われていたの。みな、法皇を恐れて暮らし、取るに足らないものを怖がるようになった。亡霊や、魔女の類をね。そして教会にはいつのまにか異端審問会が置かれ──老王が死んだ。兄がその役目を継いだ。そして」

 

 姫の背中が大きな呼吸に上下するのが見えた。

 ヴォルフはその先を彼女に言わせたくなかった。だから、言葉を受け継いだ。

 

「……きみがこの街にやってきた、と?」

「……ええ。」

 

 急に空間が広くなり、甘い夜の大気がふたりの周りに流れ込んだ。

 マリアはようやく振り返った。ヴォルフは彼女の手を取った。

 小さな体を抱き寄せると、彼女はやはり小刻みにふるえていた。

 騎士はためいきをつき、「マリア」と言った。

 

「無理をして話す必要はないんだ。俺はただ、この先に何があるか知りたかっただけなのだから」

「いいえ、いいえヴォルフ。これはとても大切なことなのよ。トリアーの騎士である貴方に知って頂きたい史実なの。そして北の法皇の悪事。ジークフリート様にお伝えして。」

「必ず伝えよう。けれど、何故その話が、これからおれ達が向かう場所に関して有効なのだ?」

「教会には、イライザが居るの。その他にも、先王の代よりバーデンに仕える、数少ない王家への忠誠を忘れていない人々が。すなわち半法皇派の集会場よ」

 

 マリアがヴォルフの腕の中で告白した瞬間、彼女の背後から光が差し込んだ。反射的に剣を手にしたヴォルフだったが、姫がその手を制した。怪訝な眼差しを姫に向けると、彼女は悠然とほほ笑んでいた。まるでほんものの王女のように、高雅な表情で。

 

 するりと騎士の腕を抜け出して、彼女は自らの前に立っている人物にお辞儀をする。

 

「お出迎え痛み入ります」

「シェーネ様、か? ……しかしその後ろの御方は」

 

 強い松明の光にやっと眼が慣れてきた。

 ヴォルフは目が見えにくい振りを装って、腕を眼に当てながらさりげなく瞳を隠し、その人物を見た。姫の前に立っている人物。

 司祭服を身にまとっているということは、神父だ。

 

 戸惑いと驚きに黙っているヴォルフを手差し、マリアは歌うような声で答えた。

 

「この者はかのトリアーの騎士、ヴォルフラム・リヒター。神父様、ついに時が来たのですわ。──皆さまの御力を、貸してほしいのです」

 

 ヴォルフは腕を下ろした。

 神父の突き刺すような青い眼が眼にぶつかったが、逸らさなかった。

 

 ***  

 

「じゃあ、何だ? バーデンの吸血鬼とはつまり、我々を救ってくれた医師のことなのか? そのものは女性で、しかも、異端審問にかけられて火あぶりになったと!?」

 

 一方、ジークフリート率いる騎士一行がバーデン手前の山賊の谷に到着していた。山賊たちはこの急な来訪者をはじめこそぶっつぶそうと向かって行ったが、ヴォルフの時よろしく5分も持たずに惨敗し、今は小屋にて彼らに食事を提供していた。

 

「ありえねぇーだろ! 女性が医師だってだけで火あぶりにかけられる? 人を殺すわけではなく救っているのに? どれだけ愚かな街なんだ、バーデンは!」

 

 山賊たちの話を聞いて怒り狂うジークフリートを、横になっている団員達は不安そうな眼差しで見守った。狭い山小屋の中央では焚火がはぜているが、団長はその炎より熱くなっている。山賊の襟をつかみ、今にも襲いかからんばかりだ。

 みすぼらしい山賊たちは半泣きで小屋の中に縮こまっていた。

 ジークはさらに叫ぶ。

 

「ヴォルフもヴォルフだ、そんな街にだらだら居残りしやがって! 早いとこ姫君さらって出て来いっつーんだ!!」

「団長、お静かに。山賊の方々が怯えてしまっております故」

 

 片目のリンツが葡萄酒を一杯だけ傾けながら冷静にそう指摘した。

 しかしながらジークが鎮まる様子は一向に無い。

 彼は山賊の首ねっこから手を離すと部下を振り向き、

 

「今なんて言った?」

 

 と、恐ろしい怒りの声色を発した。

 部下達ははっとした。ジークは本気で怒っている。一時の怒りでなく、心から、彼の正義にかけて怒っているのだ。

 そのことに気が付き、眠っていた騎士も、武器を手にしてた騎士たちもみな身を起して背筋を伸ばした。

 リンツは葡萄酒の杯を床に置き、自らの軽率な発言を恥じた。

 ジークの声が、うつむいた頭の上に振ってくる。

 

「リンツ。今なんと言ったか自分でわかっているか? 俺はお前をそんな騎士に育てた覚えはない」

「……は。申し訳ございませんでした。」

 

 リンツは率直に謝った。ジークフリートは頷いた。

 今や一同に頭を垂れている騎士達を見渡して、「いいか?」と艶のある声を張る。彼の声は彼の美点だった。

 

「俺はお前達に騎士たるもの感情で行動してはならぬ、と教えてきた。それは絶対の掟だ。なぜなら騎士は理性のもとに行動するからだ。わかるな?

 お前達にはそれぞれ騎士になった理由があるだろう。あるいは正義、あるいは愛、あるいは友情。復讐と権力という目的以外でなければ、俺はお前達を騎士に任命してきた。そしてその目的を達するためには常に理性的であれとも教えた筈だ。

 しかし、感情を忘れろと言ったことは一度もない。感情は人間の源だ。それを抑制し、拒絶し、あるいは否定するもののことを俺は決して尊敬しない。」

 

 この教えに、むろん騎士達はそれぞれ、「それって自己防衛じゃん……」とか、「団長さっき、ヴォルフ様に姫君さらって出て来いって言ったじゃん……」とか、「矛盾してる気がする……」とか色々考えたが、概ねはその通りだと思ったので口には出さなかった。

 

「それにしても、許しがたし弱者の街だな、バーデンはよぉ~」

 

 代わりにジークが、長きにわたる副団長の不在のせいで、溜まりにたまったストレスを発散したがっているのがわかったので、敢えて彼が叫ぶに任せた。

 

「大体なんだ、法皇に攻められて以来泣き寝入り? そんなんでどうする。受けた悲しみを力とせずにどう未来を切り開く。亡くなった方々へ顔向けもできんだろうが! 王に反抗するだけならそりゃ楽だ、自分では何もしないんだからな! そんなだからダメになるんだ、ったく。おい、そこの山賊!」

「は、はいっ!?」

 

 急に指をさされ、これまで小屋のできるだけ隅っこで縮まっていたしょぼい山賊の一人が飛び上がった。あきらかにジークの方が若いのだが、同時にあきらかに強くもあった。

 ジークは部下を全員立たせた。

 そして、またなんか始まったよ……とため息を吐く彼らに構わず、こーんなトンデモナイ一言を言い放って見せたのだった。

 

「街の警備兵の宿舎と、城への近道教えろよ。今、すぐに! 乗り込むぜぇーっ☆」

 

 その瞬間、騎士団員達はぜんいん、一様に遠い眼をして祈った。

 はやく帰って来て、ヴォルフ様はやく帰って来て……と。

 

 

 

 

 


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