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異国の美姫と吸血鬼 21

 

「ヒルデおばさん!ちょっとバーデンへ行くことになった!」

 

 

 

 ばんと大きな音をたてて登場した若い騎士の姿に、トリアーきっての大富豪、ブリュンヒルデ・ベルガーの金の眉根がひそめられた。

 

「シギィ。そこを開ける前は必ずノックするようにっていつも言っているじゃないの」

 

 フランク大陸において最強とうたわれる騎士団の、その団長を愛称で呼び、さらには動作の粗を指摘しさえする立場の女性。若くはないが、まだ齢40にも満ちていないのではないかと思われるほど洗練された身なりをした、見事な亜麻色の髪の貴婦人である。

 

 ジークフリートはごめんごめん、と上の空で口だけを動かしてから、後ろ手にドアを閉めて部屋の中へと入り込んだ。騎士団内では見せそうで見せない、リラックスしきった表情で頬を上気させている。

 

「でもしたんだよ一応。おばさんが気づかなかっただけじゃない、また本読んでたの?」

「おばさんとか言うんじゃないの!まだあたしは38よっ」

「もう38。いい加減若作りすんのやめなよ、ドリースが戻ってきたら笑われんぜ?おばさんにはおばさんなりの美しさってもんがあるんだからさ」

「……っもー、ホント、あんたには適わないわ……」

 

 額に手を置いて、熱でもあるかのようにうなだれる女性だが、ジークフリートが自分の足元に跪いたのに気がつくと、ため息をつきながらもふっくらとした右手を彼へと差し出した。いっけん慇懃無礼に見えなくもない動作だったが、ジークの口付けは愛情に満ち満ちたそれだった。

 

 立ち上がり、それよりもさと彼はさっそく本題に戻る。

 

「聞いてよ。かの悪名高きバーデンへ行くことにしたんだ」

「行くことに“した”?シギィ、今決めたみたいに聞こえるのは気のせいなの」

「ああ、だって今決めたもん。ってか驚き少なすぎじゃない?あのバーデンだよ、魔女バーデン。吸血鬼もでるとかって言う」

「そんなもの迷信に決まっているじゃないの。わたしがこの世で恐れているのは北の法皇その一派だけよ。で、何故?」

「なるほどね。えーと、ヴォルフが今バーデンにいるのは知ってるだろ?ホラ、おばさんもかかった流行り病の薬を手に入れるために、あの街まで走ってくれた騎士。俺の親友のハンサムくん」

「ああ。あの珍妙な野生馬味方につけてる、無愛想な男の子ね。緑色の眼の」

「そうそう。あいつからさっき手紙来てさ、俺に来てくれと言ってるみたいだから、行くことにした」

「言ってる……“みたい”って何?」

「実際そうは書いてなかったけど、深読み?みたいな?」

 

 まったく悪びれていない顔でにぱっと笑うジークフリートの表情に、ブリュンヒルデは再びためいきを禁じ得ない。この子は昔っからこうだったわ、と自分の娘とともに彼を育てた経緯を思い出す。常に行き当たりばったりで楽天家の男の子。物事を深く考えないというか悪い方向に考えないというのか、まあ、人の上に立つ者としては最適な性格をしているのだが、それが5歳の子供の頃から24である今の歳まで変わらないとは。

 

 ──想像もできなかったわ。まさかこの子がここまでの騎士になるだなんて。

 

 戦で死んだ友の忘れ形見。

 罪深い北の法皇がこの街を襲ったあの日から、ジークは自分の子になった。

 

 ──誇らしい……けれど

 

 ブリュンヒルデの母としての想いに、一筋走る、痛みがある。

 

 ──もう二度と失いたくはない

 

「団員の奴らはさあ、団長である俺が城を留守にするなんてとんでもないって言い張るんだ、だからこっそり抜け出すことにしてある。優秀な騎士を6人選抜してあるんだ、その内の一人に申し訳ないけど涙を飲んでもらって、俺がそいつの座におさまる予定」

「シギィ」

「バーデンまではもう道のりもわかってるから、多分片道二日もかからないと思うんだけど、その間何かあったら、おばさん、頼むよ。領主である俺がこんなことを言うのは許されないってわかってるんだけど、逆に言えばそれだけのことをしなければならない事態が起きているんだ。」

「シギィ」

「そして今それを無視した場合、そのしっぺ返しは必ず、もっと大きな災厄の形となってこの街を襲うから。だからごめんね、後を頼むよ。一等騎士の奴らはもう十分育っているし、いつでも団長に成れる実力を持っている。すぐに戻ってくるつもりではいるけれど、もしもその間何かあったら、彼らと共に街を守って」

「シギィ。わかっているわ。だから私の目を見なさい」

 

 興奮と後ろめたさにまくし立てる彼をばっさりさえぎってブリュンヒルデは言った。素直に従うジークフリート。たとえどれだけ大きくなっても、息子は母に弱いものだ。

 

「今更私があなたを止めたとしても何になるというの。シギィ、馬鹿にしないでちょうだい。私はあなたの母親なのよ。血がつながっていようといまいと関係ないわ。もういないドリスと同様、あなたは私のかけがえのない息子なの」

「おばさ」

「だからその呼び方はやめなさい。いいこと?ゆえに今私があなたに掛けるべき言葉はただひとつよ」

 

 指先をぱちんと鳴らし、ジークを自分の目線までかがませると、彼女はその、すっかり育ちきった、がっしりと幅の広い肩をやさしく抱き寄せて、日に焼けた頬に頬を寄せた。

 

 この温かい体温が二度と再び失われるなどと、絶対にあってはならないことだ。戦は国と国との間に起きる、正義のための戦いなどではない。人と人が個人単位で傷つけあう、ただ哀しいだけの破壊なのだ。

 

「わたしのシギィ。あなたを待っている人々のため、あなたを信じている人たちのため、ただ無事に行き、無事に帰っていらっしゃい。約束よ」

「……はい。」

 

 愛情という、この世でいちばんやさしいものに包まれながら、ジークフリートもまた、ブリュンヒルデの背に手を回し、そして答えた。

 

「お約束いたします、母上」

 

 あなたに二度も子供を失わせたりはしません。必ず生きてこの街に帰る。必ず生きて、彼女のことを探し出す。

 

「ドリースと一緒にいつか、この家に戻ってくるまでは、俺はけして死にはしません。」

 

 だから、今は、ただこう言おう。

 

 

「──行って参ります。」

 

 

 ***

 

 そして同日夜半ば。

 

 見回りの当番についていた騎士ヨハネスが、夕刻バーデンへ旅立ったはずの一等騎士、ジュルを城内で発見するという事件が起きた。彼は両手両足を縄で縛られ、さらには口にさるぐつわまで噛まされるという状態で自室に閉じ込められており、命に別状はないものの、大変憤った様子で騎士団に一大センセーションを引き起こす事実を口にした。

 

「ジークフリート様が行った!」

「……落ち着けジュル、何が行ったって、どこに行ったって?」

 

 ヨハネスは泣きたくなりながらそう尋ねた。顔がゆがんでいることには彼自身気づいていない。ジュルの咆哮が夜を裂く。

 

「だから!我らが騎士団長ジークフリート・ゲザング様が!かの魔の地バーデンへと馬を駆ってゆかれてしまったって言ったんだよっ!」

「……俺、もう、やだ……」

 

 

 そして、哀れな団員達の涙を受けつつ、舞台はバーデンへと移る。

 

 


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