異国の美姫と吸血鬼 20
「どう思う?リンツ」
一通り手紙を読んだ後、ジークフリートは部下に尋ねた。片目を眼帯で覆った騎士、リンツは厳かに答えてみせる。
「胡散臭い。の一言ですね」
「だーよなーあ。どうも最後が引っかかるんだわ」
「“俺の身を案じる必要は全くない”」
「逆に助けてくれ、っていう風に聞こえるのは俺だけじゃないはず。というかあいつなら一人でも余裕で帰ってこれるだろ」
「おそらく団員全員がそのように感じるのではないかと。ヴォルフ様は余計なことを喋ったり書いたりなさる方ではありませんし」
「うんうん。そうなんだよ。ザックスからの申し出は断るように、ってのも、なあー。なんでそう言うのか飲み込めん。あまりにも押し付けがましいし。あいつはザックスが俺につきつけてきた結婚うんぬんの条件を知っんのかね?一度血縁を結べば同盟の破棄はほとんど不可能に近い。そういうことをわかっていて言ってんのか……とするとあいつは姫君と接触しているということになるのか」
ばさり、と音を立てて羊皮紙が机の上におざなりにされる。ジークは肘をついていた。リンツは黙って直立不動の姿勢を崩さずじっとしていたが、片方のみの眼にうつるこの騎士団長がひどくやつれた顔をしていることに気づいて心を痛ませた。おいたわしい。トリアーの領主と騎士団の長という二つの厄介極まる立場を抱えていながら、現在それを補佐する右腕をなくしている上、流行り病に倒れたばかりで、復活したもののまだ本調子ではないときた。
「あー、煮詰まる。わからん。ヴォルフを今すぐ呼び寄せたい」
少しお休みになったらどうですか、と言ってやりたいのは山々だったが、実際そんなことが許されないのはわかっていたため、リンツは別の言葉を口にした。
「クロイツを放しますか?」
「んー」
「誰かをバーデンに向かわせますか?」
「うー」
「むしろ俺が行きましょうか、俺は対遠距離戦用の騎士ですし、バーデンの中に入らずとも、発明した望遠鏡で相手の様子をさぐることができますし」
「ちょっと待ってくれるかリンツ。お前の意見を聞いてもいいか?俺がバーデンからの申し出を受けた方がいいと思うかそうではないか。遠慮はなしで答えてくれ」
「……難しい質問ですね。」
唐突に切り返された質問に、リンツは苦笑して片方の眼を瞬きさせた。
「答えという明確な意見を持つためにはあまりにも謎が多すぎるのです。バーデンという街は。その街を治めるザックス・ドルトムントという領主は。魔女や吸血鬼がヴォルフ様の仰る通り単なる噂だとしましても、煙が立つ場所には必ず火があるものでしょう。はっきり言って恐ろしいです。恐怖の対象ですね。けれど同時に我々を救ったあの流行り病の薬、あれほどまでの薬を作り出す医師を包容している街でもある。同盟を組んで全く損をするということは有り得ません。この世界には質のいい医師、医療というものが絶対的に不足していますから、おそらくどこの国、どこの地域でも腕のいい医師を育成するための計画は練られていると思いますし」
「しかし、医師ひとりのために民の反乱を買おうと思うか?狂気にかられた人間がどれだけ残酷な行動に出るか、おれたちは誰よりよく知っているであろう?」
「はい。ですから、答えかねるのです。ヴォルフ様はあの街で何を見たのか。何を知ってしまったのか。」
「あーあ。あのカタブツ、本当に魔女に魅入られでもしたかな……」
ジークフリートは何の気なしに呟いて、それから口を「あ」という形に開いた。そしてすぐに立ち上がり、部屋の脇の本棚に直行すると、現代において宝物級の価値を持つ本を無造作に取り出し開いたりめくったり閉じたりしはじめた。時折羊皮紙の古い頁が裂けるような乾いて弱々しい音が立つ。
リンツはやがてジークが声をあげるまで、その一連の行動をただ黙って眺めていた。
「リンツ!頼まれてくれ」
「はっ、なんなりと」
「監察方の心得があるものを呼び寄せてくれ。そうだな、ギュンター、ジュル、ヴァルター」
「アルフレド様、キース様」
「ああ。それにお前だ。総勢六名で素性を知られぬようバーデンに潜伏、調査を行う。ちょっとした騒ぎになるぜ」
「……団長は……」
「ん?なんだよリンツ」
トリアーを離れたりしませんよね、と聞こうとして、リンツは言葉を飲み込んだ。そういう類の台詞をこの騎士団長には聞かせない方がいい気がしたのだ。ただでさえヴォルフ不在で揺れている騎士団からこの団長までもが消えてしまったらどうなってしまうかなど、想像するだけ恐ろしかった。
「……イエ。何でもありません。事前調査を行いましょう、ディートリッヒ・ハイネスを尋問します」
「極上のぶどう酒を用意しろ。それが自白剤になる」
「御意」
頭を垂れたリンツが部屋を出て、計画が始動する。ジークフリートは本棚に本を戻し、窓から高らかに指笛を吹いた。たちまち舞い降りた灰色の鳩を手のひらに乗せ、問い掛けるように語り掛ける。
「バーデンまで飛んでくれるか。俺の親友がどうやら恋に落ちたらしい」
机上に広げられた一枚の羊皮紙からは、かすかにあまい乳香の香りが漂っている。
──あのヴォルフに女の匂い、ね。
おもしろくなってきたぜとジークフリートはほくそ笑んだ。