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異国の美姫と吸血鬼 15

 

 かつて愛した娘がいた。

 きょうだいのように、家族のように寄り添い合い、思い合って、生まれてからずっと側で暮らしていた。未来永劫そうできると、信じていた。

 

 

 

「──ドリス!」

 

 夢の中から叫び、ジークフリートは目を醒ました。息が荒く乱れ、ひどい量の汗で寝台がしめっている。熱くほてった顔や手の皮膚に触れる空気は凍てつくように冷たく、固く締め切った雨戸をあけるまでもなく現在の時刻が朝方なのだと判別することができた。

 

「……ドリース」

 

 今一度つぶやき、夢のなかで見た面影に想いを馳せる。いい夢ではなかった。決して。あの娘の長くやわらかい髪が血にもつれ、つやのある若肌に太く切れ味の悪い長剣が突き刺さっていた。壁に串刺しにされ、花弁のように美しい唇から血を流しながら、うつろな目でこちらを見た……。

 

 ──ジーク

 

「ドリス」

 

 ──たすけて。ここから救って。ジークフリート

 

「ドリス……っ!」

 

 両手で顔を覆い、身を内から震わせるほどの憤りと悲しみに歯をくいしばって耐えた。8年。北の法皇によって彼女を失い、トリアーの民の半数が殺されたあの悪夢の日から、もうそれほどまでの月日が流れた。幾度昇る太陽と輝く月を目の当たりにしては復讐を胸に誓ったことであろう。血を吐くほどに鍛錬と努力を重ね、やっと大陸一の騎士団を従えるほどになった。

 

「今に見ておれ、性根の腐りきったでぶの法皇めが」

 

 ぐうと唇を噛み締め、あまりに強く噛み締めたために生じた紅のしずくを指の腹にすくいとると、ジークフリートは起き上がった。寝台の端に常時たてかけてある愛用の鉄槍を手に取り、その重くするどい三股の切っ先に自らの血をなすりつける。

 

 兵力も、信頼も、馬も武器も。

 

 俺にはすべてがある。

 すべてを手に入れるべく生きてきた。

 

 ──戦の女神がこの地に降臨したまいし時こそ。北の法皇の破滅の時だ。

 

「そのためにはまずバーデンを味方につけ、流行り病を完全に消滅させねばならぬな」

 

 自分自身にむかって呟いたジークフリートは、そこではじめて、自らをむしばんでいたあの恐ろしい病が、その魔手をほとんど控えつつあることに気がついたのであった。

 

「なんと……!」

 

 驚きと驚嘆に眼を見開き、掌をみつめた。

 雨戸を開き、黒を侵食してひろがりゆく橙と真紅に息を吸う。

 

 

 街は今こそ闇を排す。

 

 

 *** 

 

 ディーの届けた流行り病の特効薬はおそろしいほどの効き目を見せた。なにがおそろしいと聞かれれば全てと答えざるを得ない。即効性、普遍性、鎮静効果。薬が街の隅から隅までに行き届いたその翌日には、たくましき騎士達の活動が再開されていた。

 

「ジークフリート様!」

 

 広間に畏怖と喜びの声がみちる。トリアーの神聖なる色である純白に、黄金の刺繍が施されたマントを羽織り、騎士団長ジークフリートが登場したのだ。以前よりも心持こけた頬を笑みのかたちに持ち上げて、彼は「すまぬな」と団員達に声をかけた。

 

「1日政務を放棄してしまった。お前達が俺についてきたことをこれほどまでに感謝したことはない」

「団長……」

「もう大丈夫だ。皆もまだ完全ではないというのに集まってもらって悪いな。しかし先刻バーデンの使者よりやんごとならぬ土産物をささげられてしまったのだよ。私一人の手にはあまる。」

「バーデンの使者、ともうしますと、あの騎士崩れの酔っ払いですか」

「そうだ。ザックス・ドルトムントの甥。お前達に隠し事をするつもりはない。率直に言おう。」

 

 かたり、と上座の椅子に手をかけ、そこに座ることすらもどかしい様子でジークフリートは腕にかかったマントを払った。

 

「──我らが聡明な副団長、ヴォルフラム・リヒターは現在バーデン城内にてその身を拘束されている。そして俺がバーデン領主殿の妹姫と婚姻を結ばぬ限り、彼の身が解放されることはないとのことだ」

 

 どよめきと怒りの声が地鳴りのように広間を揺らした。礼儀と作法を厳しく教え込まれ、平生ならば何があっても動じないようにと自分で自分を押さえることができる騎士たちだ。ヴォルフという副団長への敬愛の念がどれだけ深く大きいかということがうかがい知れる反応であった。

 

 上座に近い位置についている一等騎士数名が、騎士団の日常としてはたいそう珍しいことに自ら口を開いてジークフリートを問い詰めた。

 

「どういうことでございますか!」

「カイサ」

「ヴォルフ様は、我ら、我々のために御身を犠牲にされたというのですか?」

「キース」

「許せませぬ、バーデン領主。病に冒されたヴォルフ様を拐かすだけでは飽きたらず、我々騎士団の力までをその身に吸収しようと言うのかっ」

「ヴァルター!落ち着かぬか、卑しくも騎士のはしくれ、何が起きても感情で行動してはならぬと教えたはずであろう!」

 

 声を荒げた騎士団長に、今度は広間が静まり返る。緊張のはりつめた沈黙に騎士たちは息すらすることを忘れたように、ただじっと上座の方向を見つめることしかできなかった。ジークフリートの鍛えられた痩身がふらりと揺れる。最も近い位置に立っていた一等騎士、アルフレドがとっさに飛び出し、彼を支えた。

 

「ご無理なさらず、団長」

「ああ……すまぬ。どうやら一番動揺しているのは俺らしいな。ヴォルフがいなければまさしく手足をもがれたかのようにうまく物が考えられぬ」

「お座りになってくださいませ」

「ああ。皆もそうしてくれ。説明しよう」

 

 青い顔をしてジークフリートは息をつき、重く陰鬱そうな様子で上座へと腰を降ろした。騎士たちも大人しく後に続く。病み上がりでも緊急事態でも、その団結と統率だけは一糸乱れぬ、まことにフランク一の名に恥じぬ騎士団であった。

 

 香草入りの水が入ったゴブレットを持ち上げて、口に含む。セージのきつい香りが体の中に流れ込み、血に混じる。

 

 その感覚のもたらす清涼感に後押されて、ジークフリートは口を開いた。

 

 バーデンは北の法皇の絶対支配を覆す力を欲しがっているということ。ゆえに、フランク大陸一との誉れをもつトリアーと同盟を組みたいと思っているということ。

 

 そして流行り病という偶然の生んだバーデンとトリアーの交流を、今後永久という形を持って続けていきたいと思っているということ。

 

「要するに俺達にとっては、あの法皇を倒すための貴重な味方を見つけられたことにもなるのだが」

 

 断れば、恐ろしい敵を作ることになる……。

 

「ヴォルフ」

 

 ──お前ならなんと言う。ヴォルフ。

 

 

 俺は顔も知らぬ姫君を妃などにすることはできぬ!

 

 

 

 


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