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異国の美姫と吸血鬼 14

 

 いっぽうのトリアーは大混乱になっていた。

 流行り病が爆発して街を壊滅させる前に、ぶじディーによって特効薬が届けられたはず……だったのだが。

 

 

「だんちょう!」

「どーやって使うんですかこの薬?飲むんですか?なんか臭いですよ!!」

「しかもこの変な十字架みたいなとんがった機器なんですか!痛いんですけど!とにかくわけがわかりません!」

「タシケテ!」

「ビョウキニナリソウデス!」

「ダンチョウ!!!!」

 

 そう。届けられたはいいものの、薬の使用法が全くわからなかったのである。ジークフリートはトリアーの騎士団長を勤めるようになってもう8年ほどになるが、自分の忠実で賢い臣下たちがこれほどまでに感情を乱したところを見たことがなかった。

 

「安心しろ、病気なら既にかかってるだろ。俺たちみんな。な。だからそう慌てんな。俺が今あの乞食そのものの使者たたき起こしてひきずってきてやっから。だから落ち着けー」

 

 城の広間で大騒ぎしている臣下たちを軽~いノリでそういさめ、寒さと疲労で倒れたディーが運び込まれた客間まで小走りにかけてゆくジークフリート。しかし、その顔に笑顔が浮かんでいたのは臣下たちの前でだけだ。上階へと続く階段にさしかかった時、彼はよろめき、膝を折っていた。

 

「……く、そ……っ」

 

 床についた手と腕に発疹が現われ始めている。体は灼熱だった。自分が他の者よりもかなり早い速度で病に冒されていくのはなんとなく自覚していたが、ここ数日は疲労のせいかとみに苦しい。いくら団長だからと言って、演技するのも限界がある。ふつふつと額に浮いてきた汗が手の甲に落ち、吐き気を覚えた。

 

「団長!?」

 

 背後から声が響き、ふっと背と肩に人間の温もりが触れた。この声はヨハネスだ。ジークは立ち上がるのを助けてもらいながら、すまん、と呟く。

 

「謝られるようなことは何も……」

「実はもう、発症寸前の状態にあるらしいのだ。お前達の手前、言うことはできなかったが。先刻の客人の部屋まで連れて行ってくれ。直接聞く、やり方を」

「いえ、実は自分は、そのやり方を知っているかも知れぬと思いまして、こうして団長を追いかけてきたのです。」

「……何?」

 

 ジークフリートはヨハネスを朦朧とした瞳で見つめた。視界がかすむ。ヴォルフもこのような状態を乗り越えて任務を果たしたのだろうと思うと、決してここで意識を手放すわけにはいかなかった。

 

 ヨハネスの片手には、薬とともにもたらされた、奇妙な十字架型の機器が握られていた。四方がナイフのように薄く、鋭く研がれており、中央に丸く深い穴が穿たれている。

 

「はじめはこの穴に何か宝石でもはめるのかと思ったのです。が、あの薬を見ますと今までに見たことのないものが含まれている気がしましたので、そのような呪術的な意図で作られた穴ではないと思いまして、考え直しました。」

 

 ヨハネスはジークフリートを床に座らせて、自らはその正面に膝をつき、説明を述べた。そういえば彼の家系は医学や薬学に長けた一族であったな、とジークは考え、いちいち頷いてみせる。

 

「ご覧下さい。この穴から十字架の四方に向けて、深い溝が掘られているのがおわかりになるでしょう。そしてそれはそのままナイフのような鋭い切っ先とつながっている。──わたしはその点に気がついた時、昔聞いたことのある吸血鬼除けの伝説を思い出したのです」

「吸血鬼……ここでそんなの持ち出してくんのは、間が悪すぎるってもんだぜ。ヨハネス。じゃあバーデンには本当に吸血鬼がいるっていうのか?」

「違います、続きを聞いていただけますか。私の知るその伝説の中に、この十字架ととてもよく似たものが出てきます。それは悪魔払いの僧侶が使用した道具です。吸血鬼に襲われた者が自らも吸血鬼へと変化してしまうという話は知っていますね?その変化を止められる手立ては吸血鬼の血に打ち勝つことのできる聖なる血だけであるということも。──いいですか、ここからが核心ですよ、騎士団長。その伝説の中で、僧侶は、自らの手を十字架で突き刺し、その聖なる血を十字架の上に流れ込ませ、そしてそれを今度は吸血鬼に襲われた者の体に突き刺していたのです」

「…………」

 

 少しの間があった。ジークフリートはヨハネスを見、彼の持つ十字架型の機器を見、それから自らの手を見た。発疹の浮かぶ手。

 

 一刻を争う状況であることは、間違いなかった。

 

「……ヨハネス」

「はい」

「薬も持ってきたのだろう」

「はい。ここに」

「俺で試せ。その十字架の穴にその薬を注ぎいれ、そしてその十字架の先端で俺の肌を裂き、この身に直接その薬を注入しろ。おまえ自身が手を傷つけないよう細心の注意を払って」

「一度でご理解していただけて光栄の至りです。」

 

 ヨハネスは答えたが、その顔に笑みはなかった。当然の如く、彼は恐れているのであった。彼の団長をこれから傷つけようとしていることを。ほんとうに薬が効くのかということを。そして、手遅れにならないことを、祈って震えているのであった。

 

「消毒を……」

 

 息をぜいぜい言わせながらジークフリートはますます苦しげに喘いでいる。ヨハネスは決心を更に固め、廊下に点在している蝋燭の灯りのひとつで十字架を熱し、消毒した。

 そして用意してあった薬の瓶から、半透明の液体を穴の中へと注ぎいれる。傾けてみると、それは川が流れるように、溝をなめらかに侵食していく。

 

「──よろしいですか」

「ああ。」

 

 深呼吸する。

 ジークフリートの腕に十字架をあてがい、それから一息に、肌を貫いた。

 

 *** 

 

「なんと!じゃあ説明なしでお使いになることができたんで?へえ~そいつはすげえや、やっぱトリアーの騎士ともなると、頭もべらぼうに良いってことなんすねえ!」

 

 同日夜。気絶から目覚めたディーは自分が薬の説明をしていないことに気がついて青ざめたが、付近に控えていた見張りの騎士リンツから、他でもないこの騎士団の団長がかの薬を服用し、病が快方に向かっている、との旨を聞き、安堵に胸を撫で下ろした。

 

「じゃ、もう、街の皆さんにも薬が行き渡ってるんで?」

「そうだな。今ごろやっと、街外れにも薬が届いていることだろう。ありがとう。貴公の主のお陰で我々は助かった」

「い、いや、貴公だなんて、めっそうもない!」

「体格もいいようだし、所有しておられる武器も見事だ。今は酒の匂いと筋肉のゆるみから察するに訓練から遠ざかっているのだろうが、かつてはかなり腕の立つ騎士だったのではあるまいか?」

「え」

「我々は常に同士を求めている。貴公さえ興味を覚えられるのならば毎昼夜行っている我々の訓練に参加されてはいかがか。団長もお喜びになられるだろう」

「い、いや、あたしはその、一応バーデンの人間で……」

 

 言い渋るディーに対して、リンツはにこりと笑顔を向けて見せた。

 

「神の子は皆兄弟。我々はあなたに対する恩を一生忘れはせぬ」

 

 ──なんなんだこのすっばらしい騎士団……

 

 ディーは、冷や汗さえかいた。ザックスから預かっている「土産」の話をするには、いささか居心地が良すぎる環境だ。人も、街も、ここはあまりに美しく、愛に満ちていて、気高い。

 

 ──バーデンとは違う。

 

 あの街は、外見こそ平和そうに皆が装っているものの、その中身はバラバラで、いつザックスという領主とその城につかえる者達が殺されてしまってもおかしくない、どこかで静かに狂っている街なのだ。

 

(ディー。よいか。わたしが望むもの、それは強さだ。この乱れた街を救う力、この乱れたフランクを統べる力、あの狂った法皇を討ち取り、新たな時代を作る力。そのために、わたしにはトリアーが必要なのだ)

 

 ザックスの力強い言葉が耳に蘇る。

 

(ジークフリート・ゲザングに伝えろ、ディー。)

 

 彼は、確かにこう言った。

 

 

『私の妹姫と婚約し、バーデンとトリアーの間に同盟を結ぶこと。それが薬の代償に私が彼に求めることだ』

 

 


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