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異国の美姫と吸血鬼 8

 

 ヴォルフは夢と現の間をさまよっていた。

 

 

 自分が流行り病の薬の材料にされたとも知らず、愛馬クロイツがあの胡散臭いことこの上ない山賊とともにトリアーへ赴いたとも知らず、ましてやかの異国の美姫こそが噂に名高いザックスお抱えの名医であったことなど知るよしもなく。

 

 一度目に目が覚めたときは世界の全てが朱に染まって見えた。熱が高すぎて視界さえ利かなくなっていたのだ。

 二度目にはすこし気分がよくなっていた。だが相変わらず動くことも現状を認識することも出来ず、ひたすら眠らされていた。

 そして、三度目。

 

 枕もとで響く不思議な歌声に、ヴォルフはようやく前後不覚の昏睡から這い上がることができた。

 

「…………」

  

 静かな部屋。自分の所属する騎士団の居城とは明らかに違う、温かくて豪奢な造りの、香油の香りがただよう部屋。

 信じられないほどふかふかと柔らかい感触が自分の体を包んでいる。これはなんだ? 見たこともない、白くて毛足の長い毛皮。

 そして何より、この歌は。

 

(呪文のようだ……)

 

 額に腕を乗せながらぽつりと呟いた。魔女の住まうというバーデンに自分が着いていたことを思い出す。だとするとこの歌は魔女の歌か。自分はなにか呪詛をかけられようとしているのか。

 いや、それにしてはこの歌は、あまりにもやさしい。

 このままどうされても構わないと思えるほど。

 

「──」

 

 熱いため息が、体のうちからこぼれ出た。まるで己に憑いていた悪魔が逃げ出していくかのような感覚だった。

 もう一度ひくくため息を漏らす。呼応するかのように、歌声が途絶えた。

 

 ──やんでしまうのか?

 

 嫌だ、とヴォルフはつぶやいた。

 いやだ、そのまま続けてくれ。

 俺はまだ聴いていたい。その不思議な歌を。

 このままずっと、こうして──

 

「気がついたか」

 

 やにわに、低く太い立派な声が響いた。ゆるゆると顔を上げる。髪も髭も赤い、見事な体格の大男が、寝台に横たわっている自分に覆い被さるような恰好で、こちらをのぞきこんでいた。

 

「!!!?」

 

 さすがのヴォルフも動揺した。自分にそんな趣味はない。今まで女に興味がなかったのは単に心動かされる女性がいなかったというだけの話であって、こ、こ、この状況はぁっ!!!

 

「ははははは、眼を白黒させて、おもしろいな君は。うん。なかなかいい顔立ちをしておる。なんとも不思議でそそられる眼だなあ、角度によって極彩色の宝石のように色が変わる」

 

 ──そそられなくていいし!

 

 蒼白な顔でヴォルフは叫んだが、それは声にならなかった。

 

「声が出ぬか? 当然だな、あれだけ大量に血を取られては大の男でも体を動かすことすらままならぬ。君は3日3晩眠りとおしていたのだよ、ヴォルフラム・リヒター君。その間自分がどのような扱いを受けたか、覚えているかね?」

 

 んー、と顔を近づけてきながらザックス・ドルトムントは終止笑顔。ヴォルフは必死で抵抗したが、何しろまだ病の抜けきらぬ身、全く力が入らなかった。助けてくれ!と声なく暴れる。

 

 変態だ、ヘンタイだっ、この男は噂に違わぬ!!

 

「大陸一の騎士との名声高いきみから口付けを奪ったとなれば、わたしの評はますます落ちるであろうなあ。どれ、ためしてみるか、おとなしくしなさい」

 

 ──誰がするか! って、うわっ……助けてくれ、本気でやばいッ……

 

「それいくぞ、むちゅーん」

「いい加減になさってお兄様」

 

 バン! という音が枕もとではじけたと思ったら、ザックスの巨体が見事に弾き飛ばされていた。

 ヴォルフは息を乱しながら真っ青な顔をして起き上がり、自分の貞操が守られたことを確認する。

 いや、というかそれは、眠っている間何もされていなければの話だが!

 

「ごめんなさいね、兄は若い男性をもてあそぶのが大好きなのよ。というか妹の私に近づく男性をいじめるのが好きというか。ご無事かしら?」

 

 ぜんぜん無事じゃねえ、と答えたかったが、振り仰いだ先に居た女性を目にした瞬間余計な考えはヴォルフの中から消え去った。


 雪白の肌。

 見たことの無い異国の顔立ち。肩上で切りそろえるという、イマドキの女性なら有り得ない斬新な髪型。


 明らかに──人種が違った。自分たちとは全く異なる種類の人間がいると、ヴォルフはかつて修道院で文献を読んだことがあったのだ。そのときはただ恐怖と、未知なるものへの嫌悪に近い慄きを抱いただけだったが、よもや。  よもやこれほどまでに美しい存在であるとは。

 

「ヴォルフラム・リヒター」

 

 惚けている自分を咎めるように娘が言ったが、ヴォルフはその声さえ甘美な喜びとしてとらえる自分に気がついた。

 この娘は、あの姫だ。自分がバーデンへと入ったときに迎えてくれた、仮面に帽子をかぶっていた異形の──

 

「リヒター騎士。具合が悪いの、そのように」

「そのようにシェーネをじろじろ見つめることは許さんぞ! 無礼に値する、いくら崇高な神に任じられし騎士とはいえ!」

 

 がばちょといきなり起き上がり、ザックスが叫んだ。途端竦むヴォルフを守るように立ち、娘、シェーネが兄を剣呑ににらみつける。

 

「お兄様。煩いですわ、リヒター騎士はまだ完全に治っておりませんの、そのように騒がれてはいつ病がぶり返すとも知れません」

「流行り病がぶりかえすことなどあるか! 言わせてもらうがねシェーネ、きみは、今までにきみが見てきたどの患者よりその騎士を」

「ですから煩いですわと申し上げました」

 

 言いざまシェーネの手元で短剣が輝いていた。細く小さな、切れ味のよさそうな銀の小柄こづか。その道にはうるさいヴォルフでさえ興味を示すほど、見事な代物だった。

 

「それ以上お騒ぎになられますと、私あなた様をこの手にかけなければならなくなります。お兄様。それは望んではいないことですの。お願いですからもう少し静かにはしていただけませんこと。第一今は政務の時間だと存じ上げていますけれど、それ、間違いでしたからしら?」

「いやあシェーネ、短剣を持つお前の姿は実に美しい、今すぐ画家のフルトを呼ぼ……」

「政務を。こな・して・くださいませ。バーデンをこれ以上荒らしたくなくばそれが最前の道でございます」

 

 とぼとぼと戸口の方へと歩いていくザックスを見送りながら、ヴォルフはどっかで見た光景だな、と自分の親友である騎士団長のことを思い浮かべた。彼といいこのザックスといい、人の上に立つ者は何故ことあるごとに仕事をさぼりたがるのか。

 

「冷たいなシェーネ……」

「あら、政務をおざなりにしているお兄様の方がバーデンに対してどれだけ冷酷か知れませんわよ」

「せめて行ってらっしゃいのチューをしてくれるぐらいの慈愛はないのか!? がんばってねお兄ちゃん、と言って熱い抱擁を施してくれるということは!? あーんなことからこーんなことまで、恥ずかしがらずにやってくれて構わないのだぞわたしは全然っ……」

 

 後の言葉は無理やりかき消された。シェーネがザックスを部屋から突き飛ばして追い出したのだ。それからしばしの後も、部屋にはザックスの哀切極まる訴えが響いていたが、辛抱強く無視しつづけているとやがてそれも途絶え、辺りは静けさを取り戻した。

 

「ごめんなさいね。イカれてるのよ、あの人」

「……噂には聞いていたが、こっち方面のイカれ具合だったとは思わなかったぜ」

 

 しばしの沈黙の後、残されたふたりは何ともいえない顔を見合わせ、苦いにがい笑いを交わした。シェーネは部屋のすみの水がめでなにやらぴちゃぴちゃとやっていたが、やがて一枚の固く絞った綿の布と共にヴォルフの元へと戻ってくると、何の前置きもせずに彼の顔をそれで拭き始めた。

 

「──おい!?」

 

 ヴォルフはたまげた。いつのまにか声が出ているようになっていることもどうでもよかった。宗教が人々の生活の真中にあるこの当世、女性が自ら男性に触れるなどという行動はいわゆる“はれんち”に値するのだ。しかも一領土を治める領主の、妹姫ともなればなおのこと。ヴォルフはなぜか自分が真っ赤になって飛び上がった。

 

「な、な、な、何を!」

「……?何って、汗を拭いているんだけど。見ればわかるでしょ。あなた、病に頭やられた?わたしの治療は完璧だったと自負しているのだけど」

「仮にも女性であるアンタが、男である俺に、さ、触ったりして……それは、異端、だぜ」

「あらいやだ、何を殊勝なことを言ってるのよ。トリアーは大陸一の反法皇派だということ、わたしはちゃんと知っているのよ?」

「──っ」

「でも心配は要らないわ。その“反法皇派”の街には今ごろちゃんと薬が送り届けられている筈。あなたと、あなたの駿馬の活躍のおかげね」

「え……」

 

 一気に熱が冷め、現実が形を取り戻していくのがわかった。

 ヴォルフは今自分が置かれている状況、自分が何をしにここにきたかという理由、それら全てを思い出し、ゆっくりと驚いた。

 

 ──では、トリアーの街はもう安泰だと。俺は無事に務めを果たしたと?

 

 どっと体に安堵が押し寄せた。張り詰めていた糸が切られ、呼吸が楽になるのを感じた。

 

「薬はあなたの血液から作らせていただいたのよ。こう見えてわたしは医師。聞いたことはないかしら、“異国の美姫”、“吸血鬼”、“魔女”。バーデンに渦巻く不穏な悪魔の影の中心、それがわたしよ」

 

 シェーネがさらりと告げた言葉にも、恐怖は抱かなかった。ただ眼を見開いただけ。このように美しい娘が吸血鬼であるなら、俺は捕らわれてもかまわない。

 本気でそう思い、気づけば彼女の手を引き寄せていた。

  

 くちびるを寄せた肌から匂い立つ香り。

 

 陶然とするヴォルフの前で、シェーネは顔を真っ赤にして硬直していた。

 

 

 


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