第三話 嘗めていた
嘗めていた。いや侮っていたと言うべきか。
いきなり何をと思われるかも知れないがまあ聞いてくれ。
数時間前、俺は森に居た。神が言っていた家であろう建物を目指して歩いた。
いや、別に家が予想より遠かったとか、道が予想以上に悪路で疲れたとか、
凶暴な野生動物や魔獣の類が出たという訳ではない。
無論、これでも記憶力はいい方だし、
一応は見えているものを目指して歩いて迷うほど、方向音痴でもない。
事実、家にはちゃんと着いた。
魔術師の家で、内部の無機物の腐食を抑える結界がはってあるとの事だったが、
他には特に進入を拒む結界のようなものも無く、
すんなりと入る事が出来た。
外観を簡単に説明すると、洋風の家、といった所だろうか。
ファンタジーよろしく、ヨーロッパ調だ。
部屋数が少し多く、一部屋一部屋もかなり広く造られているため、
館と言えなくもないぐらいの規模ではある。
正直一人で住んでいたにしては持て余していたのではないかと思わなくもない。
が、まあ外観は一般的な洋風の家、といった感じだ。
ファンタジーでよくあるような家という認識で構わない。
ただ造りは立派かつ"綺麗"で、俺の予想以上にこの世界の建築技術は高いようだ。
この家の建築技術に見合った文明レベルなのだとすれば、
俺が予想していた、ゲームなどでよくある中世ヨーロッパの文明レベルより、
遥かに高い文明を持っている事になる。
文明の発達の仕方や技術の原理が違うため一概には言えないが、
生活の豊かさで言うなら、20世紀後期から21世紀初頭あたりの豊かさはあるのではないだろうか。
そしてその見立ては凡そ正しかったらしい。
家の中には魔術で造られた冷蔵庫があった。
機械の類が見当たらなかったから恐らく魔術式だろう。
まあ既に機能は停止していたし、中の物は無機物ではない。
食料を保存するような魔術があるのかは知らないが、
無いなら冷蔵庫として機能していようがしていまいが結果は同じ。
つまり、
「腐ってやがる…」
という訳だ。
いや、正直あれを処理するのが一番心にキタ気がする。
一応ビニール袋(のようなもの)に手を入れてから触ったが、
絶対に直に触りたくは無い。
そしてこの時ばかりは鼻がある事を呪った。
腐卵臭など一生嗅ぎたくは無かったな。
そうそう、先ほどのビニール袋のような物。後で分かった事だが、
どうやら専用の物質を薄く引き伸ばして作ってあるようだ。
つまり化学反応で作った物ではない。
この引き伸ばす工程も魔術で行っているらしい。
なるほど、魔術、魔法というのはかなり便利なものだな。
魔術を使って原子レベルで干渉し、
物質の構造そのものに働きかけることで、変化させているらしい。
所謂、『錬金』と呼ばれる魔術で、一番生活に密着していると言える魔術のようだ。
例えば台所にあった調理器具。
机、椅子、棚、様々な家具。
家の備品から家そのものに至るまで、殆どが錬金によって作られているらしい。
ゴーレムや魔術を使って材料を手に入れ、それを集めて錬金。
生活に必要な魔術を、各所に刻印を施す事で定着させる。
これが、この世界の家の造り方らしい。
正直、ここら辺の便利さは前の世界以上かも知れない。
高位の魔術師が集まればかなり上等な家一軒が数日で造れてしまう。
金属を地中深くから掘り出すのも魔術だ。
ただ、文明の発達の仕方が違うせいか、この世界にはビルのような建物は少ない。
まあ、あるとしても塔という程度のものだ。
ビルを建てないといけないほど人口が密集していないというのもある。
この世界の知的能力を持つ者の人口は、精霊やら亜人やら魔族やらを含めても10億少し。
それに精霊や亜人は狭いコミュニティで生活し、森や山の奥に集落を作って生活する事が多い。
人間や魔族の中にもそうした人達は居る。
それらを除けば6億ちょっと。凡そ21世紀初頭の地球人口の10分の1だ。
人が増えづらいのには、魔獣や賊など人を減らす要因が多々あったのも原因の一つだろう。
さらに、この世界には精霊が居る。精霊とは世界の、そして自然の末端である。
精霊魔術は扱いづらいが通常の魔術より効果が大きく、
世界の繁栄にはその恩恵も少なからず関わっている事から、
人々は自然を大切にする習慣がある。
事実、この世界は陸と海の比率は地球と大して変わらないが、山や森など自然が多く残っている。
こういった事から高層ビルのような物は少なく、
そしてパソコンのような電子機器も無いため、必要とされる金属は地球より圧倒的に少ない。
こうした所から、この世界の文明、生活は、より自然に密着したものになっている。
さて、カビン袋(さっきのビニール袋の正式名称)の話から長々と喋ったが、
なぜここまで分かったかと言うとその答えが今俺の目の前にある。
そこにあるのは書庫。どうやらこの家の持ち主は熱心な研究者だったようで、
資料となる文献や図鑑から魔術の入門書や世界の一般常識的な本まで、かなり揃えてあった。
部屋自体もかなり広く、空の棚も沢山並んでいる。
今後も資料が増え続ける事を想定した造りのようで、
これだけの本でもまだ4分の1ほどしか埋まっていない。
ここは家の地下にあった部屋だ。
家の中を調べていると地下室への入り口があったので降りてみたのだが、
そこには資料を読んだり纏めたりするためと思われるスペースがあり、
小さい本棚と、テーブル、椅子などがあった。
テーブルは結構大きく、四人ほどで食事が出来るぐらいの大きさはある。
恐らくここに資料を広げて読み書きしていたのだろう。
その部屋には左右に二つ部屋があり、左には先ほどの書庫が。
右には、何やら見た事もない器具や、魔術系の書物と思わしきもの、
魔術の刻印の施された大きな紙や板などが置かれていた。
おそらく研究に使っていたものだろう。
さきほどの数倍はあるだろうテーブルの上にはビンや草、種などが並べられている。
棚には何やら液体の入ったビンがいくつか置いてある辺り、
魔法薬などを研究していたようだ。
そこから更に奥に一つ扉があったので空けてみると、
中には草や種といったもの(だったであろう物)が保管されていた。
なるほど、魔法薬の材料や大量に作成した魔法薬を保管しておくための保管庫だったようだ。
正直腐った魔法薬の異臭も腐乱臭の次にキツかった…
さて。ひとしきり調べたあと、一階に上がる。
トイレ、風呂と見て行くが、やはり綺麗な造りだ。
浴槽もあったので、一応湯に浸かるという概念はあるようだ。
こういった文化に関してもあとで下の書庫で調べておこう。
この世界のトイレや風呂は、
水で流すと街の各所の貯蔵場所(地下の肥溜めと思ってもらって構わない)に溜められ、
そこで定期的に錬金の刻印によって分解。肥料に変えて、森や畑に撒かれる造りらしい。
水道にも刻印が施され、水がスムーズに流れるようにしてあるらしく、
上下水に関しても地球と同等以上の設備がある。
大した技術力だ。
いや、どんな世界でも住み易いように発展させる、人間のたくましさと言うべきか。
浄水は錬金や水系統の魔術のおかげで確実に地球よりも上のレベルだ。
自然が豊かだし、飲み水はこちらの世界の方が美味いかも知れん。
そんな事を考えながら家を見て回るが、
やはりテレビとかパソコンの類は流石に無いらしい。
いや、専用の鏡に映像を映すことや、特定の物質に映像を記録する事は出来る。
ただ、それをテレビとして娯楽化していないだけだ。
どうも、映像より生で見る事を好むようで、
サーカスとか旅芸人とか街角での乱痴気騒ぎというのはかなり多いらしい。
映像はもっぱら通信などで使われているようだ。
簡単な検索魔法もあり、
きちんと並べて保管された書庫から特定の本を探す事は出来るが、
インターネットのようなシステムは無いらしい。
代わりに街と呼べるぐらいの場所には大概図書館があるそうだ。
なるほど、この世界の人々は外に出る事を好むようだ。
電話やファックスは代わりになる物はある。
さっきの鏡の通信もそうだし、電報や電話のようなものもある。
電話機能だけの携帯電話もあるらしい。
全部魔法製だが。
ファックスも、刻印を刻んだ器具で紙をスキャンし、
その情報を相手に飛ばして、相手側の器具が紙に書き込むという、
完全にファックスそのものなシステムもある。
ここまで紙というのがかなり出てきたが、
この世界の製紙レベルはかなり高いらしい。
まあ、魔導書など多くの紙が必要な事を考えれば当然と言えば当然だ。
しかも錬金などの魔法によって完全なリサイクルが可能な上、
紙自体を生成する魔法や、樹木の成長を促進する魔法もあるため、
森林破壊を気にせずに製紙する事が出来る。
ここらへんも前の世界以上だろう。
さて、こうして見ているとこの世界の文明の方向性が見えてくる。
パソコンやテレビなど、情報を手に入れたりコミュニケーションを取るための手段といった、
前の世界では当然としてあった技術、可能だった事が出来ない、または未熟である。
逆に、自然との共存、物質の半永久保存、余計な道具を使わない生活、
危険性の少ない道具、前の世界以上の魔法による医療など、
前の世界では出来なかった、もしくは未熟だった事が、この世界では当然としてある。
成る程、管理者がここに俺を寄越したのも頷けるというものだ。
俺の居た世界とは180度違う文明。
俺が当然と思っていた事が出来ず、俺が絶対に出来ないと思っていた事が出来る。
科学と魔法。ただ理屈や形が違うだけでこうも違う文明になる。
ここでなら、真理を見つけられるかも知れない。
さて、一階は凡そ見て回った。
物凄く広いリビングらしき部屋、それと同規模の部屋、物凄く広いダイニングキッチン、
買いだめ用なのか、食料庫(空に近かった。満杯じゃなくてよかった…)、
そして風呂とトイレ。
これだけでも一人暮らしには十分だが、更に二階があるらしい。
本来はここに骨を埋めるつもりで、妻や子供や孫らの分まで部屋を用意していたのだろう。
二階に上がると、計6つの部屋があった。
書斎は地下のあの部屋が兼ねているらしく、
二階は全て個人のプライベート空間としての部屋らしい。
この家の主が使っていたであろう部屋が一つ。
来客用かベッドが二つずつ用意された部屋が二つ。
申し訳程度に家具の置かれた部屋が二つ。
最後の一つは物置になっていた。
どの部屋も大きさにさほど違いは無いが、
家具を動かすのも面倒なので持ち主の部屋をそのまま使わせてもらおう。
まあ流石に他人が使っていたシーツや食器を使うのは気が引けるので、
錬金を覚えて作り直すか、新しい物を買ってこよう。
しばらくは予備のシーツや食器を使う事にする。
さて、これでこの家の把握は出来た。
一人暮らしには勿体無いほどの広さ、機能性、設備。
成る程、確かにこれほどの物件はそうそう無いだろう。
「とりあえず書庫に降りるか。まずはこの家に施されている魔術を理解しないと」
コンロや水道まで魔術製らしいからな。
せめて使い方ぐらいは把握しておかないと何も出来ない。
その後は食料か。
サバイバル技術を上げるためにも、暫くは森や近くにある物でどうにかするとして、
一度は街に行って色々と調達してこないといけないな。
うん、まずは魔法の扱い。そしてこの世界で必要な物を把握して、
街に行った時に凡そ揃えられるようにしておこう。
しかし神の太っ腹加減には驚かされる。
不老に才能に言語の加護に魔力に家。なんという太っ腹。
余程気に入って貰えたんだろうか。
敬意を持って接した意外何もした覚えは無いんだが…
俺の目標が気に入ったのかな?
それに家もこんなに広いと思っていなかった。
最初に見た時はまさに度肝を抜かれたな。
この世界の魔法技術も凄い。
これ程の技術を持っているとは。それも世界的に、だ。大したものだな。
うん、嘗めていた。
これ程とは思っていなかった。
ここでなら、俺の目標へたどり着けるかも知れない。
そうと決まれば、読書をしようか。
そう決め、俺は地下室へと降りていった。
探求者は、嘗めていた。
この世界の文化のイメージは、
『祝福のカンパネラ』の世界をイメージしています。
分からない人はごめんなさい。
所謂、"綺麗なファンタジー"というイメージです。
設定等を流用している訳ではありませんが、
町並みなどが似ている、とでも思って頂ければ。
それでは、また次回。