7.暴食の峡谷、鮮血の冷却水
「……『暴食』の魔将、グラトニーの血だと?」
ユーシスの問いに、老人は鼻で笑い、巨大な槌を肩に担ぎ直した。
「ああ。神を殺す刃を打つには、ただの火や水じゃ足りん。概念すらも喰らい尽くす『暴食』の生命力……その熱を帯びた鮮血で一気に冷やし、魔力の組成を固定させる必要がある」
老人は溶岩の流れる炉の先、常に黒雲が渦巻く巨大な峡谷を指差した。
「あそこには、生きたものすべてを食糧としか見なさない化け物の王がいる。……小僧、その魔剣を真に完成させたいなら、奴の心臓をぶち抜いて、その血をこの樽に満たしてこい」
老人が蹴り出したのは、魔導回路が刻まれた巨大な銀の樽だった。
「わかった。……レイリア、行けるか?」
「もちろん。あんな無作法な食いしん坊、私たちの力で黙らせてあげましょう」
レイリアは不敵に微笑み、杖の先から絶対零度の冷気を立ち昇らせた。
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二人は『鉄の墓場』を後にし、獲物の匂いに誘われるように『暴食の峡谷』へと足を踏み入れた。
そこは、周囲の岩石すらも齧り取られたような異様な景観が広がっていた。
「グガァァァァッ!!」
峡谷の底から、地響きと共に現れたのは、山のような巨躯を持つ魔将グラトニー。
全身が巨大な「口」と「胃袋」で構成されたような醜悪な姿。
その周囲には、主人が食べ残した「骨」から再構築された数千のスケルトン・アーミーがひしめき合っている。
『──個体名:グラトニー。対象の「捕食結界」を確認。
周囲の魔力が吸い取られています。戦闘継続推奨時間:300秒以内』
システムメッセージが警告を鳴らす。
「300秒もいらないわ。……ユーシス、最大出力でいくわよ!」
「ああ。一秒で終わらせる」
ユーシスはレイリアの腰を引き寄せ、彼女の豊かな魔力をダイレクトに自らの魔剣へと流し込んだ。
『【深淵共鳴】:リミッター解除。
連携奥義:【氷雷絶禍】チャージ開始』
紫黒色の雷光が、峡谷を真昼のような白光で塗りつぶした。
「…あれが、すべてを喰らう口か。悪食が過ぎるな」
眼前に広がるのは、峡谷そのものが意志を持ったかのような巨大な肉の壁。
魔将グラトニーがその三層に連なる顎を開くたび、周囲の岩石や魔物の死骸がブラックホールのように吸い込まれていく。
「ユーシス、正面から行く気!? 捕食結界の影響で、外からの魔法はすべて霧散させられるわ!」
レイリアが杖を突き出し、押し寄せる骨の津波を氷の壁で食い止める。
だが、その氷さえもグラトニーの放つ「飢餓の波動」によって、端から削り取られ、喰われていく。
「外から通じないなら、内側から壊すだけだ。レイリア、俺を信じて全魔力を預けろ!」
「……ええ! 死んでも離さないわよ!」
レイリアがユーシスの首に腕を回し、背中から密着する。
二人の鼓動が重なり、紫黒色の魔力が爆発的な熱量となってユーシスの全身を駆け巡った。
『──【深淵共鳴】:臨界突破。
特殊機動形態:【影の弾丸】を展開』
ユーシスの背後から、漆黒の魔力の翼が鋭く突き出す。
彼は回避など考えず、あえてグラトニーが放つ最強の吸引力に身を任せた。
「グガァァァァッ!!」
歓喜に震える魔将の喉奥。粘りつく消化液と、腐敗した死臭が充満する暗黒の深淵へと、ユーシスは自ら飛び込んだ。
「ここが貴様の胃袋か。……冷え性が治るくらいに、暖めてやるよ」
内壁に突き立てた左手が、ドロリとした肉を石化させ、足場を作る。
ユーシスは右手の【零式改・氷雷】を逆手に持ち替え、心臓部と思われる巨大な肉塊の脈動を見据えた。
「【氷雷絶禍】……全開放ッ!」
至近距離。逃げ場のない体内。
凝縮された絶対零度の冷気が肉壁を凍てつかせ、分子レベルで脆くした直後、超高電圧の紫電が内側から爆ぜた。
ドォォォォォンッ!!
峡谷全体が震動し、グラトニーの巨躯が内側からの圧力に耐えかねて膨張する。
次の瞬間、肉の風船が弾けるように、魔将の身体が四散した。
降り注ぐのは、どす黒く熱い「暴食」の鮮血。
峡谷の底を真っ赤に染め上げる血の雨の中、ユーシスはレイリアを抱きかかえたまま、悠然と着地した。
足元には、老鍛冶師から預かった銀の樽。
空から降り注ぐ大量の魔将の血が、滝のように樽を満たしていく。
『──目標:グラトニーの完全消滅を確認。
「暴食」の因子を抽出……魔導武装、最終研磨の準備が整いました』
「……やったわね。これでもう、誰も私たちを喰らおうなんて思わないはずよ」
返り血を浴び、少しだけ乱れた髪を払うレイリアの顔には、勝利の昂揚感と、ユーシスへの深い信頼が刻まれていた。
「ああ。……さあ、最高の『絶望』を完成させに行こう」
ユーシスは満たされた銀樽を担ぎ、死臭の漂う戦場を後にした。




