4.魔将の陥落、深淵の捕食
『薄暮の砦』からほど近い、かつての交易都市メルカ。
そこは今、色彩を失った「静止した地獄」と化していた。
「……ひどい。これ、全部人間なの?」
レイリアが息を呑み、杖を握る手に力を込める。
大通りには、恐怖に顔を歪めたまま固まった人々の石像が、無数に並んでいた。
ある者は逃げ惑い、ある者は子供を庇い、その肉体は冷徹な石へと変えられ、芸術品のように配置されている。
「ああ。これが『傲慢』の魔将、スペルビアのやり方だ」
ユーシスは石像の列を抜け、都市の中央にそびえる大聖堂を見据えた。そこから放たれる禍々しい魔力が、街全体を石化の呪いで縛り付けている。
「侵入者か。私のコレクションに『兵士』と『女』は飽和しているのだがな」
高らかな声が響くと同時に、大聖堂のバルコニーに人影が現れた。
純白の貴族服に身を包んでいるが、その背中にはカラスのような漆黒の翼が生え、瞳は不気味な紫色に発光している。
七大罪魔将の一角、スペルビア。
「だが、その『折れた剣』……。面白い、私の台座として刻んでやろう。ひれ伏せ、石の静寂にな!」
スペルビアが指を鳴らした瞬間、大気そのものが重圧となり、ユーシスたちの全身を石化の波動が襲う。レイリアの足元が、みるみるうちに灰色に変色し始めた。
「レイリア、俺に魔力を預けろ! 同調だ!」
「ええ……やってみるわ!」
ユーシスがレイリアの手を強く握る。
昨夜、魂の奥底で結びついた二人の魔力が、熱い奔流となって混ざり合った。
『──特殊連携:【深淵共鳴】発動』
ユーシスの漆黒の鎧から紫黒色のオーラが噴出し、それがレイリアを包み込む守護の膜となる。石化の呪いが、二人の肌に触れる直前でパキパキと音を立てて霧散していった。
「なっ……私の呪いを、魔力の共鳴だけで相殺しただと!?」
「驚くのはまだ早い。……行くぞ!」
ユーシスは背中に預けたレイリアの体温を推進力に変え、大地を蹴った。
手にした【零式改・氷雷】が、二人の魔力を吸い込み、青白く、そして禍々しく咆哮を上げる。
「【魔導武装】──形態変化、双極」
一本だった大剣が、ユーシスの意思に応じて二振りの小剣へと分離した。
右手に「剛力の雷」、左手に「絶対零度の氷」。
「ハァッ!」
スペルビアが放つ石化の光線を、ユーシスは二本の剣で切り裂きながら肉薄する。
空中を蹴り、重力を無視した軌道で魔将の懐へ飛び込む。
「貴様のその傲慢……、この剣の『餌』にさせてもらう!」
紫黒色の閃光が、静寂の都市を鮮やかに切り裂いた。
「ぎ、ギ、ギギィィ……っ!」
スペルビアの喉から、貴族のような気品は消え失せ、醜い絶叫が漏れた。
誇り高き漆黒の翼は、ユーシスの放った【氷雷】の連撃によってボロ布のように引き裂かれ、自慢の紫色の瞳は恐怖に濁っている。
「ありえない……! この私、七大罪魔将の一角たるスペルビアが、たかが人間の、石像の材料にすぎぬ虫ケラにッ!」
「お前が石にしてきた者たちも、同じことを思っていただろうな」
ユーシスは冷徹に言い放ち、二振りの魔剣を交叉させた。
レイリアから供給される澄んだ魔力が、ユーシスの体内で紫黒色の濁流となり、剣身から溢れ出している。
「逃がさないわ、スペルビア。あなたが奪った人々の時間は、ここで終わらせる」
背後でレイリアが杖を掲げると、都市全体を覆うように巨大な氷の鎖が展開された。
【深淵共鳴】によって強化された彼女の魔法は、もはや下級の魔族では触れることすら叶わない「絶対零度の牢獄」と化している。
「おのれ、おのれぇぇっ!」
スペルビアは最後の足掻きとして、自身の心臓――魔力の結晶である『核』を暴走させ、周囲のすべてを石化させる自爆の光を放とうとした。
だが、ユーシスのほうが速い。
「【魔導武装】――捕食形態」
ユーシスが踏み込むと同時に、二振りの小剣が再び一つに重なり、その刀身が巨大な「顎」のように開いた。
紫黒色の魔力が牙となってスペルビアの胸部を突き刺し、その奥にある脈動する紫の宝玉を強引に引きずり出す。
「ア、ガ……ッ!? 私の、核が……吸い込ま、れ……」
スペルビアの肉体が、自らが放った石化の呪いに飲み込まれるように、足元からボロボロと砂になって崩れ落ちていく。
その断末魔をかき消すように、ユーシスの視界に無機質なメッセージが走った。
『――『傲慢』の核、捕食完了。
対象の固有能力を解析……特殊スキル:【メドゥーサ・アイ(石化の魔眼)】を習得しました。
さらに、魔導武装の出力が大幅に上昇。第ニ段階:【深淵の支配者】へ進化します』
ドクン、と。
ユーシスの心臓が大きく跳ねた。
全身の血管を、スペルビアから奪った膨大な魔力が駆け巡る。
背中からは、かつての魔将の翼を模したような、影の羽が薄っすらと立ち昇った。
「ユーシス……勝ったのね」
レイリアが駆け寄り、ユーシスの腕に触れる。
その瞬間、都市全体を覆っていた灰色の霧が晴れ、石にされていた人々が、凍りついた時間が動き出すように、一人、また一人と元の姿へと戻り始めた。
「ああ。だが、これはまだ始まりだ」
ユーシスは、さらに進化した魔剣を握り直す。
『傲慢』を喰らったことで、彼の瞳には、かつての平兵士にはなかった「王」の如き鋭い光が宿っていた。
「すべて喰らって、この世界を終わらせる」




