17.平和の継続、あるいは『効率』が導く天界への逆侵攻
銀色の羽の檻がゆっくりと開かれ、アビスガルドの「本当の陽光」が寝室に差し込む。
三日間に及ぶ濃密な魔力供給――いや、女神レイリアによる「魂の再定義」を終え、ユーシスはついにその身体を起こした。
体内の隅々までレイリアの熱い魔力で満たされ、地獄での摩耗は跡形もなく修復されている。それどころか、以前よりも肌の艶は増し、その右目に宿る漆黒の魔眼は、より深く、静かな光を放っていた。
「……ふぅ。ようやく身体が馴染んだな」
「あら、もう行っちゃうの? せっかく私が、世界で一番贅沢な『充電』をしてあげていたのに」
レイリアが名残惜しそうに、シーツを纏ったままユーシスの背中に指を走らせる。神格化した彼女の指先が触れるたび、そこから小さな火花のような魔力が弾け、ユーシスの肌を心地よく刺激した。
「いつまでもここにいては、この国の再建が止まる。……それに、外は随分と静かすぎる」
ユーシスが窓辺に立ち、眼下に広がる王都を見下ろす。
地獄の管理者であるグレーターデーモンをレアドロップに変え、地獄の軍勢を「素材」として一括消去した影響は絶大だった。
アビスガルドの空を覆っていた不穏な霧は完全に晴れ、モンスターの咆哮も、地獄の門の震動も、今や一切感じられない。
『──アビスガルド全域の環境ステータス:【極めて安定】。
地獄の使徒の生存反応、ゼロ。
推定される「平和」の継続期間……算出不能(永劫)。』
「……やりすぎたか。効率を重視しすぎたせいで、敵の『種』まで絶やしてしまったらしい」
ユーシスが苦笑いしながら呟く。
本来なら数十年、数百年かけて戦うべき「世界の敵」を、わずか数日の効率的レベリングで根こそぎ消し去ってしまったのだ。
「いいじゃない、平和で。誰も邪魔してこないなら、私たちはもっと……二人だけの時間を楽しめるわ」
レイリアが背後から抱きつき、その翼で再び彼を包み込もうとする。
地獄という名の「素材置き場」を失った世界で、最強の執行者に残された唯一の課題――それは、カンストした独占欲を持つ女神を、どう満足させ続けるか、というものだった。
「……平和というのも、案外忙しくなりそうだな」
ユーシスはレイリアの手を握り返し、穏やかな風が吹く王都の空を見上げた。
復讐は終わり、地獄は消えた。
ここからは、彼が書き換えた「新しい世界の理」に従い、ただ一人の女と共に歩む、終わりのない物語が始まっていく。
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アビスガルドの空が凪ぎ、地獄の鼓動が止まったその瞬間。
世界の「上層」――雲を突き抜けた遥か高天に浮かぶ**【白銀の議事堂】**では、数多の翼が不穏にざわついていた。
水晶の床に映し出されているのは、地獄を蹂躙し、管理者さえもレアドロップに変えた一人の男と、神格化したその傍らの女。
そして今、平和を謳歌しながらも、互いの魔力を濃密に循環させている「蜜月」の光景だった。
「……信じられません。地獄の全層が、わずか数日で『空席』になるなんて」
若き天使たちが、震える声で報告を読み上げる。
彼らにとって、地獄は永劫に戦い続けるべき「均衡」の象徴だった。それが今、一人の「効率厨」の手によって、綺麗さっぱりデバッグされてしまったのだ。
「均衡が壊れた。……いいえ、上書きされたと言うべきかしら」
議事堂の最奥、最も高い玉座に座る女性――最高位天使、マリアが、憂いを含んだ瞳で下界を見つめていた。
彼女の背後に広がる十二枚の純白の翼は、ユーシスが放つ「無」の残滓を感じ取り、本能的な防衛反応で硬直している。
「マリア様、アビスガルドの王・ユーシスへの接触を許可願います。彼が手にした【根源抹消】は、もはやこの世界の限界容量を超えています。放置すれば、次は……」
「ええ、分かっているわ。……次は、この天界ね」
マリアは手元の魔導書を閉じ、細い指先で自身のこめかみを押さえた。
彼女が見ているのは、ユーシスという個体の「最適解」を求める性質だ。
彼にとって、世界に「平和」が訪れたということは、すなわち「これ以上、アビスガルドに効率の良い素材が存在しない」ことを意味する。
「彼は効率を愛する男。……もし、地獄の素材で満足できなくなった時、彼が次に目を向けるのは、最も純度の高いエネルギー――『天使の心核』が眠る、私たちの聖域でしょうね」
マリアの脳裏には、最悪のシミュレーションが浮かんでいた。
天界の堅牢な門が、【根源抹消】によって「閉じているという事実」ごと抉じ開けられ、無表情なユーシスが「ここも掃除が必要だな」と呟きながら歩いてくる姿が。
そしてその隣で、神となったレイリアが「ユーシスの邪魔をする天使は、一羽残らず凍らせてあげる」と、狂気的な愛を込めて杖を振るう光景が。
「……天使長様。もし彼らが攻めてきた場合、我々に防ぐ手立ては……」
「……ないわ。今の彼らは、私たちが定義した『理』の外側にいるもの」
マリアは立ち上がり、白銀の法衣を翻した。
彼女の瞳には、不安と共に、ある種の見定めのような光が宿る。
「戦えば、私たちは消される。……ならば、彼が天界を『敵』ではなく『取引相手』と見なすように仕向けるしかないわ。……あるいは、それ以上の『何か』を」




