16.深淵からの帰還、束の間の聖域、甘すぎる魔力供給
『──警告:個体名「ユーシス」。
精神・肉体の疲労指数が限界値を突破。
神権の連続行使によるニューロンへの負荷を検知。強制休息を推奨します。』
地獄の空を焼き尽くさんばかりに荒れ狂っていた漆黒の雷鳴が、ふっと霧散した。
ユーシスの手から魔剣が消え、彼はその場に膝をつく。
魔力は無限に湧き上がっている。だが、それを制御し、現実へ撃ち出し続ける「脳」と「心臓」が、悲鳴を上げていた。
「……ハァ、ハァ……。さすがに、この密度で神を殺し続けるのは……骨が折れるな」
「ユーシス……! ダメよ、無理をしないで……!」
背後から、神格化したレイリアが彼を優しく抱き止める。
彼女の背に広がる女神の翼が、荒れ果てた地獄の戦場を包み込むように広がり、周囲の毒素を浄化していく。
彼女もまた、膨大な魔力に酔いしれながらも、最愛の男の衰弱を本能で察知していた。
「……戻るぞ。レベリングは十分だ。これ以上は、効率が悪すぎる」
「ええ……。私たちの、あの静かなお城へ帰りましょう」
ユーシスが重い右腕を上げ、空に指を走らせる。
【根源抹消】の残滓を使い、閉ざされようとしていたアビスガルドへの門を「閉じるという概念」ごと抉じ開けた。
視界が白光に包まれ、次の瞬間、二人の足元には王都の冷たくも確かな石畳があった。
「……戻ったのね」
天空の庭園。
かつての喧騒は消え、ユーシスが再定義した穏やかな月光だけが二人を迎え入れる。
地獄の濃密な殺気から解放された瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、ユーシスの身体から力が抜けた。
「ユーシス、さま……しっかりして!」
レイリアが慌てて彼を支え、そのまま二人は寝室へと崩れ込む。
神となった彼女の体温は驚くほど高く、ユーシスの冷え切った肌に心地よく馴染んだ。
「……レイリア。すまない、少しだけ……眠らせろ」
「いいのよ、王様。……この世界はもう、あなたのもの。誰も邪魔なんてさせないわ」
レイリアは彼を寝台に横たえると、自らもその隣に滑り込んだ。
彼女の独占欲に満ちた瞳が、眠りに落ちていくユーシスの顔をじっと見つめる。地獄で手に入れた女神の力──それは、彼を守り、彼を自分だけのものにするための「檻」でもあった。
『──個体名:ユーシス。スリープモードへ移行。
環境維持システム:【安息の聖域】を展開。
これより、王の休息を妨げる全ての事象を凍結します。』
窓の外では、地獄の軍勢を一人で全滅させた男の帰還を祝うように、静かな夜風が吹き抜けていた。
最強の蹂躙劇の幕間に訪れた、甘く、重い、二人だけの時間。
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目が覚めた時、視界に飛び込んできたのは、王都の天井ではなく、銀色に輝く「女神の羽」の檻だった。
ユーシスを包み込むように丸まったレイリアの翼。その内側は、地獄の冷気を吸い尽くし、神格化した彼女の体温で熱いほどに満たされている。
「……起きたの? ユーシス」
耳元で、甘く、どこか湿り気を帯びた声が響く。
レイリアは彼の上に跨るようにして、紫色の瞳でじっと見下ろしていた。その瞳には、かつての儚い少女の面影はなく、手に入れた獲物を二度と離さないという「神」の独占欲が渦巻いている。
「……あ、あぁ。どれくらい眠っていた」
「三日よ。その間、ずっと私があなたの『欠けた部分』を埋めてあげていたの」
レイリアの手が、ユーシスの胸元をなぞる。
地獄で神権を乱使し、ボロボロになっていたユーシスの精神と肉体。それを繋ぎ止めていたのは、レイリアが絶え間なく流し込み続けた、濃密な「神の魔力」だった。
これまではユーシスが彼女に魔力を「供給」していたが、今は逆だ。
神となった彼女の熱すぎる力が、ユーシスの血管を焼き、魂の隅々まで彼女の色で塗りつぶしていく。
「……くっ、魔力が、熱すぎる……。レイリア、少し出力を抑えろ」
「嫌よ。だって、こうして私の熱で満たしておかないと、またあなたがどこか遠くへ消えてしまいそうで……怖いんだもの」
レイリアはユーシスの首筋に顔を埋め、深く息を吸い込む。
地獄を蹂躙した最強の執行者も、この腕の中では、彼女の愛という名の「鎖」に繋がれた、ただの男でしかない。
『──警告:個体名「ユーシス」。
精神の汚染度(愛着度)が急上昇。
女神レイリアによる「存在の再定義」が進行中です。』
「……フッ、勝手なシステムだ。俺の存在を書き換えられるのは、世界(お前)だけだと言っただろう」
ユーシスは重い腕を伸ばし、レイリアの髪を強く引き寄せた。
神の熱に浮かされながら、彼は悟る。
地獄を消し去り、神を屠った先に待っていたのは、平穏などではない。
たった一人の女神に、魂ごと喰らわれ続けるという、甘美で永遠の「執着」だった。
「……いいわ、ユーシス。もっと私を求めて。この世界が、私たち二人だけの色に染まるまで……」
窓の外では、新しい王の目覚めを待つ民たちの声が遠く響いている。
だが、この閉ざされた翼の内側では、時間が止まったかのような、濃密で終わりなき「供給」が続いていた。




