13.神権覚醒――遡及消滅すらオーバーライドする【根源抹消】
「……何だ、この不協和音は」
ユーシスは玉座から立ち上がり、再定義されたばかりの、染み一つない王都の青空を見上げた。
彼が掌握したアビスガルドのシステムが、未知のコードによる「干渉」を検知し、悲鳴を上げている。
『──警告:未確認の事象が発生。
世界の因果律が、外部から強制的に上書きされています。
脅威レベル:測定不能(システム外)。』
「ユーシス、あれを見て!」
レイリアが窓辺に駆け寄り、空を指差す。
黄金の雷光が走っていたはずの空に、突如として真っ黒な「亀裂」が走り、そこからドロリとした、アビスガルドの魔素とは異なる異質の闇が溢れ出していた。
その闇の中心から、不気味なラッパの音が響き渡る。
それは、かつての魔王ゼノスが持っていた「威厳」とは違う、ただ純粋な「終わりの始まり」を告げる破滅の旋律。
「ふむ……。ここが、ゼノスが手に入れたという『管理権限』の末路か。随分と、締まりのない世界になったものだ」
亀裂から現れたのは、真っ白な、しかし肉体の存在を感じさせない、不気味なほどに整った顔立ちの男。
彼は空中に立ち、ユーシスが作り直した緑豊かな大地を見下ろして、心底つまらなそうに呟いた。
「……誰だ。俺の庭に、土足で踏み込んだ代償は高いぞ」
ユーシスは【零式・極】を鞘から引き抜き、その刃に「無」の波動を纏わせる。彼の右目、漆黒の魔眼が限界を超えて発火した。
「庭? ……ああ、なるほど。貴様が新しい『管理者』か。私はクルール。『地獄の使徒』にして、真なる支配者の代弁者だ」
クルールは優雅に一礼する。だが、その背後に広がる裂け目からは、アビスガルドの住人ではない、全身が「概念的な凶器」で構成された異形の軍勢が、続々と這い出してきていた。
『──対象:クルール、および『地獄の軍勢』。
鑑定不能。……彼らの存在そのものが、アビスガルドの理を拒絶しています。』
「ゼノスは、この地獄を『自分色』に染めようとした。だが、我ら『地獄の使徒』が求めているのは、支配ではない。……『完全なる無』への還元だ」
クルールが指を鳴らす。
その瞬間、ユーシスが作り上げた防壁や水源が、パリンと硝子のように砕け、最初から存在しなかったかのように消滅した。
それは、ユーシスの【事象抹消】とは逆の力。
ユーシスが「消す」なら、クルールは「最初から存在させない(因果の遡及消滅)」。
「ユーシス、危ない! こいつらの魔力……触れるだけで、私の魂の存在が希薄になる!」
レイリアが障壁を展開するが、クルールの軍勢が放つ「虚無の波動」に触れた端から、障壁そのものが「存在すること」を忘れたかのように霧散していく。
「……なるほど。世界の理を書き換えるのではなく、『理が存在しない世界』へ戻そうというわけか」
ユーシスは魔剣を構え直し、レイリアの手を強く握った。
復讐は終わった。だが、彼らが手に入れた「安息」を守るための、真の戦いは、今始まったばかりだった。
「クルール。……俺の『無』と、お前の『無』、どちらが深いか、試してみるか」
アビスガルドの新しい王、ユーシス。
そして、すべてを還元しようとする地獄の使徒、クルール。
二つの「虚無」が激突する、真の蹂躙劇の幕が、今、上がる。
「……溯及消滅か。面白い、俺の『消去』を過去から否定しようってわけか」
ユーシスは【零式・極】を低く構え、眼前に広がる白銀の軍勢を睨みつけた。使徒クルールが率いる兵士たちは、実体を持たない「虚無の影」。彼らが歩いた跡からは、土も草も、空気さえもが『最初からなかったこと』になって消えていく。
「無駄だよ、ユーシス。君が今この瞬間を斬ったところで、私はその『斬ったという事実』を過去に遡って消し去る。君の刃は、私に届く前に存在を失うんだ」
クルールが指を差すと、白い波動がユーシスを襲う。
それは攻撃ですらない。「ユーシスがそこに立っている」という因果そのものを根底から覆す、理不尽なまでの消滅。
「……だったら、その『消去』が追いつかない速度で、お前の存在理由を根こそぎ喰らってやる」
ユーシスの右目、魔眼が血のような赤から、すべてを呑み込む漆黒の「虚」へと変質した。
『──警告:システム権限の限界突破。
固有領域:【終焉の回廊】を展開。
現在・過去・未来――全時間軸における対象の存在を一括指定します。』
「な……全時間軸だと!?」
クルールの顔から余裕が消えた。
ユーシスが剣を振るった瞬間、一筋の黒い閃光が、軍勢だけでなく、背後の『空の亀裂』までをも一文字に切り裂いた。
パリンッ! パリンッ! パリンッ!!
空間が、時間が、割れる音が連鎖する。
クルールの軍勢がユーシスの過去を消そうとするよりも速く、ユーシスの刃が「クルールという概念が生まれた瞬間」から「現在」までを、一本の線で繋いで一気に消去したのだ。
「ぐ、あ……っ!? 私の過去が……削り取られていく……!?」
『──対象:地獄の軍勢、および使徒クルールの『因果律』を抹消。
溯及消滅を【事象抹消】がオーバーライド(上書き消去)しました。』
ユーシスの刃は、もはや「今」を斬る道具ではない。
それは対象の歴史そのものを、根源から引き抜いて無へと放り込む『神の消しゴム』へと進化した。
「言ったはずだ。俺の『無』の方が深い、とな」
ユーシスがトドメの一歩を踏み出す。
クルールの白い体が、真っ黒なインクを零したように侵食され、崩れていく。
地獄の使徒としての誇りも、遡及の権能も、ユーシスの圧倒的な『虚無』の前では、ただの脆弱なデータに過ぎなかった。
ドォォォォォンッ!!
クルールが完全に霧散した瞬間、王都の空に巨大なシステムウィンドウが強制展開された。
『──使徒クルールの「因果遡及」概念を捕食。
【事象抹消】が神権レベル:【根源抹消】へ進化。
これより、対象を「生まれなかったこと」にする確定殺が有効化されます。』
「……はあ、はあ……。凄まじい魔力ね、ユーシス。世界そのものが、あなたの怒りに震えているわ」
レイリアがユーシスの背中に手を添え、自らの魔力を流し込む。
進化の余波でひび割れたユーシスの肌が、彼女の温もりで修復されていく。
「ああ。クルールとか言ったか。地獄の使徒がこれ一柱なわけがないだろう」
ユーシスは、まだ空に残っている微かな闇の残り香を睨みつけた。
神権を手に入れた彼の視界には、もはやこの世界の境界など見えていない。
「来いよ、地獄の連中。全部まとめて、歴史から消してやる」
アビスガルドの王は、かつての復讐者を超え、運命そのものを裁く『執行者』へと至った。




