12.世界の再定義――あるいは、王と王妃の終わらない儀式
魔王が消え、王都を覆っていたどす黒い雲が割れた。そこから差し込んだのは、数百年の間、アビスガルドが忘れていた「本当の陽光」だった。
『──アビスガルド全域の管理権限、移行完了。
環境再定義を開始します。……生存可能エリアを1200%拡大。』
ユーシスが玉座に座り、魔剣を傍らに立てる。
彼の指先が宙を撫でるたびに、かつて魔族の巣窟だった荒野に緑が芽吹き、汚染されていた水源がクリスタルのように透き通っていく。
「……本当に、あなたが世界を書き換えているのね。ゼノスとは違う、優しいやり方で」
レイリアがその隣で、新しく再定義された「王妃」の魔導衣を纏い、微笑む。
「優しくなどない。俺はこの世界の理を、俺と、お前に都合がいいように書き換えただけだ」
ユーシスは淡々と言い放つ。だが、その言葉とは裏腹に、王都の門前には各地から集まった生存者たちが、涙を流して跪いていた。
彼らにとって、魔将をゴミのように消し去り、自分たちに「今日を生きる糧」を与えてくれたユーシスは、紛れもない唯一の救世主だった。
「救世主様! どうか、我らを見捨てないでください!」
「新しい王に、永遠の忠誠を!」
万雷の拍手と歓声が、かつて絶望が支配した都に響き渡る。
「……勝手な奴らだ。一歩間違えれば、俺が次の魔王になっていたかもしれないというのに」
「いいじゃない。あなたがどんなに怖がられても、私が隣にいるわ。それに……」
レイリアが王都の広場を指差す。
そこでは、ユーシスがかつて救った村の人々が、誇らしげに新しい国の旗を掲げ、復興の槌音を響かせていた。
ユーシスは立ち上がり、バルコニーから自らの領土を見下ろした。
彼の右目には、もはや暴走する呪いではなく、この地獄を「楽園」へと変え続ける、静かな、しかし絶対的な支配者の光が宿っている。
「レイリア。退屈はさせない。この世界が俺たちの色に染まりきるまでな」
ユーシスが手をかざすと、王都の空に、絶望を焼き払うような黄金の雷光が優しく、力強く走った。
それは、アビスガルドが新しい歴史へとログアウトし、新しい「物語」へとログインした瞬間だった。
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「新しい王様は、今日も今日とて世界をいじってるわね」
再建が進む王都の一角。
かつての魔将の執務室は、今や二人のプライベートな「寝室兼・司令部」へと作り変えられていた。
レイリアは、シーツ一枚を体に巻き付けただけの姿で、窓辺に立つユーシスの背中に抱きついた。
「いじっているわけじゃない。この世界の『解像度』を上げているだけだ」
ユーシスは、空中に浮かぶ無数のシステムウィンドウを操作しながら、淡々と答える。彼の指先が動くたび、遠くの村に新しい防壁が「出現」し、荒れ果てた大地に四季の概念が戻っていく。
「ふふ、相変わらずね。でも……少しは休んだら? 昨夜も、私の『魔力供給』に付き合ってくれたじゃない」
レイリアがいたずらっぽく囁き、ユーシスの首筋に唇を寄せる。
【魂の誓約】を結んだ二人の魔力同調は、もはや戦闘時以外でも不可欠な儀式となっていた。レイリアがユーシスの内側にある「深淵の熱」を和らげ、ユーシスが彼女に「絶対的な存在証明」を与える。
「……あれは、お前が魔力切れだと騒ぐからだ」
「嘘ばっかり。自分から求めてきたのはどっちかしら?」
ユーシスはわずかに顔を背けたが、その耳が微かに赤くなっているのを、レイリアは見逃さなかった。
最強の「特異点」として世界を支配する男も、この部屋の中で、彼女と二人きりの時だけは、かつての不器用な青年の顔を覗かせる。
ユーシスは不意にシステムウィンドウをすべて消すと、振り返ってレイリアを抱き上げた。
「……何よ、急に」
「効率化だ。世界の再建には、王と王妃の安定した精神状態が必要だとシステムが判断した」
「あら、それは大変。……王様、その『精神安定』の儀式、時間はどれくらいかかるのかしら?」
「この世界に、時間はもう存在しない。俺が良いと言うまでだ」
ユーシスはレイリアを寝台に沈め、その漆黒の魔眼を優しく、熱く細めた。
外では救世主として崇められ、数万の民を導く「深淵の王」。
だが、この閉ざされた聖域の中では、彼はただ一人の女を愛し、愛されるだけの男だった。
窓の外では、新しく作り直された穏やかな月光が、寄り添う二人の影を優しく照らしていた。




