10.『黙れ、殴るぞ』――色欲の概念ごと粉砕する神殺しの鉄拳
王都ルナリスの最深部。かつての謁見の間は、今や毒々しいほどに甘い香りと、視界を焼く薄桃色の霧が立ち込める「淫靡な檻」に成り果てていた。
「ふふ、よく来たわね。……絶望と憎悪に焼かれた、愛しい復讐者さん」
玉座に深く腰掛け、長い脚を組み替える女――七大罪魔将の一角、『色欲』のアスモデウス。
彼女が細めた瞳から、大気そのものを粘つかせる「強制的な愛」の波動が放たれる。生存本能を狂わせ、膝を屈させる絶対的な支配の力だ。
『──警告:高濃度精神汚染。
状態異常:【隷属】の判定を開始。
精神防壁、摩耗中。』
視界の端でシステムメッセージが血のように赤く明滅する。アスモデウスの指先から伸びる桃色の魔力の糸が、獲物を縛り上げようとユーシスの首筋に這い寄る。
「ねえ、そんな物騒な剣は捨てて、私の中で安らぎなさい。復讐も、怒りも、すべて忘れて……私の虜になるのが、この新しい世界の『幸せ』よ」
「……っ。ユーシス、だめ……見ちゃ……」
隣に立つレイリアが顔を紅潮させ、荒い息をつきながらユーシスの腕に縋り付く。魔力感度の高い彼女にとって、この精神汚染は神経を直接焼かれるような猛毒だ。その瞳が、わずかに潤み、光を失いかける。
だが、ユーシスは一歩も揺るがなかった。
【零式・極】を無造作に正眼に構え、冷徹な視線を魔将へ突き刺す。
「安らぎ? ……そんな概念、俺の剣には存在しない」
ユーシスが剣を振るった。
狙いはアスモデウスではない。周囲に漂う「誘惑」の霧そのものを切り裂く一閃。
パリンッ!
「……なっ!? 私の『魅了』を、物理的に斬ったというの……!?」
アスモデウスが驚愕に目を見開く。
ユーシスの周囲数メートル、そこだけが真空のように清浄な空間へと戻った。霧だけでなく、彼女が展開していた「誘惑」という精神的効果そのものが、事象ごと抹消されたのだ。
『──固有能力:【事象抹消】発動。
対象領域の「因果関係:誘惑」を破壊。
精神汚染度、リセット。』
「種明かしは終わりだ。その薄汚い色欲ごと、この世から消えろ」
ユーシスが地を蹴る。
魔将の反応速度すら置き去りにする、超加速。
「待っ、待ちなさい! 私に触れれば、貴様の魂は快楽で焼き切れ――」
「黙れ。……殴るぞ」
ユーシスは剣を影に預け、魔力を拳に凝縮させた。
ただの打撃ではない。拳の表面に【概念破壊】の層を纏わせた、存在そのものを粉砕する「神殺し」の鉄拳。
ドォォォォォンッ!!
アスモデウスの美しい顔面が、拳が触れた瞬間に歪み、砕け散った。
「美貌」も「不死身の再生能力」も、彼の拳の前では何の意味もなさない。
玉座ごと吹き飛ばされた魔将は壁に深々とめり込み、その優雅な肉体は一瞬で肉塊へと成り果てた。
「ア……ガ、あ……私の、権能が……」
『──個体名:アスモデウス、戦闘不能。
「色欲」の核を捕食。……スキル:【深淵の支配】を習得。
周囲の魔物を「概念的に屈服」させる権能を得ました。』
「……ユーシス、信じられない。あんなに強大だった魔力が、一瞬で『無』にされるなんて」
レイリアが息を整え、ユーシスの隣に立つ。
崩壊したアスモデウスの残骸から、膨大な紫色の魔素が二人の体に吸い込まれていく。
『──レベルアップを確認。
全ステータス、大幅上昇。
【零式・極】、第三段階への進化を開始します。』
「次だ。……残りの魔将も、同じように消してやる」
ユーシスは魔将の返り血を無造作に拭い、さらに奥へと続く重厚な扉を蹴り開けた。




