1.アビスガルドの落日と、紫黒の覚醒
空は、濁った血のような暗赤色に染まっていた。
立ち込める死臭と、鉄錆の混じった風が頬をなでる。
「……はぁ、はぁ……っ」
ユーシスは、崩れかけの城壁に背を預け、荒い息を吐き出した。
右手にあるはずの鋼鉄の長剣は、中ほどから無残に折れ曲がっている。
目の前には、おびただしい数の死骸。それらはかつての戦友であり、同時に彼らを食い散らかした『悪魔』たちの残骸でもあった。
この世界、アビスガルドは、終わりを迎えていた。
数十年前に突如として開いた「地獄の門」から溢れ出した悪魔の軍勢により、人類の居住地は九割が陥没。生き残った者たちは、ただ滅びを待つだけの「餌」に過ぎない。
「グルル……」
瓦礫の向こう側から、低い唸り声が響く。
一体の悪魔が姿を現した。
人間の倍はある体躯、山羊のような頭部、そして脈動する禍々しい漆黒の筋肉。
『下級魔将』。
一国の近衛騎士団ですら数人がかりで仕留める化け物が、ユーシスの前には三体も並んでいた。
「くそっ、ここまでか……」
ユーシスは折れた剣を握り直す。
彼は特別な英雄ではない。ただの、生き残ってしまった平兵士だ。
だが、その瞳だけは絶望に濁ってはいなかった。
たとえ死ぬ間際でも、一太刀。その一太刀を叩き込むことだけに、全神経を集中させる。
『個体名:ユーシス。強い闘争本能を検知』
不意に、視界の端に無機質な文字列が浮かんだ。
幻覚か。あるいは死の間際に見る夢か。
『条件を達成しました。固有スキル【魔導武装】を起動します』
「……なんだ、これは」
『周囲の魔素を再構成してください。……推奨:ダーク・マター(闇物質)』
三体の悪魔が、一斉に跳躍した。
巨大な爪が、ユーシスの頭上から振り下ろされる。
死が、目前に迫る。
その瞬間。
ユーシスの手元にあった「折れた剣」が、爆発的な輝きを放った。
周囲に漂っていた戦友たちの無念、そして悪魔たちが放つ禍々しい瘴気が、渦を巻いてユーシスの右手に吸い込まれていく。
「─再構成、開始」
無意識に、言葉が漏れた。
折れた剣身を核として、紫黒色の雷光を纏った「魔力の刃」が伸びていく。
それは剣であり、同時に魔法そのものだった。
ズガァァァァン!!
一閃。
横一文字に振られたその刃は、鋼鉄をも容易く切り裂く悪魔の肉体を、バターのように滑らかに両断した。
「ガ、ギ……ッ!?」
三体の悪魔は、悲鳴を上げる暇さえなかった。
断面からは血ではなく、ドロリとした闇の魔力が溢れ出し、それが再びユーシスの剣へと吸い込まれていく。
『魔力を吸収しました。出力制限を一段階解除』
手元に伝わる感覚が、重く、鋭く変わる。
ユーシスは、自分の手に握られた「漆黒の魔剣」を見つめた。
ただの魔法ではない。これは、敵を喰らい、己を強化し続ける「終わりの武器」だ。
「…これなら、全部斬れるな」
ユーシスは立ち上がる。
城壁の向こう側、地平線を埋め尽くすほどの悪魔の軍勢を見据え、彼は静かに一歩を踏み出した。
地獄が、ひっくり返る音がした。




