彼女が初めて笑った日
少しだけ、距離が縮まる回です。
翌朝。
俺は畑で転んだ。
理由は単純だ。
水路を延ばそうとして、ぬかるみに足を取られた。
「……」
無言で、顔面から土に突っ込む。
丸い土精霊が、俺の背中の上でぽよんと跳ねた。
芽吹き精霊が、ころころ転がる。
ルナの声が飛んでくる。
「ださい」
「うるさい」
顔を上げると、目の前は泥。
完全に間抜けだ。
レイナが近づいてくる。
足音はしない。
影だけが差す。
「弱い」
「知ってる」
俺は起き上がろうとする。
その瞬間、また滑った。
今度は尻餅。
完璧だ。
沈黙。
森も静か。
ルナが口元を押さえる。
「……っ」
笑いを堪えている。
レイナは真顔だ。
じっと見ている。
俺は立ち上がる。
泥だらけのまま。
「畑は広げる」
真面目に言う。
丸い土精霊が、俺の肩に登る。
芽吹き精霊が足元で跳ねる。
その光景は、どう見ても滑稽だった。
ルナが先に吹き出した。
「ふ、ふふっ……」
小さな笑い。
それにつられて――
レイナの肩が、ぴくりと震えた。
一瞬だけ、顔を背ける。
でも、抑えきれなかった。
「……は」
小さな音。
それから。
「っ、ふ……はは」
短い。
低い。
でも確かに、笑い声。
森の中に、初めて響いた。
俺も止まる。
ルナも止まる。
丸い土精霊が、きょとんとする。
レイナは自分の口元に手を当てた。
信じられない、という顔。
「……変な男だ」
「知ってる」
俺は泥を払いながら言う。
レイナはもう一度、少しだけ笑った。
今度は、はっきりと。
金色の瞳が柔らぐ。
耳が自然に立つ。
その表情は、昨日までの彼女と違っていた。
群れを失った獣ではない。
守る者。
ここにいる者。
ルナが小さく言う。
「似合う」
レイナはそっぽを向く。
「うるさい」
でも、もう無表情ではない。
俺は畑を見る。
泥だらけ。
でも、悪くない朝だ。
丸い土精霊がぴょんと跳ねる。
芽吹き精霊がころころ転がる。
レイナがぽつりと呟く。
「……ここは、静かでいい」
俺は頷く。
「だろ」
風が通る。
三人の影が並ぶ。
この村はまだ小さい。
でも確かに、
“群れ”になり始めていた。
レイナが初めて笑いました。
次回は、少しだけ深い夜の話へ進みます。




