第10話
驚いた。火星軌道に到着した俺たちはストロウベイリー号でナルコベースに向かうことになったのだが、なんとそこにアリスと名乗る見た目16歳前後の少女が乗り込んできたのである。これまで声だけだったが、言わずと知れた戦艦アリスイリスの副官だ。
身長は160cmほどで長い睫毛の下の大きな瞳はブルーパープル。背中の中間くらいまであるシルバーブロンドの髪を編み込みハーフアップにしている。
白地のセーラー服のような衣装を身に纏っているがボトムはスカートではなくパンツスタイルだ。お陰で細い手足と上を向いた尻にキュッと締まっ足首が際立っている。襟はライトブルーで白い筋が二本入っており、胸当ての部分には階級章のようなものが刺繍されていた。
成熟した大人の女性も顔負けの洗練されたボディラインに、小ぶりのメロンほどの胸。これが遺伝子操作による美容整形や細胞整形ではなく天然の容姿だとしたら、高位貴族からも引く手あまただろう。
なお艦にはもう一人、アリスの双子の妹でイリスが残っているそうだ。二人の違いは瞳の色くらいでほとんど見分けがつかないだろうとのことだった。イリスの瞳はライトパープルらしい。こんな美少女がもう一人いるのかよ。
「よく来た! 待っていたぞ!」
ナルコベースの会議室に通された俺とユリウス、レイア、アリスそれぞれに視線を送りながら、アロイシウス大公は両手を広げて歓迎の意を示してくれた。もちろんそこには第三艦隊司令のヴァル・フェルトンと副司令のロスウェル・ニコライもいる。扉の脇には二人のメイドと四人の兵士が控えていた。
捕らえた宙賊共は、尋問のために火星の衛星フォボスに移送されたトマス・ムルデン元伯爵を除き、艦内で拘束されたままだ。拿捕した65隻の艦艇はこの後綿密に調査されるとのことである。
「まずは我が軍第三艦隊を窮地から救ってくれたことに礼を言う」
「もったいないお言葉痛み入ります、皇兄殿下」
「ユリウスだったな?」
「はい」
「アロ君かアロさんと呼べと言ったはずだが?」
「申し訳ございません、お戯れと思っておりました。ですがそうでないとしても恐れ多いことにございますれば、どうかご容赦賜りたく」
「殿下、学生の方がよく弁えておるようですな」
「黙れドリス」
ドリス・ゴルドネル、先ほどアロイシウス殿下の側近と紹介された。伯爵位を持つが、皇帝からではなく大公から叙爵されたので下級貴族の位置づけである。もちろん平民の俺からすれば雲上の人物であることに変わりはない。
「死んだはずのトマス・ムルデンを捕らえたと聞いた時は驚いたが、宙賊の艦隊を丸ごと拿捕したことにも恐れ入ったぞ」
「身に余るお言葉にございます」
「うーん、なんか堅いんだよな。そこの女性、アリスと申したか」
「はい」
「あの巨艦の副長と聞いたが相違ないか?」
「ありません」
無表情のままアリスが答える。大公殿下はフレンドリーに接してほしいと思ってるんじゃないかな。顔が可愛いんだからちょっとくらいニコッとしようよ。
『艦長が望まれるならそうしますが』
俺にだけ聞こえるアリスの声だ。心を読まれるのは慣れないな。
『申し訳ありません』
『いや……それより相手は大公殿下なんだから少しくらい愛想よくしてもいいんじゃないか?』
俺も頭の中で答える。考えれば伝わるのだから。
『艦長の思考は私たちとリンクしておりますので』
『たち? ああ、もう一人のイリスとか』
『はい。お言葉の意味は分かりますが、私たちが不用意に男性に笑顔を見せるとあらぬ誤解を招くのです』
なるほど、これだけ可愛いと笑いかけるだけで誤解されるのか。分かる気がする。
『恐縮です』
『ところでリンクしてるのは俺だけ?』
おい、なぜ顔を背けた? つまりこの場にいる全員の思考を読み取っているというわけね。しかし彼女の次の言葉に俺は愕然とすることになる。
『艦長、○○にはご注意下さい』
『はい?』
『あれは敵です』
思考として伝わってくる分、アリスが適当なことを言っているわけではないことが分かった。少し前にも同じようなことを言われたが、今回はより具体的に敵と明言された。しかし○○が敵? 考えられないし考えたくもない。
『私情は失いたくないものを失う結果に繋がります。どうか冷静なご判断を』
『少し黙っていてくれ!』
俺は得体の知れない怒りに、思わず思考のリンクを拒絶した。それが可能だと教えられたからだ。
『申し訳ありません』
直後からアリスイリスからの"声"は途絶えたが、大公殿下との会話は続いている。
「うむ。どのようにして宙賊艦隊を拿捕した?」
「全ての制御系統を掌握しました」
「技術的なことは明かせないと?」
「申し訳ありません」
「どこの国の艦だ?」
「申し上げられません」
「銀河のどこから来た?」
「申し上げられません」
「ふむ。我が帝国を敵に回しても、か?」
「投入した戦力を全て失うお覚悟があるなら試されてはいかがでしょう? 撃沈はいたしませんが宙賊艦隊同様拿捕し、以降は我が艦の従属艦として役割を担っていただきます。大公殿下が買い戻しを希望される場合は建造費の八割にて申し受けいたします」
「きれいな顔をしてエグいことを言う」
「大公殿下、そのお言葉は私に対するハラスメントとなります」
「ぶ、無礼な!」
「よせドリス!」
パルスレーザーガンを抜いたゴルドネル伯爵を大公が窘める。対して銃口を向けられたアリスは眉一つ動かすことはなかった。
卑猥な表現がなくとも、親しい間柄ではない異性を褒める時は許可を取らなくてはならない。窮屈だが帝国法で明確にそう定められているのだ。まして相手が初対面となれば訴え出られた場合の罪は重い。
もっとも実際は身分の低い者が高い者を訴えることはほとんどないのが現状だ。伯爵を見て分かる通り、無礼打ちに遭うのが関の山だからである。
しかし大公殿下は物怖じしないアリスを見てニヤリと笑った。
「失礼した」
「私の容姿について述べていいのは艦長のみですので以後ご留意下さい」
「えっ!? 俺!?」
「艦長は確かハルト・シガラキだったな」
「ら、らしいです」
「あの艦の所有者も貴殿と聞いた」
「私もそう聞きました」
「ふむ。俺に譲る気はないか?」
「大公殿下、そのお言葉もハラスメントに抵触いたします」
「うん?」
「艦長は身分から殿下のお言葉には逆らえません」
「そうか。断っても無礼打ちはせん。これならどうだ?」
「で、でしたら私は宇宙冒険者となって賞金稼ぎしたいのでお断り……」
「そうか! 賞金稼ぎになりたいのか! よし、であれば所有者は俺、使用者はハルト・シガラキとしようではないか」
「それは……」
「よく考えろよ。トマス・ムルデン捕縛も宙賊艦隊拿捕も、殉死以外での功績は前代未聞と言える。しかしそれでも褒美にあの艦を所望したとして陛下が肯くと思うか?」
あのがアリスイリスのことだというのは言われなくても分かる。しかしこの話に乗ってしまってもいいものだろうか。もし乗った場合、大公殿下の下働きにされかねない。俺は自由に銀河を駆け回りたいのだけなのに。
そんなことを考えていたら、アリスがとんでもないことを口にした。
「大公殿下、よろしいでしょうか」




