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蒼き炎のジャヤシュリー  作者: 佐斗ナサト
第1部 女神選定
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第6話 史書の疵

 ここしばらくのダルシャンは、やはり〈炎神(アグニ)(しるし)〉についての歴史記述を調べ上げていたのだという。いわく、バーラヤもいるならちょうどよいとのことで、中庭からすぐの空き部屋で話を聞くことになった。――空き部屋といってもしっかり家具調度が揃い、きれいに掃除がされているあたり、王宮らしいのだが。


「サンジタのやつを言いくるめねばならんからな。ジャヤシュリーの修練とは別に、こちらもできる限り理論武装をしたいのだ」

「何か成果は?」


 バーラヤに問われ、ダルシャンは頷いた。


「ウッジェンドラ将軍――初代の〈(しるし)〉に関して、ジャヤシュリーの正当性を裏付けうる記述が見つかった」

「……え?」


 ジャニは驚いてまばたく。ダルシャンは口の片端を吊り上げた。


「一般に語られるウッジェンドラは赤い炎を扱う男だ。一度しか見たことはないが、父上の持っておられた剣も赤い炎を宿していた。その前の〈(しるし)〉についても、すべて赤い炎を宿す武器だったと記されている」


 その言葉を肯定するかのように、ダルシャンの持つ油灯がゆらめく。赤く小さな灯火は、暗い部屋の壁に複雑な影を浮かせている。


「だが、初代王の時代に書かれた史記の草稿らしきものが見つかってな。それには二カ所、矛盾する記述が含まれていた。――いわく、ウッジェンドラの炎は(あお)かった、と」


 バーラヤが息を呑む。ジャニは目を見開いた。


「どうして……」

「どういう理由かは分からんが、完成稿になるまでの過程で記述がゆがめられたのだろうと俺は思う。我が国の貴色は(あか)であるからして、より縁起がよいように書き換えられたのかもしれん」


 高僧どものやりそうなことだ、とダルシャンは呟く。


「ともかく、これが事実であれば、お前は歴代の〈(しるし)〉の中で最もウッジェンドラに近い存在だと言えそうだ。サンジタに根拠として示せるよう、もう少し調べてみるとしよう。王国紀元年から二十四年にかけての手稿や機密文書を可能な限り掘り起こす」

「……そこまでなさるのですか」


 思わずジャニが言うと、ダルシャンは肩をすくめた。


「当たり前だ。お前は王妃になりたくはないのか? なに、苦労をかけるのは今だけだ。俺が即位すれば、あとは安楽な生活を約束してやる」


 ジャニとて人の子だ。明日の食事や身の安全の心配をすることなく、楽に暮らせるに越したことはない。だが安楽な生活がしたくてここに来たのかというと、少し違う気がする。

 考え込むジャニをよそに、ダルシャンは続けた。


「だが残念ながら調べものは一旦(しま)いだ。俺は明日、先王妃の名代としてスヴァスティへ発たねばならん」

「もうそんな季節にございますか。いやはや、早いものだ」


 納得した様子のバーラヤの隣で、ジャニは聞き慣れない地名に首を傾げた。それを見たダルシャンは、ああ、と思い立ったような声を上げた。


「バーラヤよ。お前、ジャヤシュリーを連れていってやれ。森育ちでは聖河(せいが)拝礼(はいれい)の祭祀など見たことがなかろうからな」

「……はっ。私めも都を離れてよろしいのですか」

「無論だ、たまには指導を後進に任せろ。こちらで席を用意しておく。ジャヤシュリーとの婚約が済んでいたなら俺に同伴させたが、それどころではなかったものでな。――考えてみれば、聖河拝礼の日は夏随一の吉日だ。いっそスヴァスティで婚約式も執り行うか?」


 ジャニが黙っていると、ダルシャンは小さく笑った。


「まあよい。努力の褒美だ、ジャヤシュリー。聖なるニーラ河の恵みを()けに来い」


  ※


 三日後。バーラヤとジャニは三頭立ての戦馬車(ラタ)で都を出立した。

 都の外郭を流れる東ニーラ川をたどって南へ二日ほど下れば、東西ニーラの支流が合流して大河となる地点に行きつく。その場所こそが古の聖地スヴァスティ。プラカーシャ王国第二の都市にして、かつての王都である。


「王族の祖である諸部族は、元はといえばニーラ河畔(かはん)――スヴァスティ周辺の出なのです。しかし二代国王ヴァンカタカの時代に領土を拡大し、より守りやすいマハージヴァーラーに遷都いたしましてな。三代国王の時代までかけて、今の王城を築いたわけです」


 馬車に揺られながらバーラヤが説明してくれる。ジャニは貴重な知識にじっと耳を傾けた。


「しかしスヴァスティと聖河ニーラが我々にとって重要な場所であることは変わらない。ですから旧王城は離宮として残され、初夏の吉日に行われる伝統の祭祀にあたって使われることとなっているのです」

「それが……聖河拝礼?」

「左様」


 バーラヤが微笑んで頷いた。


「聖なる河に供物と祈りを捧げ、来たる雨季の恵みを占い、身を清めて罪を(そそ)ぐ。そのような祭にございます」

「なるほど……」


 そういえば、そんな祝祭が世の中にあるという話を養父から聞いたこともあったかもしれない。おぼろげな記憶だけが残っている。


「ダルシャン様は、そのお祭りで何かお役目が?」

「その通り。ニーラ河に供物を捧げるのは王族の責務です。事前の潔斎(けっさい)などがございますから、お早く発たれたのでしょう。本来ならば先王の妃であるラマニー様のお役目ですが、ラマニー様は近ごろ公の場に出ることを(いと)われる。また第二王子殿下は西の辺境からのお戻りが遅れております。そうなれば自然、今年のお役目は第三王子のダルシャン様に回ってくるというわけですな」


 そこまで聞いて、ジャニの中にふと疑問が生じた。


「あの……先生。第一王子はおられないのですか?」

 聞いてから、しまった、と思った。バーラヤの顔に悲しげな影が差したからだ。

「もう、二十年ほど前になりますか。避暑地の森で亡くなられたのです。不幸な事故でございました」

「――すみません」


 うつむいて謝罪する。バーラヤがかぶりを振った。


「いや、疑問に思われるのも当然。――心のお優しい、よき方でした。ダルシャン様も懐いておられましてな。第一王子殿下が亡くなられた時は、御年せいぜい四つ。長いこと泣いて泣いて……ひどく悲しんでおられました」

「ダルシャン様が……」


 ――幼いダルシャンなど想像したことがなかった、と気づいた。

 最初からあの不敵な笑みで、人を人とも思わないかのように振り回していたのだろうと、無意識に思っていた。

 そんなわけはないのに。あの人も、幼いころの自分のように――悲しみに涙することがあったのだ。


 ジャニは馬車の窓の外を見やる。東ニーラの水面が、午後のまばゆい太陽を受けてきらきらと輝いている。

 今のダルシャンなら、これは国で三番目に美しい光景だ何だと、自分の手柄のように自慢しそうだ。

 だが幼いダルシャンは、初めて見る川面の輝きに打たれ、その大いなる姿にただ胸を躍らせたりしたのだろうか。――ちょうど今の自分のように。


 物思いにふけっていると、バーラヤが明るい声を上げた。


「おお、聖バダラ寺院が見えてきましたな。スヴァスティが近づいてまいりました。最後の休憩といたしましょう」

「はい、先生」

「草を集めるならここが最後かもしれませんぞ。スヴァスティは街ですからな」


 バーラヤにからかわれ、ジャニの頬が熱くなる。一カ月半ぶりに王宮を出て自然の中に入ったせいで、森暮らしだったころの習慣がうずいて仕方なかった。シュヤーマの森では珍しかった植物が南へ行くほど増えることもあり、休憩のたびに小刀を手に取っては薬草を集めてしまう。採集用の袋はもう満杯だった。


「……ほどほどにします」


 そう答えると、バーラヤは朗らかな笑い声をあげた。

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