第29話 重き言葉
捕縛されたサンジタとインディーヴァラの姿が兵士たちの間に消えていく。
彼らがいなくなるのを見て、ディーパも落ち着いたらしい。一座の青年に支えられつつも立ち上がった。バーラヤが二人のもとへ歩み寄っていく。きっと気にかけてくれたのだろう。
それを見届けた瞬間、今度はジャニの方が目眩に襲われた。ほっとしたせいだろうか。あるいはここ数日間、まともに眠っていなかったせいだろうか。
ふらふらとしゃがみ込む。手首の鎖が耳障りな音を立てた。その音でダルシャンが気づき、ジャニの元へ駆け寄ってきた。
「ジャヤシュリー! どうした」
「……ダルシャン、さま」
たくましい腕で軽々と抱き上げられる。額と額が触れ合った。
「熱があるぞ」
ダルシャンが囁くのをぼんやりと聞く。言われてみれば、いつしか顔がひどく火照っていた。
ずきり、ずきり。鈍い頭痛が走っては消えていく。
「道を開けろ! 医師を呼べ!」
ダルシャンが声を上げ、ジャニを抱いたまま王宮の中へと歩を進める。
――大丈夫です。そう言おうとしたが、声が出なかった。
後宮の庭園に差し掛かったとき、ジャニは小さく目を見開いた。庭を囲む回廊に、十名近くの侍女たちが並んで待機しているのだった。
前へ進み出たのは、指甲花の祝いに参加してくれた侍女の一人だった。パーヴァニーのことを思い出し、ジャニの息が詰まった。
侍女は切なげに微笑み、頭を下げた。
「お帰りなさいませ――ダルシャン殿下、ジャヤシュリー妃殿下」
――そんな言葉を、言ってもらっていいのか。自分にそんな資格があるのか。
分からない。懐かしくさえある香の匂い。朝日に照らされる池のきらめき。鳥のさえずり。
部屋に運び込まれ、柔らかな寝台に寝かされる。包み込まれる感触につられるように、意識が薄れていった。
※
目を覚ますと、美しい細工のされた天井が見えた。妙に見覚えがある気がして、何度か瞬く。
ふと、低い声が隣から聞こえた。
「――気がついたか」
ゆっくりと声の方を見やると、優しい指先に頭を撫でられた。くすぐったくて目を閉じ、もう一度開ける。
黒い瞳――ダルシャンの瞳が、こちらを覗き込んでいた。
「丸一日も目を覚まさぬものだから、心配したぞ。バーラヤや侍女たちもひどく案じていた」
「……すみません」
かすれ声で謝ると、もう一度撫でられた。恥ずかしくて身じろいだとき、耳障りな金属音がしないのに気づいた。
両の手を持ち上げてみる。鎖は鋭い刃か何かで根元から断たれていた。だが、手首の黒い枷はどちらもそのまま残っていた。
ダルシャンが渋い顔をした。
「鎖は切ったが、その枷は外せなかった。そもそも鍵穴がないのだ。お前を傷つけずに壊すこともできなかった」
ジャニは黒い枷を見つめ、答えた。
「これは呪いの枷なのです」
「呪い?」
「はい。私の炎を封じるために、インディーヴァラが……」
ダルシャンがジャニの手首をとる。枷をじっと見つめ、口元を引き締めた。
「バーラヤに教わったことがある。呪いの本質は言葉だと」
「言葉?」
「ああ。言葉によって相手と己を縛るのだ。強力な呪者は呪いを具現化させることもできるが、根本は変わらない。そう学んだ」
――ゆえに我は祈る。この者の力を縛りたまえと、神なる枷を与えたまえと。
確信に満ちたインディーヴァラの声が、頭の中に鳴り響く。ジャニは思わず目を閉じた。
そのとき、ダルシャンがジャニの手を固く握りしめた。
「ジャヤシュリー」
強い声に、ゆっくりと目を開ける。
美しい黒の色が、こちらをじっと見つめている。
「お前を蔑む者の言葉に、永遠に縛られる気か?」
ジャニはぐっと唇を噛んだ。
(――それは、嫌だ……)
言葉。言葉。言葉。
呪いが人を縛る言葉であるならば――それは、誓いと同じではないか?
ならば、自らに強く誓うことで、かけられた呪詛を打ち消すことはできまいか?
何かを察したのか、ダルシャンの手の力が緩んだ。
ジャニは両の手を寝台につき、ゆっくりと身を起こした。
「……私は」
枷のはめられた手を、もう一度目の前に掲げる。
大きく息を吸い、胸の奥から言葉を押し出す。
「何が、あっても……」
自分の力が――封じられたこの力が。
諸人の言うように神与のものであろうとも、アスラの血に連なるものであろうとも。
重荷でも、恵みでも、あるいはそのいずれでもなくとも。
「ダルシャン様のそばにあると、誓います――だから」
返せ、この力を。
――体を、熱が駆け巡る。
蒼い炎が手のひらから噴き出す。枷を一瞬にして燃やし尽くし、灰と散らした。
ダルシャンが目を見開いた。ジャニは肩で息をしながら彼を見やる。
どちらからともなく腕を差し伸べ、固く抱擁し合った。ダルシャンのほの高い体温に、ジャニの目の奥はじわりと熱くなった。
そのときだった。
ジャニの胸元から何かが落ち、床に転がったのは。
「……あ」
養父の形見のお守りだ。インディーヴァラたちに乱暴な扱いを受け続けたせいだろうか、細い鎖がとうとう切れてしまったのだ。
だが拾い上げるのは、ジャニよりダルシャンが先だった。
彼は無造作にお守りを見やる。そして――なぜあろう、驚愕の表情を浮かべた。
「……これは」
「どうされました……?」
お守りは他人に見せてはいけないと言われていた。だがダルシャンの顔を見るに、どうやらそれどころではないようだった。
「この太陽は、ミトラ国王家の紋章だ」
「え? ミトラは……ここから西の国、ですよね」
「ああ。我が父の第一妃にして、シャンカラ兄上の母君である故プルニマー妃の故郷だが……」
ダルシャンの声がかすれた。お守りの裏、ジャニには読めない文字をたどった彼のまなざしが揺れた。
「……ジャヤシュリー」
「ダルシャン様?」
何かとんでもないことが起こっているらしい。ダルシャンの声が震えている。
ジャニは冷たくなった手を握りしめた。
「養父君から受け継いだ護符だと、そう言っていたな?」
「はい……間違いありません」
「護符の裏には、ミトラ文字でこうある。『母プルニマーより、我が子シャンカラへ』と」
「え……?」
ジャニは凍りついた。
ダルシャンは泣き笑いのような表情を浮かべ、ジャニの肩に手を置いた。
「お前の養父シャクンタ殿は、我が兄――プラカーシャ王国第一王子、シャンカラだ」
〈第二部「魔女転臨」終〉




