第26話 処刑の時
蝶番の軋む音がした。
ジャニはゆっくりと顔を上げる。兵士が一人、牢の扉を開けたところだった。
「外へ出ろ」
兵士は硬い声で命じる。まだ若い男だ。揺らぐ松明の明かりを受けた顔は、ジャニとそう変わらない年ごろのように見えた。
暗い牢の奥からジャニが黙って見返すと、彼はわずかにひるんだ。そのまま、しばらく無言で視線を交わした。
若い兵士の背後に立っていた上官がしびれを切らしたように割って入り、ジャニの腕をつかんだ。乱暴に牢から引きずり出される。手で背を突かれ、湿った空気の漂う中を歩かされた。
手枷に繋がれた鎖を引かれ、長く冷たい階段を上ってゆく。ぼんやりと揺れる炎だけが足元を照らす。
やがて地上へと続く扉が見えた。若い兵士が重い鉄の戸を押し開ける。
まばゆい光に目を刺され、ジャニはまぶたをすがめた。
朝が来ていた。昇り来る太陽は東の空を白に染め、中天を鮮やかな朱の色に変えている。
やわらかな風が頬を撫で、鳥のさえずる声が涼やかに響く。遠くから寺院の鐘の音が漂ってきた。
――こんな美しい夜明けに、自分は首を断たれるのか。
皮肉にもほどがある、とぼんやり思った。
地下牢があるのは城の裏手だ。鎖に繋がれたまま、表の広場へと連行される。
手入れのされていない地面を裸足で踏みながら、ジャニはダルシャンのことを思った。
今、彼はいったいどこにいるのだろう。ずっと心配しているに違いない。
彼の顔が脳裏をよぎる。不敵な微笑み。優しいまなざし。自分の名を呼ぶ――声。
(――会いたい)
そうだ。このまま死ぬのは嫌だ。
あの人が待っている。何もせずに殺されるわけには、いかない。
呪いの手枷を嵌められた今の自分に、炎の能力を使うことはできない。でも、短い時間とはいえ、バーラヤに武術を教わってきた。簡単な体術もだ。
何の力も持たない女と侮られている今ならば、機会はあるはずだ。
あらんかぎりの力を込め、目の前の兵士の背を蹴り飛ばした。兵士がよろめく。その隙に鎖を握った手を振り払い、全速力で逃げ出した。
「っ、待て!」
「逃げたぞ、追え!」
兵士たちが追いすがるのを感じながら、必死に走った。けれど手枷があるせいで腕を振ることができない。長い鎖も脚に絡み、逃げようとするジャニを嘲笑う。
結局、いくらも行かないうちに追いつかれた。後頭部を殴られ、地面に顔面から叩きつけられた。熱く粘るものが滴り、片目を塞ぐのを感じた。
「よくも逃げようなどと思ったな、このアマ!」
「魔女めが。おとなしくしていろ!」
蹴られ、踏まれ、罵られる。血と涙が混じり合い、ジャニの頬を伝った。
※
王宮前の広場――ジャニのための処刑場には、大勢の人が集まっていた。
着飾った王侯貴族が、宮殿を背にした観覧席に並んでいる。そして城壁の側には、平民が押し合いへし合いしながら並んでいた。あちらこちらでざわざわと交わされる会話が波のように引いては寄せる。
数カ月前、炎を操る力をルドラと競わせ合ったときと同じ光景。あのときと異なるのは、人々が血を――魔女の血を観に集まっているということだった。
ジャニが石段の上にもうけられた処刑台に引きずり出されると、ざわめきが一層高まった。
頃合いを待っていたかのように、摂政サンジタが姿を現わした。彼が伴っている大刀を持った男は処刑人だろう。
処刑人がジャニのもとへ足を向けたとき、聞き覚えのある声が響き渡った。
「おやめくだされ、摂政殿!」
「……先生」
バーラヤだ。バーラヤがこちらへ走り寄ろうとして、大勢の兵士に止められている。
サンジタは軽蔑もあらわに眉根を寄せた。
「バーラヤ殿。国政は武術師範の領分ではないことはお分かりか?」
「存じております。しかし、ジャヤシュリー妃が――我が弟子が、ラマニー様やパーヴァニーを殺すなどありえませぬ! これは師としての嘆願にございます。裁判をやり直してくだされ。どうかお願い申し上げます!」
必死に叫ぶ老武人に対し、摂政は冷たくかぶりを振った。
「ならぬ。裁決はすでに下った」
「……っ、しかし!」
なおも言いつのろうとするバーラヤを無視して、サンジタは集まった群衆に向き直った。
「プラカーシャの善き人たちよ! 第三王子をたぶらかし、この国を腐敗と恐怖で揺るがし、あまつさえ前王妃を弑した魔女を、我らはついに捕らえた。喜ぶがよい。この女の首が地に落ちるとき、我らが国には再び平穏が戻るのだ!」
民の間から歓声が上がる。不安げに処刑台の上を見つめる人々もいたが、多くの者たちは血の気配に酔っていた。
兵士たちが槍の石突きを地面に打ちつける。処刑台が不吉に震えた。
助手たちがジャニを組み伏せる。処刑人の刃が、振り下ろすべき位置を確かめるように、ジャニのうなじをなぞった。
(ああ……ごめんなさい、先生――)
斬首の大刀が高々と掲げられる。
ジャニは小さく息を吸い、目を閉じた。
(――――ダルシャン様)
そのときだった。
苦悶の絶叫が、ジャニの隣から上がったのは。
驚いて目を開け、顔を上げる。すれば処刑人の腕に、矢が深々と突き刺さっていた。
集まった人々が門の近くを見やる。平民たちが怯えたように道を開ける。
弓を手にこちらへ走ってくる――あれは、あの人は。
ダルシャンに他ならなかった。
ジャニの目から、今度こそ涙があふれ出した。




