第7話 稲妻の舞
一座の最終目的地であるというパラーンタカは、東西ニーラ川の合流地点に置かれた聖地スヴァスティよりもさらに南にある街だ。つまりは北東の国境を離れて山岳地帯と大森林を抜け、東ニーラ川沿いに南下してゆくことになる。その途上に連なる人里に適宜立ち寄り、路銀を稼ぎながらパラーンタカを目指すというのが一座の計画だった。
ジャニとダルシャンはそれについて回りつつ、状況が多少なりとも鎮火するのを待つ心づもりだった。
旅路はにぎやかだった。芸人たちは獣避けも兼ねて鈴を鳴らし、歌いながら荷車を引く。次々と出てくる歌の中には、ジャニの知らない言葉のものも混ざっていた。休憩の時間には楽器の音が必ず伴い、練習を兼ねて軽業を見せる者たちもいる。夜は狼の遠吠えが野営地を囲んだ。この狼たちは老女ムルガナーが手懐けているのだと、ジャニは二日目にようやく知った。
三日間歩くと、山岳地帯の森が途切れた。畑が点在し、遠くに炊事の煙が見える。集落が近いのだった。
ドゥルクが南西の方角を指さした。
「確か、あちらに大きめの町があったな。周りには農村もある。興行にはうってつけだ」
その言葉を聞いたダルシャンが軽く目を細めた。
「あのあたりの町というと……チトラカーヤか」
「ご存じなのですか?」
ジャニが首を傾げると、ダルシャンは遠くを見つめたまま、薄く微笑んだ。
「ああ。母の生地に近い」
彼がわずか二歳のときに世を去ったという平民の母だ。こんなところから独りで王都に赴いて、息子を産んで、死んだのか。
胸が小さく痛んだ。じっとダルシャンの横顔を見つめる。ほとんど無意識のうちに、彼の手に指を絡めていた。ダルシャンが驚いたようにこちらを見やる。だがすぐにその表情は和らいだ。そのまま二人、ゆるやかに指を触れ合わせ、しばらく歩き続けた。
日が傾きかけたころ、一座はチトラカーヤの町にたどりついた。土地の広さや人口では新旧の都であるマハージヴァーラーやスヴァスティに到底及ぶべくもないが、それなりに活気がある。どうやら周辺の農村から作物を仕入れて流通させているらしい。町の中央にある広場には、店をたたむ野菜売りの姿がちらほらと見受けられた。
広場の端にもうけられた小さな寺院を物珍しく見つめていると、町の長と話をつけに行っていたドゥルクが戻ってきた。
「興行の許可が下りたぞ」
待ってました、と楽師の一人が声を上げる。若い軽業師が口笛を吹いた。
「明日は周りの村で呼び込みだ。その間に設営と小金稼ぎ。本番は夜だな」
「了解!」
雑用係の少年が元気よく返事をする。荷車に座ったアナンターもにっこりと笑んだ。
すでに東の空は暗い。皆で手早く天幕を張り、遅くなりすぎないうちに休んだ。
翌朝、ディーパに率いられた楽師や歌い手たちが呼び込みに出ていった。村々の農民たちに声をかけて楽を聴かせ、晩の興行に引き込むのがお決まりのやり方だそうだ。
ジャニとダルシャンはドゥルクの指示で町に残った。ダルシャンは舞台の設営に手を貸し、ジャニは老女ムルガナーの助手を任された。狼を数頭手懐けているというだけでも尋常でないのだが、ムルガナーは占い師でもあるらしい。物珍しがって寄ってくる町の者たちの手相や星回りを見ては代金を受け取る。渡された硬貨を数えて取っておくのがジャニに与えられた役目だった。
客足が途切れたとき、ムルガナーがふと、ジャニの方を向いた。
「あんた、占いは初めてかい?」
その通りである。ジャニはまばたいた。
「……分かりますか」
「やけに珍しそうにしてるからね。どれ、暇だし手相ぐらいは見てやろうか」
ムルガナーは口元に笑みを浮かべる。促されるままジャニが手を出すと、乾いてはいるが温かな指が手のひらをなぞった。――その指が、ふいに止まった。
「あんた……生命線が妙だね」
「え?」
「初めて見る相だ。兵士に追われてるせいかね。――死ぬような目に遭うのかもしれん。気をつけな」
占いとはあまり縁のない生活をしてきた。信じるかどうかと問われればよく分からない。
それでも、このときは背筋が粟立った。ムルガナーの声がひどく真剣だったからだ。
二人連れの女客がやってきて、占いは中断された。ジャニは黙って片手を握り込んだ。もっと尋ねたかったが、すぐ別の仕事に呼び出され、結局それどころではなくなってしまった。
あちらこちらへばたばたと走り回っているうちに日が傾き始める。興行が始まろうとしていた。
「初めてのお二人さんには、ひとまず客席から楽しんでいただこうか」
華やかな衣装に着替えたドゥルクがジャニとダルシャンに微笑んだ。その隣には、同じく舞台衣装を身に着け、髪もきれいに梳かされたアナンターがいる。アナンターは軽業師見習いなのだと今日になって知った。森の中で出会ったときの身軽さなら納得もいくというものだ。
「僕のこと、見ててね」
大きな瞳をきらめかせてアナンターが言う。ダルシャンが微笑んで頷いた。
「ああ。怪我はするなよ」
「しない」
自信たっぷりの言葉が頼もしい。ジャニも小さく笑みを返した。
雑用係の少年の案内で、広場にもうけられた客席の端に座った。町の中や村々から続々と人が集まってきている。こういった娯楽は貴重なのだろう。思えばジャニ自身、旅芸人の興行をまともに見るのは初めてだった。
客席がほぼ埋まったところで、頃合いを見計らったように、ドゥルクに率いられた楽師たちが登場した。彼らが舞台の端に着座すると、観客たちが一斉に拍手する。その音も、ドゥルクが二つの太鼓を叩き始めるとすぐにやんだ。
野営地で聴いた踊るような音が、今夜はいっそう研ぎ澄まされている。そこに他の楽師たちの弦楽器や笛、そして歌声が絡み合わさり、高らかに響き渡る。曲がひときわ盛り上がりを見せたところで、ドゥルクが華やかな独奏を披露した。それに取って代わるように歌い手が高音を響かせ、他の楽器の即興が次々と続く。興奮した観客が小銭を投げ始めた。すかさず雑用係が集めて回る。熟練というべき見事な流れだった。
一曲終えたところで軽業師たちが登場した。音楽も奏でられ続けているが、目を引くのは舞台の中央で展開される芸である。赤色の服をまとったアナンターが大人三人と組み、跳んでは回り、また高く跳ぶ。宙に投げられ、くるくると回って落ちてくる。受け止められてはまた回り、何事もなかったかのように美しい構えを決める。
見事な腕前だ。だが、やっていることがやっていることだから、どうしてもハラハラしてしまって心臓に悪い。隣のダルシャンにちらりと視線を投げると、彼の方が楽しそうに見入っていた。考えてみれば彼は戦士だ。身体能力に長けた人間を見ると、心配よりも興味が先に立つのかもしれなかった。
観客の興奮をひたすらに引き上げ、軽業師たちは舞台裏に去っていく。歓声や指笛の音が響く中、ドゥルクが声を張り上げた。
「さあ、皆様お待ちかね。稲妻をまとう舞姫、ディーパの登場だ!」
太鼓の音が鳴る。鈴の音が軽やかに響く。満を持して、松明の光をきらきらとはじく衣装をまとったディーパが舞台の中央に進み出た。
しばしの沈黙。期待で張り詰めた空気を破るように、ディーパが一歩を踏み出した。足首の鈴がしゃらりと鳴る。それを待っていたように賑やかな音楽が始まった。
ディーパの踊りは大振りの花が咲くようだった。腰を回し、手ぶりで語り、客席にくまなく視線を送る。動くたびに衣装に縫いつけられた金属がきらめき、長い裾が揺れる。
いつしか星に満ちた夜空は、ディーパの美しさを引き立てるかのようだった。
――だが突然、その空を白い稲妻が走った。
ジャニは驚愕した。雲ひとつない空だ。雷などありえない。ダルシャンも虚を突かれたような表情をしている。
一方、観客からは歓呼の声が上がった。硬貨が次々と宙を舞う。どうやらこの展開は彼らの期待どおりだったらしい。
また稲妻がひらめく。三度、四度。最高潮に達したディーパの舞踊を照らし出すかのように。
ジャニは混乱して舞台上を見回した。そして――気づいた。
ドゥルクが太鼓を叩きながら、時折ひらりと手を宙に舞わせている。そのたびに空を稲妻が走る。必死に見つめて何度か確かめ、偶然ではないと確信した。
(……もしかして)
この雷、彼が操っているのではないだろうか。
ドゥルクはことによると、自分の炎と同じような力を持っているのではないだろうか。
――そうだ。二人目の〈験〉を名乗るルドラが現れたときから、何かが奇妙だと思っていた。
同じような力を持つ人間が二人もいる時点で、すでに伝説は揺らいでいる。それだけであれば、誰しも気づくことだ。
だが、王家とは無関係のドゥルクもまた、似たような力を操る存在であるならば。
神に選ばれた証とされる〈炎神の験〉の力は、やはり天与のものなどではない。
だからこそ史書は改竄されたのか。だからこそ初代将軍は消されたのか。
背筋が急に寒くなった。音楽が聞こえなくなる。
ジャニは両の腕で自分を抱きしめた。




